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コズミックピンク

神のタイムライン(3)

​終末の出来事の年表

終わりの時
終わりの時のイベント
主の日
恩恵期間の終了
第三天使のメッセージ
ふるいの時
​再臨前調査審判
ヤコブの悩みの時
大いなる悩みの時
義なる者は仲保者なしで立たねばならない。
千年期
義なる者は天へ
7つの災い
再臨

日曜休業令〜恩恵期間の終了まで:小さな悩みの時

町や市から離れるサイン。

バビロンの滅び。

獣のイメージの型を見る。

偽りの教会の偽リバイバル、

獣のしるしが押される。

神の刻印が押される。

大いなる叫び

後の雨(春の雨ー収穫)

​*恩恵期間の終了時、神の霊が退く(キリストの至聖所での務めの終了、神の民はキリストの仲保なしでたたねばならない。)

*神の刻印を押された者、神の婚礼の準備が整う。

​*恩恵期間が終了すると7つの災いが始まる。

キリストの再臨:

​神の民の救出と特別復活。

第一の復活ーキリストにあって死んだ人々の復活。

悪人はキリストの栄光(息)によって殺される。

神の民は天へ挙げられる。​アーメン!!

1844年:第一、第二、第三天使のメッセージ、真夜中の叫び、

​大失望。調査審判の開始、残りの教会の現れ。

​ふるいの時:現在。偽りの教会で偽のリバイバル。まもなく日曜休業令が発布される。

7つの災い

​第一の災いー獣を崇拝する者に悪性の腫物がある。

​第二ー血の海

 *死の宣告。

 *山に逃げる。

第三ー川と水が血に。

第四ー太陽は人々を焼く。

第五ー獣の国の闇

第六ーユーフラテス川枯れる。

 *ハルマゲドンに王たちを召集。

第七ー激しい地震。

千年期:悪は裁かれる。地上は誰もいなくなり荒れ果てる。​サタンは地上に閉じ込められる。天に行った聖なる者たちが悪人を裁く。

1798年 黙示録11:2-11の

預言の成就

法王制が傷を受ける。知識が増す。​ダニエルの封印が解かれる。

以上が大まかな流れです。
聖書からの裏付けともう少し詳細な説明をします。

千年期終:悪人の第二の復活。悪人の永遠の死。

地は清められ、再創造される。天から新エルサレムが降りてくる。人々は、地上で永遠に生きる。

​大いなる悩みの時

恩恵期間の終わり。

「その時あなたの民を守っている大いなる君ミカエルが立ちあがります。また国がはじまってから、その時にいたるまで、かつてなかったほどの悩みの時があるでしょう。しかし、その時あなたの民は救われます。すなわちあの書に名をしるされた者は皆救われます」(ダニエル12:1)。 

お恵みの恩恵期間が終わると、大いなる悩みの時が始まります。

​これは、獣の印を押された人々の上に現れます。

恩恵期間が終わる前に悔い改めなければ、閉じられた扉は2度と再び開くことはないのです。ちょうどノアの箱舟の扉が閉じて2度と開かなかったように。

 『神の民はその働きを成し遂げたのである。彼らは「後の雨」と「主のみ前から」来る「慰め」を受けて、自分たちの前にある試みの時に対する準備ができた。天使たちは、天をあちらこちらへと急ぎまわっている。1人の天使が地から戻ってきて、自分の働きが終わったことを告げる。すなわち、最後の試みが世界に臨み、神の戒めに忠実であることを示した者はみな、「生ける神の印」を受けたのである。その時イエスは天の聖所でのとりなしをやめられる。イエスはご自分の手をあげて、大声で「事はすでに成った」と仰せになる。そして、イエスが「不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ」と厳粛に宣言されると、天使の全軍はその冠をぬぐ(黙示録22:11)。どの人の判 決も、生か死かに決まった。キリストはご自分の民のために贖いをなさり、彼らの罪を消し去られた。リストの民の数は満たされ、「国と主権と全天下の国々の権威」とは、今まさに救いを相続する者に与えられようとしており、イエスは王の王、主の主として統治されるのである。 』大争闘、1897p.

 さて、神の民の罪が消し去られましたが、再臨はまだです。

 サタンはまだ働いています。

​ 

 

三天使のメッセージは世界へ

一部ここに掲載していますが、大争闘39章をお読みください。

恩恵期間の​終わり

イエスが聖所を去られると、暗黒が地の住民をおおう。その恐ろしい時に、義人は仲保者なしに聖なる神のみ前に生きなければならない。 

 悪人の上に置かれていた抑制が取り除かれ、サタンは最後まで悔い改めない者を完全に支配する神の忍耐は終わった。世は神の憐れみを拒み、その愛をさげすみ、その律法をふみにじってきた。悪人は恩恵期間の限界を越えた。頑強に拒まれてきた神のみ霊は、ついに取り去られた。彼らは神の恵みの守りを失って、悪魔に対する防備が全くない。その時サタンは、地の住民を大いなる最後の悩みに投げ入れる。神の天使たちが人間の激情の激しい風を抑えるのをやめると、争いの諸要素がことごとく解き放たれる。全世界は、昔のエルサレムを襲ったものよりもっと恐ろしい破滅に巻き込まれる。 

 ただ1人の天使が、エジプト人の長子をみな殺しにして、国じゅうを嘆きで満たした。ダビデが民を数えて、神にそむいた時、1人の天使が恐ろしい破滅を引き起こして、彼の罪を罰した。神がお命じになる時に聖天使たちによって行使されるのと同じ破壊力が、神のお許しになる時には悪天使たちによっても行使される。勢力はすでにととのっていて、あらゆるところに荒廃を広げようと、神の許しを待つばかりである。 』(大争闘39章)

私見

 数十年前ですが、​ある人の勧めで、フラビウス・ヨセフスの「ユダヤ戦記」を読みました。エルサレムの滅びについて知りたかったからです。その本に書かれていたエルサレムの滅びの時のローマ兵たちはやりたい放題になり、兵隊たちの狂気は、将軍さえ手に負えないほどでした。投降して出てきたユダヤ人は、両手を切られたり、城壁の周囲に建てられた数えきれないほどの杭に磔にされ、その杭が足りないほどでした。残虐極まりない仕打ちをされたのです。

 しかし、ご存知のように、キリストの預言に注意を払っていたクリスチャンたちは、ティツス将軍がわけもなく一度、撤退したその夜にすぐに城壁の外に出て、ペレアの山地に逃げて無事でした。この話がなぜ重要かというと、このエルサレムの崩壊と同様に、終わりの時には全地球規模でなされるということなのです。聖書預言はだから大変重要なのです。

 本を読んで、私は戦慄しました。まだ聖書を学び始めて間もなくでしたから・・・・・サタンの恐ろしさ、残虐さは、あの中世時代のカトリックの拷問や魔女狩りのように、人の狂気を起こさせることにあります。裁きの時、終わりの時には、神がサタンを止めている手を緩められるからです。

 EGWも、そのことは書いています。

 エルサレムの街は、飢餓のために、エレミヤの預言のように子供を食べることまでもなされました。マサダの要塞も自決で終わりました。同様のことは起こる可能性はあるのです。

恐るべき苦悩

  「サタンは、エサウを動かしてヤコブに立ち向かわせたように、悩みの時に、悪人たちを煽動して神の民を滅ぼそうとする。そして彼は、ヤコブを訴えたように、神の民に対する非難を申し立てる。彼は、世界を自分の手中にあるものと考えている。しかし神の戒めを守る小さな群れが、彼の主権に反抗しているのである。もし彼が、彼らを地上から一掃することができるなら、彼の勝利は完全なものとなる。彼は、天使が彼らを守っているのを見て、彼らの罪が赦されたことを推測するが、彼らの調査が天の聖所において決定されたことは知らない。サタンは、自分が彼らを誘惑して犯させた罪を正確に知っている。そして彼は、それらを神の前に大きく誇張して示し、この人々は自分と同様に神の恵みから当然除外されるべきであると主張する。主が、彼らの罪を赦しながら、サタンとその使いたちを滅ぼすことは、正当ではないと彼は宣言するのである。サタンは彼らを、自分のえじきであると主張し、滅ぼすために自分の手に与えられるべきであると要求する。 

  サタンが、神の民をその罪のゆえに責める時に、主はサタンが、彼らを極限まで試みることを許される。神に対する彼らの信頼、彼らの信仰と堅実さとが、激しく試みられる。彼らは、過去をふりかえると、望みを失ってしまう。なぜなら、その全生涯の中に、よいところをほとんど見ることができないからである。彼らは、自分たちの弱さと無価値とを十分に自覚している。サタンは、彼らの状態は絶望的で、彼らの汚れたしみは洗い去ることができないと思わせて、彼らを恐怖に陥れようとする。サタンは、彼らの信仰をくじいて、彼らを彼の誘惑に負けさせ、神に対する忠誠を放棄させようと望むのである。 

 神の民は、彼らを滅ぼそうとする敵に取り囲まれるが、しかし彼らの味わう苦悩は、真理のために受ける迫害を恐れてのものではない。彼らは、自分たちがすべての罪を悔い改めているかどうか、また、自分たちの中の何かのあやまちによって、「全世界に臨もうとしている試錬の時に、あなたを防ぎ守ろう」という救い主の約束の成就を妨げるのではないか、ということを恐れるのである(黙示録3:10)。もし彼らが、赦しの確証を持つことができるならば、拷問も死をもいとわないであろう。しかし万一、赦しに値しない者であることがわかって、自分自身の品性の欠陥のゆえに生命を失うようなことがあれば、それは神の聖なるみ名を辱しめることになってしまう。 

 彼らは、至るところに反逆の陰謀を聞き、暴動が活発に起きるのを見る。そして彼らの心の中には、この大いなる背教が終わるように、そして悪人たちのよこしまが終わるようにという、強烈な願望と熱望が起こる。しかし、彼らが、反逆の活動をとどめるよう神に祈っていながらも、自分自身には悪の大きな潮流に抵抗する力も押し返す力もないことを感じて、激しい自責の念にかられる。もし彼らが、彼らの全能力を常にキリストの奉仕に用いていたならば、そして力から力へと進んでいたならば、サタンの勢力はこれほど優勢な力をもって襲ってはこないだろうと、彼らは感じるのである。」 

憎悪と迫害

憎悪と​迫害について(大争闘)も知っておくべき重要なことです。なぜなら、『人々は、一定期間ののちには彼らを殺しても良い自由が与えられる。旧世界のカトリック教と新世界の背教的新教とは、神の戒めの全部を尊ぶ者たちに対して、同じような手段をとるであろう」とEGWは警告しています。

恐るべき災い

神の民を抑圧し滅ぼそうと計る者たちの上に、神の刑罰がくだる。悪人に対して神が長い間忍耐されたので、人々は大胆に罪を犯している。しかし、彼らに刑罰がくだるのが長い間延ばされているということは、その刑罰が確実なものでないとか、恐るべきものでないという理由には決してならない。 

​・・・・・・

キリストが聖所における彼のとりなしをやめられる時、獣とその像を拝み、その刻印を受ける者たちに警告された、混ぜもののない怒りが注がれる(黙示録14:9、10参照)。神がイスラエルを救い出そうとされた時に、エジプトにくだった災いは、神の民の最後の救出の直前に世界にくだるもっと恐ろしくもっと広範囲に及ぶ刑罰と類似した性格のものであった。黙示録の記者は、その恐ろしい災いを描写して次のように言っている。「獣の刻印を持つ人々と、その像を拝む人々とのからだに、ひどい悪性のでき物ができた。」「海は死人の血のようになって、その中の生き物がみな死んでしまった。」「川と水の源と(は)……みな血になった。」このような刑罰は恐ろしいものであるが、神の正義は完全に擁護されるのである。神の天使は、次のように叫ぶ。「このようにお定めになったあなたは、正しいかたであります。聖徒と預言者との血を流した者たちに、血をお飲ませになりましたが、それは当然のことであります」(黙示録16:2~6)。彼らは、神の民を死に定めることによって、彼ら自身の手で血を流したのと全く同じ罪を犯したのである。同様に、キリストは、彼の時代のユダヤ人に、アベルの時代からのすべての聖徒たちの血を流した罪があると言われた。それは、彼らが、預言者たちを殺した人々と同じ精神を持ち、同じことをしようとしていたからである。 

それに続く災いにおいて、「太陽は火で人々を焼くことを許された。人々は、激しい炎熱で焼かれた」(同16:8、9)。預言者たちは、この恐るべき時の地上の状態を次のように描写している。 

「地は悲しむ。これは穀物が荒れはて……るためである。……野のすべての木はしぼんだ。それゆえ楽しみは人の子らからかれうせた。」「種は土の下に朽ち、倉は荒れ……る。……いかに家畜はうめき鳴くか。牛の群れはさまよう。彼らには牧草がないからだ。……水の流れがかれはて、火が荒野の牧草を焼き滅ぼしたからである。」「『その日には宮の歌は嘆きに変り、しかばねがおびただしく、人々は無言でこれを至る所に投げ捨てる』と主なる神は言われる」(ヨエル1:10~12、17~20、アモス8:3)。 

黙示録16:12-21

12 第六の者が、その鉢を大ユウフラテ川に傾けた。すると、その水は、日の出る方から来る王たちに対し道を備えるために、かれてしまった。
13 また見ると、龍の口から、獣の口から、にせ預言者の口から、かえるのような三つの汚れた霊が出てきた。
14 これらは、しるしを行う悪霊の霊であって、全世界の王たちのところに行き、彼らを召集したが、それは、全能なる神の大いなる日に、戦いをするためであった。
15 (見よ、わたしは盗人のように来る。裸のままで歩かないように、また、裸の恥を見られないように、目をさまし着物を身に着けている者は、さいわいである。)
16 三つの霊は、ヘブル語でハルマゲドンという所に、王たちを召集した。
17 第七の者が、その鉢を空中に傾けた。すると、大きな声が聖所の中から、御座から出て、「事はすでに成った」と言った。
18 すると、いなずまと、もろもろの声と、雷鳴とが起り、また激しい地震があった。それは人間が地上にあらわれて以来、かつてなかったようなもので、それほどに激しい地震であった。
19 大いなる都は三つに裂かれ、諸国民の町々は倒れた。神は大いなるバビロンを思い起し、これに神の激しい怒りのぶどう酒の杯を与えられた。
20 島々はみな逃げ去り、山々は見えなくなった。
21 また一タラントの重さほどの大きな音が、天から人々の上に降ってきた。人々は、この音の災害のゆえに神をのろった。その災害が、非常に大きかったからである。

ハルマゲドンの戦いが起こる
ハルマゲドンの戦いは再臨の直前
三つの汚れたものハルマゲドン

ハルマゲドンの戦い

ハルマゲドンの戦いに入る

​(マラナタ9月6日)

 「彼らは小羊に戦いをいどんでくるが、小羊は、主の主、王の王であるから、彼らにうち勝つ。また、小羊と共にいる召された、選ばれた、忠実な者たちも、勝利を得る」。(黙示録17:14)

​わたしたちは第七の鉢が空中に傾けられることについて学ぶ必要がある。悪の勢力は戦わずして降伏することはない。しかし摂理の神はハルマゲドンの戦いに介入してくださる。地上が黙示録18章の天使の栄光によって照らされる時、善と悪の宗教勢力が眠りから目覚め、生ける神の軍勢が戦闘を開始する。

 四人のみ使いは神のしもべが額に印を押されるまでは、地の勢力を引き留めている。世界の国々は戦いを切望しているが、天使によって抑制されている。この抑止力が取り去られる時、悩みと苦悩の時が来る。恐ろしい戦争の道具が発明される。命という積荷を乗せた船が深い船に沈む。真理の御霊を持っていない者は皆、サタンの代理人たちの指導の下に集結する。しかし彼らはハルマゲドンの大きな戦いの時が来るまで抑制されている。

 あらゆる種類の悪が突然激しく活動する。悪天使は悪人と力を合わせて、絶えず戦いに従事し、最高の欺瞞と戦いの方法について経験を積んできた。そして、彼らは何世紀にもわたって、力をつけてきているので死に物狂いの戦いをしないで最後の大争闘を放棄することはない。全世界はどちらか一方の勢力に加担する。ハルマゲドンの戦いがなされるその日には、誰も眠っていることはできない。わたしたちははっきりと目を覚まし、賢い乙女たちのように自分の器に油を満たして灯りを灯していなければならない。・・・・

​ 聖霊の力が私たちに下り、主の万軍の指揮官であられるお方がその戦いの指揮をするために、天の天使たちの先頭に立たれる。わたしたちの前途にある荘厳な出来事が起こらなければならない。ラッパが次々と吹き鳴らされ鉢が次々と住民の上に注がれなけれなならない。驚くほど重大な光景が私たちの前にある。

神はハルマゲドンに介入される

​(マラナタ10月15日より)

各時代の大闘争下、41章 希望p1919

大争闘は、6000年にわたって続いてきた。神のみ子と天使たちは、人類に警告し、啓発し、そして救いをもたらすために、悪魔の力と闘ってきた。今や、すべての者が決定を下した。すなわち、悪人は、神に反抗するサタンの戦いに、完全に加担した。神が、ふみにじられたご自分の律法の権威を擁護される時が来たのである。今や争闘は、サタンとの争闘だけでなく、人間との争闘ともなる。「主が国々と争い」「悪人をつるぎに渡すからである。」 

「その中で行われているすべての憎むべきことに対して嘆き悲しむ人々」に、救いのしるしがつけられた。今や、エゼキエルの幻の中で、その手に滅ぼす武器を持った人々に命令が与えられたように、死の天使が出て行く。「老若男女をことごとく殺せ。しかし身にしるしのある者には触れるな。まずわたしの聖所から始めよ。」「そこで、彼らは宮の前にいた老人から始めた」と預言者は言っている(エゼキエル9:1~6)。滅びの働きは、人々の霊的保護者と称してきた人々から始められる。偽りの夜回りがまず第一に倒れる。あわれんだり助けたりする者はない。老若男女がみな滅ぼされる。 

「主はそのおられる所を出て、地に住む者の不義を罰せられる。地はその上に流された血をあらわして、殺された者を、もはやおおうことがない」(イザヤ 26:21)。「エルサレムを攻撃したもろもろの民を、主は災をもって撃たれる。すなわち彼らはなお足で立っているうちに、その肉は腐れ、目はその穴の中で腐れ、舌はその口の中で腐れる。その日には、主は彼らを大いにあわてさせられるので、彼らはおのおのその隣り人を捕らえ、手をあげてその隣り人を攻める」(ゼカリヤⅠ4:12、13)。自分たち自身の激しい怒りによる争いと、神の、あわれみを混じえない怒りの恐るべき降下によって、地の悪しき住民たちは、聖職者も為政者も民衆も、金持ちも貧しい人も、地位の高い者も低い者も、倒れてしまう。「その日、主に殺される人々は、地のこの果から、かの果に及ぶ。彼らは悲しまれず、集められず、また葬られずに、地のおもてに糞土となる」(エレミヤ25:33)。 

 「叫びは地の果にまで響きわたる。主が国々と争い、すべての肉なる者をさばき、悪人をつるぎに渡すからであると、主は言われる」エレミヤ25:31

 神はみこころのままに、「火よ、あられよ、雪よ、霜よ、み言葉を行うあらしよ」と、自然の勢力を呼び集めて敵の力を打破される(詩篇148:8)。異教のアモリ人が神の目的にさからったとき、神はみ手をくだして、イスラエルの敵の上に「天から……大石を降ら」された。地上歴史の最後の場面で、「主は武器の倉を開いてその怒りの武器を取り出された」ときに、もっと大きな戦いが、起こるといわれている(エレミヤ50:25)。「あなたは雪の倉にはいったことがあるか。ひょうの倉を見たことがあるか。これらは悩みの時のため、いくさと戦いの日のため、わたしがたくわえて置いたものだ」と、神はたずねておられる(ヨブ38:22、23)。 

黙示録の記者は、「大きな声が聖所の中から……『事はすでに成った』」と宣告するときに起こる破滅について書いている。彼は、「Ⅰタラントの重さほどの大きな雹が、天から人々の上に降ってきた」と言っている(黙示録16:17、21)。 

 地上歴史の最後の場面においては、戦争が頻発する。

 悪の勢力は戦わずして降伏することはない。しかし摂理の神はハルマゲドンの戦いに参戦される。

 主の軍勢の指揮官であられるお方がその戦いを指揮するために、天使たちの先頭に立たれる。

 その着物に王の王、主の主という名が記されているお方が、純白で、汚れのない麻布の衣を着て、白い馬に乗っている天の軍勢を導かれる。

 イエスが再びこの地上に来られる時、彼は「地ばかりでなく天をも震わ」れるのである。「地は酔どれのようによろめき、仮小屋のようにゆり動く。」「諸々の天は巻物のように巻かれ、「天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼き尽くされるであろう。」「しかし主はその民の避けどころ、イスラエルの人々の砦である」(ヘブル12:26, イザヤ24:20、34:4、2ペテロ3:10、ヨエル3:16)

(のあけぼの下巻136、R&H1897年10月19日、SDAバイブルコメンタリー7巻983、同上982、各時代の希望下巻310。)

最後の戦いの性質

​(マラナタ10月16日)

 「主は武器の倉を開いて/その怒りの武器を取り出された。主なる万軍の神が、カルデヤびとの地に事を行われるからである。」エレミヤ50:25

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