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ホサナミニストリー
神のタイムライン(4)
終末の出来事の年表
終わりの時
主の日
恩恵期間の終了
第三天使のメッセージ
ふるいの時
再臨前調査審判
ヤコブの悩みの時
大いなる悩みの時
義なる者は仲保者なしで立たねばならない。
千年期
義なる者は天へ
7つの災い
再臨
日曜休業令〜恩恵期間の終了まで:小さな悩みの時
町や市から離れるサイン。
バビロンの滅び。
獣のイメージの型を見る。
偽りの教会の偽リバイバル、
獣のしるしが押される。
神の刻印が押される。
大いなる叫び
後の雨(春の雨ー収穫)
*恩恵期間の終了時、神の霊が退く(キリストの至聖所での務めの終了、神の民はキリストの仲保なしでたたねばならない。)
*神の刻印を押された者、神の婚礼の準備が整う。
*恩恵期間が終了すると7つの災いが始まる。
キリストの再臨:
神の民の救出と特別復活。
第一の復活ーキリストにあって死んだ人々の復活。
悪人はキリストの栄光(息)によって殺される。
神の民は天へ挙げられる。アーメン!!
1844年:第一、第二、第三天使のメッセージ、真夜中の叫び、
大失望。調査審判の開始、残りの教会の現れ。
ふるいの時:現在。偽りの教会で偽のリバイバル。まもなく日曜休業令が発布される。
7つの災い
第一の災いー獣を崇拝する者に悪性の腫物がある。
第二ー血の海
*死の宣告。
*山に逃げる。
第三ー川と水が血に。
第四ー太陽は人々を焼く。
第五ー獣の国の闇
第六ーユーフラテス川枯れる。
*ハルマゲドンに王たちを召集。
第七ー激しい地震。
千年期:悪は裁かれる。地上は誰もいなくなり荒れ果てる。サタンは地上に閉じ込められる。天に行った聖なる者たちが悪人を裁く。
1798年 黙示録11:2-11の
法王制が傷を受ける。知識が増す。ダニエルの封印が解かれる。
以上が大まかな流れです。
聖書からの裏付けともう少し詳細な説明をします。
千年期終:悪人の第二の復活。悪人の永遠の死。
地は清められ、再創造される。天から新エルサレムが降りてくる。人々は、地上で永遠に生きる。
キリストの再臨:
神の民の救出と特別復活。
第一の復活ーキリストにあって死んだ人々の復活。
悪人はキリストの栄光(息)によって殺される。
神の民は天へ挙げられる。アーメン!!
神の民の救出と特別復活
教団の信仰の大要にリンクしています。
キリストの再臨は祝福に満ちた教会の望みであり、福音の壮大な頂点である。 救い主は、文字どおり、からだを持って世界中の人々の目に見える姿で来臨される。 キリストが来臨されるとき、死んでいる義人はよみがえらされ、生きている義人とともに栄化され、天に上げられる。 しかし、不義なる者たちは死ぬ。 預言がほぼ完全に成就してきたことは、現在の世界の状況とあいまってキリストの来臨が近いことを示している。 この出来事がいつ起こるかは、明らかにされていない。 それゆえ、われわれは常に用意をしているように勧められている。
神の民の救出
⚫️ 生きている信徒たちの昇天 ー 死んでいる義人がよみがえらされるとき、すなわち再臨時に地上に生きている義人も変えられます。 「この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになる」(1コリント15:53)。
キリストの再臨においては、どの信者のグループも他の信者よりも優先されるということはありません。 パウロは、生きていて変えられた信者たちが「それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう。」(1テサロニケ4:17、1テサロニケ4:17)と明らかにしています。( ヘブライ 11:39、40 参照)。 したがって、あらゆる時代の復活した聖徒たちとキリストの再臨の時に生きている聖徒たちの両方を含むすべての信者が盛大なご臨席の集会に出席することになります。
⚫️不信者の死。ー 救われた者にとって再臨は喜びと高揚の時ですが、失われていく者にとっては恐ろしいな恐怖の時となるでしょう。 この人たちはキリストの愛と救いへの招きに長い間抵抗してきたため、誤った妄想に陥ってしまっていました(Ⅱテサロニケ2:9-12;ローマ1:28-32参照)。 彼らが王の王、主の主として来られるのを見る時、自分たちの運命の時が来たことを知ります。 恐怖と絶望に圧倒された彼らは、生命のない被造物を求めます(黙示録 6:16、17)。
この時、神はすべての背信的宗教の結合体であるバビロンを滅ぼされるでしょう。 「彼女は火で完全に焼かれてしまう」(黙示録18:8)。 この連合の指導者ー不義の惑わしと不法の者ーを「主イエスはその口の息を持って殺し、来臨の輝きによって滅ぼすであろう」(2テサロニケ2:8)とも言われています。 獣の刻印(第12章を参照)を強要した責任のある権力は、「硫黄の燃える火の池に」投げます。 そしてそれ以外の悪人は「馬に乗っている方―主イエス・キリストである(黙示録19:20、21)ーの口から出た剣で殺される」でしょう。
(「アドベンチストの信仰」598p)
⚫️ 特別復活
「墓が開かれる。「地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者は目をさますでしょう。そのうち永遠の生命にいたる者もあり、また恥と、限りなき恥辱をうける者もあるでしょう」(ダニエル12:2)。第三天使の使命を信じて死んだ者はみな、栄化されて墓から現れ、神がご自分の律法を守った者たちと結ばれる平和の契約を聞くのである。「彼を刺しとおした者たち」(黙示録1:7)、キリストの死の苦しみをあざ笑った者たち、そして、キリストの真理とその民とに対して最も激しく反対した者たちは、栄光をまとわれたキリストをながめるために、また、忠実で従順な者たちに与えられる誉れを見るために、よみがえらせられる。 」大争闘40章、1910p
千年期:悪は裁かれる。地上は誰もいなくなり荒れ果てる。サタンは地上に閉じ込められる。天に行った聖なる者たちが悪人を裁く。
教団の信仰の大要にリンクしています。信仰の大要27
千年期終:悪人の第二の復活。悪人の永遠の死。
地は清められ、再創造される。天から新エルサレムが降りてくる。人々は、地上で永遠に生きる。
「千年期とは、第一の復活と第二の復活の間にはさまれた、1000年にわたるキリストと聖徒たちの天における支配のことである。 この間、死んだ悪人が裁かれ、地は生きている住人もなく、サタンとその使いたちに占領されて全く荒廃する。この期間の終わりに、キリストは聖徒を伴い、聖なる都とともに天から地に降りて来られる。 そののち、死んでいる不義なる者たちがよみがえらされ、サタンとその使いたちとともに聖なる都を包囲する。 しかし、神から出る火は彼らを焼き尽くし、地を清める。こうして、宇宙は永遠に罪と罪人から解放される。」
黙示録の第 20 章で語られている千年期の間に、サタンの地上への影響は制限され、キリストは聖徒たちとともに支配されます (黙示録 20:1-4)。
千年期の始まりの出来事
(*下線付きのタイトルをクリックすると続きを読むことができます。)
再臨 ー 黙示録 19 章と 20 章は一つのものです。 これらの章の間に途切れはありません。 それらはキリストの来臨を説明し(黙示録19:11-21)、すぐに千年期に続き、その順序はキリストが再臨されるときに千年期が始まることを示しています・・・・
死んだ義人の死者の復活後、彼らと生きている聖徒たちは「空中で主に会う」ために引き上げられます(1テサロニケ4:17)。・・・・・
地上は荒廃する
義人は昇天して主とともにおり、、悪人はキリストの出現によって滅ぼされるため、地球にはしばらく人間が住まなくなります。 聖書はそのような状況を指摘しています。 エレミヤは、「わたしは地を見たが、それは形がなく、またむなしかった。天をあおいだが、そこには光がなかった。 わたしは山を見たが、みな震え、もろもろの丘は動いていた。 わたしは見たが、人はひとりも」(エレミヤ 4:23-25)おらなかったと言いました。エレミヤが 創世記 1 章 2 節にある「形がなく空しく」という言葉を用いたことは、地球が創造の初めのときのように、混沌とした状態になることを示しています。
第一の復活
再臨のとき、最初の復活が起こります。 義人、つまり「さいわいな者であり、また聖なる者」がよみがえります。なぜなら、「この人たちに対しては、第二の死は何の力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する」(黙示録20:6)からです。(「アドベンチストの信仰」642〜644p)
キリストはご自身の帰還を洪水とソドムとゴモラの滅びの時に起こったことに比較されました(マタイ24:37-39、ルカ17:28-30)。 彼の比較では 2 つのポイントがあります。
第 1 に、滅びが襲った時、それは突然であったということです。
第2に、襲ったものは滅亡であったということです。・・・・・
この時に起こる出来事は、イスラエルの聖所の奉仕における贖罪の日のやぎ(スケープゴート)の儀式に予表されていました。 贖いの日に、大祭司は主の山羊の贖いの血で聖所を清めました。 この贖罪が完全に終わって初めて、サタンを象徴するヤギであるアザゼルが関与する儀式が始まりました。 大祭司はその頭に手を置き、「イスラエルの人々のもろもろの悪と、もろもろのとが、すなわち、彼らのもろもろの罪を」告白して(レビ記16:21)「これをやぎの頭に乗せ」ました。 この贖罪のヤギは荒野、すなわち、「人里離れた地」(レビ記16:22)に送られました。
千年期に起こる出来事
キリスト、贖われた者と共に天に
再臨のとき、キリストは追随者たちを天国、つまり新エルサレムに用意された住居へと連れて行かれます。 モーセやイスラエル人のように、贖われた者たちは感謝の気持ちに満たされて、自分たちの救出の歌を歌います。それは、「神の僕モーセの歌であり、小羊の歌です。『全能者にして主なる神よ、あなたのみわざは大いなる、また驚くべきものであります。万民の王よ、あなたの道は正しく、かつ真実であります!』」 (黙示録 15:3)。
ヨハネは、千年期の間に聖徒たちが裁きに加わるのを見ました。彼は「かず多くの座があり、その上に人々がすわっていた。そして、彼らにさばきの権が与えられていた」。黙示録20:4)のを見ました。これが聖書が示しているサタンとその天使たちの裁きの時です(2ペテロ2:4、ユダ6)。それは、 聖徒たちがこの世を裁くだけでなく、「み使いをさえ裁く」(1コリント6:2、3)とパウロが断言した言葉が実現する時です。・・・・・
聖徒はキリスト共に支配する
キリストが勝利者たちに「諸国民を支配する権威」(黙示録2:26)を授けるという約束が成就されるのは千年期の間にである。 ダニエルは、キリストの敵が滅ぼされた後、「『国と主権と全天下の国々の権威とは、いと高き者の聖徒たる民に与えられる』」(ダニエル7:27)のを見ました。 キリストが第一の復活でよみがえらされる者たちは、千年間キリストとともに支配します(黙示録20:4)。 しかし、もし聖徒たちが天にいて、悪人はみな死んでいるとしたら、どのような意味で聖人たちが統治していると言えるでしょうか? 彼らの支配とは、キリストの統治の重要な局面に参加するということです。
サタンの反省の時
千年期の間、サタンは激しく苦しむことになります。 彼に従う天使たちとともに荒廃した地上に制限されて、彼は絶え間なく専念してきた欺きを続けることができません。 彼は神と神の律法に対する自分の反逆の結果を見せられます。彼は善悪の論争において自分が果たした役割を深く考えなければなりません。彼は、自分に責任のある全ての悪のゆえに受けなければならない恐ろしい刑罰を恐れつつ、将来に向かうことしかできません。
千年期の終わりの出来事
千年の終わりに、「それ以外の死人」、すなわち、悪人が者たちがよみがえらされます。こうしてサタンは獄から解放されて、活動できるようになります。(黙示録20:5、7)。 彼はもう一度、悪人たちを欺き、彼らの先頭に立って、「聖徒たちの陣営と愛されていた都[新エルサレム]」(黙示録20:9)に逆らいます。この都はこの時までにはキリストとともに天から降りてきています。
キリストと聖徒と都が降下する
キリストは二つの目的のために、聖徒たちと新しいエルサレムとともに再び地上に降臨します。 神は千年期の裁きの決定を実行することによって大争闘を終わらせられます。また彼は、ご自分の王国を築くために、この地上を清め、再び新しくされます。そのとき、最も完全な意味において「主は全地の王となられる」(ゼカエル14.9)のです。
裁きを受けるためのよみがえり
今、「墓の中にいる者たちがみな神の子の声を聞」(ヨハネ5:28)くというキリストの言葉が完全に成就するときが来しました。 キリストは再臨のとき、最初の復活、つまり「命の復活」によって義なる死者を墓から連れ出されました。さて、イエスが言われたもう一つの復活、「さばきを受けるためのよみがえ」(ヨハネ5:29)りが起こります。 黙示録はこの復活についても言及しています。「それ以外の死人(第一の復活の時よみがえらなかった人たち)は、千年の期間が終わるまで生き返ることはなかった」(黙示録 20:5)。
サタンの監禁が終わる
千年の期間の終わりに悪人が復活することによって、サタンは「しばらくの間」捕らわれの身から解放されます(黙示録20:3)。 神の政府に挑戦する最後の試みをします。彼は「出ていき、地の四方にいる諸国民・・・を惑わし」(黙示録20:8)ます。 悪人は死んだときにそれぞれ持っていたのと全く同じ反逆の精神を持ってよので、彼見がえらされていますから、サタンの働きは困難なことではありません。
聖都に対する攻撃
サタンは最後の欺きにおいて、力ずくで神の国を占領できるという希望を悪人に吹き込もうとします。 彼は地の諸国民を招集し、彼らを率いて愛されていた都に逆らいます(黙示録 20:8、9)。 キリストの犠牲の償いという功績によって神の都に入ることをかたくなに拒んだ悪人は、今や、包囲と戦闘によって都に入ろうとし、かつ支配しようと決心します。
神が悪人を生き返らされるや否や、彼らが、神に背をむけ、神の国をくつがえそうと試みるという事実によって、神が買っらの運命について下した決定が正しいと確認されます。このようにして、サタンが汚そうとしてきた神の名と品性は、全ての者の前で、完全に擁護されるのです。
ヨハネは、神の敵が都市を包囲し、攻撃しようとかまえるとき、神は大きな白いみ座をすえられると述べています。 全人類がこのみ座の周りで出会います。都の中で安全な者もいますが、外にあってさばき主の前でおののいている者もいます。この時神は、さばきの最後の局面を実行されます。これはキリストが「あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが、神の国にはいっているのに、自分たちは外に投げ出されることになれば、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。」と語られたのはこの時のことを言っています(ルカ13: 28)。・・・・・
悪人の運命
聖書によれば、神は義人にのみ永遠の命を約束します。 罪の支払う報酬は死であり、
聖書は、悪者は「断ち滅ぼされ」(詩 37:9、34)る、すなわち、彼らは滅びると教えています(詩 37:20; 68:2)。 彼らは意識のある状態で永遠に生きるのではなく、焼き尽くされてしまいます(マタイ4:1、マタイ13:30、40、ペテロ第二3:10)。 彼らは滅ぼされ(詩145:20; Ⅱテサロニケ1:9; ヘブライ2:14)、焼き尽くされます(詩104:35)。
判決が下されるとすぐに、サタンとその天使、そして彼の人間の追随者たちは刑罰を受けます。 彼らは永遠の死にます。「天から火が下ってきて」救われない者をすべて「焼き尽くした」(黙示録20:9)とあります。都の外の地表は「不信仰な人々が裁かれ・・・火で焼かれる」(ペテロ第二 3:7)ために、大きな火の池となって溶けているように見えます。 「主があだをかえす」(イザヤ書34:8)がきました。
永遠の刑罰
キリストが「『永遠の罰』」(マタイ 25:46)について語られたとき、彼は永遠に罰し続ける、という意味ではありませんでした。 キリストが意味したのは、「永遠の命(義人が享受する)は、終わりのない永遠の時代に渡って続くものです。一方、悪人が受ける刑罰もまた永遠です。しかしそれは、意識を持ったままで苦しむ期間の永遠ではなくて、完全で最終的な罰が永遠なのです。このように苦しむ人々の最後が第二の死です。 この死は永遠であり、そこからの復活はありませんし、あり得ません。」
聖書が「永遠の贖い」(ヘブライ人への手紙 9:12)や「永遠の裁き」(ヘブライ人への手紙 6:2)について語るとき、それは永遠の救いと裁きの結果を指しているのであって、終わりのない救いの過程を指しているのではありません。 まったく 同様に、聖書が永遠、あるいはとこしえの刑罰ついて語るとき、結果について語っているのであって、その刑罰の過程のことではありません。 悪人がこうむる死は最終的であり、永遠となります。
地を清める
罪の痕跡がすべて取り除かれる主の日について、ペテロはこう言いました、「しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。」(ペテロ第二 3:10)。
悪人を滅ぼす火は罪の汚染から地球を清めます。 神はこの地上の廃墟から「新しい天と新しい地」をもたらされるでしょう。なぜなら「先の天と地は消え去」(黙示録21:1)ってしまっているからです。神は この清められ、再創造された地球ーあがなわれた人たちの永遠の住まいーから、永遠に悲しみ、痛み、死を追放されます(黙示録21:4)。 遂に、罪がもたらした呪いは取り除かれます(黙示録22:3)。
ペテロは、罪と悔い改めない罪人が滅ぼされる主の日が近づいていることを思い、すべての人にこう言います。「神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。彼はキリストの再臨の約束に希望を置き、断言しました。「私たちは、・・・・義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいる。 愛する者たちよ、それだから、この日を待っているあなた方は、しみもなく、傷もなく、安らかな心で神のみ前に出られるように励みなさい」(ペテロ第二 3:11、13、14、NIV)。
アーメン!!
(参考文献:アドベンチストの信仰)
大争闘の終結については、下記にリンクしています。
再創造
新しい地
地球の再創造
「言葉というものはあまりにも貧弱で、天国の光景を描写することができない。天国の光景が私の前に現れるにつれて、私はただ驚嘆する他はない。その優れた壮麗さと、その素晴らしい栄光に心を奪われた私は、筆を投げて叫んだ。『ああ、なんという愛!なんという驚くべき愛ぞ』と。どんな言葉で褒め称えてみても天の栄光と比類のない救い主の愛の深さを描写することはできない。」(初代文集p466)
神は愛である
永遠の年月が経過するにつれて、神とキリストについてますます豊かでますます輝かしい啓示がもたらされる。知識が進歩していくように、愛と尊敬と幸福も増していく。人々は神について学べば学ぶほど、ますます神のご品性に感嘆するようになる。イエスが彼らの前に、贖いの富と、サタンとの大争闘における驚くべき功績とをお示しになると、贖われた者たちの心はいっそう熱烈な献身の念に燃え立ち、いよいよ喜びに満たされて黄金の立琴をかき鳴らし、万の幾万倍、千の幾千倍の声が1つになり、賛美の一大コーラスとなって盛りあがる。
「また、わたしは、天と地、地の下と海の中にあるすべての造られたもの、そして、それらの中にあるすべてのものの言う声を聞いた、『御座にいますかたと小羊とに、さんびと、ほまれと、栄光と、権力とが、世々限りなくあるように』」(黙示録5:13)。
大争闘は終わった。もはや罪はなく罪人もいない。全宇宙はきよくなった。調和と喜びのただ1つの脈拍が、広大な大宇宙に脈打つ。いっさいを創造されたお方から、いのちと光と喜びとが、無限に広がっている空間に流れ出る。最も微細な原子から最大の世界に至るまで、万物は、生物も無生物も、かげりのない美しさと完全な喜びをもって、神は愛であると告げる。( 大争闘42章、p1930)