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星

聖書と預言 ダニエル書

夢の解き明かし

ダニエル書

ダニエル書と黙示録の預言の部分をピックアップ! (書きかけ)

ダニエルの幻

ダニエル8:14の時に関する預言

​ダニエル11章の北の王と南の王​​​

​ダニエル12章

金の像

金=バビロン

金の頭は、西暦前612年から 西暦前539年まで世界的勢力であったバビロンを象徴しています。

銀=メド・ペルシャ

銀の胸と腕は、西暦前539年 から西暦前331年まで世界帝国であったメド・ペルシャを象徴しています。

青銅=ギリシヤ

青銅の腿は、西暦前331年か ら西暦前168年まで世界を征服したギリシヤを象徴しています。

鉄=ローマ

鉄のすねは、西暦前168年か ら西暦476年まで世界的覇権を享受したローマを象徴しています。

鉄と陶土=分裂した帝国

一部が鉄、一部が陶土の足は、まとまらない分裂した帝国を表しています。西暦476年以来、1つの勢力が世界を支配したこ とはなく、この分裂はキリストが戻られるまで続きます。

なぜ、神はバビロンの王にこの夢をお与えになったのでしょうか。

​「しかし秘密をあらわすひとりの神が天におられます。彼は後の日に起るべき事を、ネブカデネザル王に知らされたのです。」ダニエル2:28

*さまざまな鉱物でできた像の夢によって、神はご自分の民に直接かかわる帝国の興亡のあらましを、将来全体にわたって述べられました。

ダニエル書を研究するにあたり、以下の五つのポイントを覚えておきましょう。

(1)キリストが聖書全体の中心であるように、ダニエル書の中心はキリストであること。

 

(2)ダニエル書は文学的な美しさを示し、その主要な焦点を理解するのに役立つ方法で構成されている。

(3)古典的預言と終末論的預言の違いを理解する必要がある。

そうすることでダニエルの預言と、イザヤ書、アモス書、エレミヤ書などの他の預言とを区別するのに役立ちます。

(4)ダニエルの預言の概略は、長い期間にわたるものであるので、聖書の一年一日の原則に従って測られていることを理解しておく。

(5)ダニエル書は預言的な情報を伝えているだけでなく、現代の私たちの個人的な生活に深く関連しているということ。

<キリストはダニエル書の中心>

 

イエスが聖書の中心であることに疑問の余地はありません。

これにはダニエルも含まれます。

 

たとえば、1 章では、限定的で不完全な方法ではありますが、ダニエルの経験が、この罪深い世界に住み、闇の力に立ち向かうために天国を去ったキリストの経験に類似していることを示しています。

 

さらに、ダニエルとその仲間は、バビロニア文化の課題に立ち向かうために、キリストのような知恵を天から授かっています。

2 章では、終末の時 (終末論的) の石の図像が描かれ、キリストの王国が最終的に世界のすべての王国に取って代わることを示しています。

 

3 章では、キリストが忠実な僕たちとともに火の炉の中を歩んでいることが示されています。

4 章では、神がネブカドネザル王を一定期間王国から排除し、「天が支配する」 (ダニエル 4:26、NKJV) ことを王が理解できるようにしています。

 

「天が支配する」という表現は、ダニエル 7 章に描かれているように、キリストが「人の子」(ダニエル7 : 13 節、NKJV)として支配権と王国を受け取ることを思い起こさせます。

 

5 章では、騒ぎと放蕩の夜の間に、ベルシャザル王の死とバビロンのペルシャ人による陥落が描かれています。​​これは、サタンの敗北と、キリストとその天使たちによる終末のバビロンの消滅を予兆しています。

6 章では、ダニエルに対する陰謀が、祭司長たちがイエスに対して表明した偽りの告発に似た形で示されています。さらに、ダリウス王がダニエルを助けようとして失敗するのと同じように、ピラトもイエスを助けようとして失敗しています (マタイ 27:17–24)。

 

7 章では、キリストが人の子として王国を受け、その民を統治する様子が描かれています。

 

8 章では、キリストが天の聖所の祭司として描かれています。

 

9 章では、キリストが犠牲の犠牲者として描かれ、その死によって神とその民の間の契約が再確認されます。

10 章から第 12 章では、キリストが最高司令官ミカエルとして描かれ、悪の勢力と戦い、死の力からさえも神の民を勝利に導きます。ですから、ダニエル書においてキリストが中心的存在であることを心に留めておきましょう。ダニエル書の各章には、キリストを指し示す何らかの経験や考えがあります。

<ダニエル書の構造>

ダニエル書のアラム語部分、第 2 章から第 7 章(ダニエル書の一部はヘブライ語で書かれ、他の部分はアラム語で書かれています)の構成は、次の構造を明らかにしており、この部分とダニエル書の中心的なメッセージを強化するのに役立ちます。

  A. ネブカドネザルの 4 つの王国の幻(ダニエル 2 章)

    B. 神がダニエルの仲間を火の炉から救い出す(ダニエル3 章)

     C. ネブカドネザルへの裁き(ダニエル 4 章)

     C'. ベルシャザルへの裁き(ダニエル5 章)

    B'. 神がダニエルをライオンの穴から救い出す(ダニエル6 章)  

  A'. ダニエルの 4 つの王国のビジョン(ダニエル7 章)

こうした文学的配置は、この場合 C と C' (ダニエル 4 章と 5 章) で構成される構造の中心に置くことで、主要な点を強調するのに役立ちます。

 

神はネブカドネザルから王国を (一時的に)、ベルシャザルから王国を (永久に) 取り除きます。

したがって、2 章から 7 章では、神が地上の王たちを立てたり取り除いたりする際の、神の統治権に重点が置かれています。

 

メッセージを伝え、要点を明確にする最も効果的な方法の 1 つは、繰り返しです。たとえば、神はファラオにエジプトの近い将来に関する 2 つの夢を見せます (創世記 41:1–7)。

 

最初の夢では、7 頭の太った牛が 7 頭のやせた牛に食べられてしまいます。

2 番目の夢では、7 本の健康な穀物の穂が 7 本のやせた枯れた穂に食べられてしまいます。

どちらの夢も同じことを言っています。7年間の繁栄の後には7年間の飢餓が続くということです。

ダニエル書でも神は繰り返しを用いています預言のサイクルは4つあり、それは全体的な基本構造の繰り返しです。結局、この構造は神の究極の主権を示しています。それぞれの主要な預言の概要は異なる視点を伝えていますが、次の図に示すように、それらは一緒になって預言者の時代から終わりまで続く同じ歴史的期間をカバーしています。

ダニエルの預言
<時の計算>

ダニエル書を研究する際、預言の時間は 1 日 1 年の原則に従って測定されることも念頭に置く必要があります。

 

つまり、預言の 1 日は実際の歴史的時間の 1 年に相当します。

したがって、たとえば、2,300 の夕と朝の預言は 2,300 年を指していると理解する必要があります (ダニエル 8:14)。

 

同様に、70 週の預言は 490 年であると理解する必要があります (ダニエル 9:24–27)。

 

この時間スケールは、いくつかの明白な理由から正しいと思われます。

(1) 幻は象徴的であるため、示されている時間も象徴的でなければなりません。

(2) 幻に描かれた出来事は長期間にわたって展開され、場合によっては「終わりの時」にまで及ぶため、これらの預言に関連する時間の範囲はそれに応じて解釈する必要があります。

(3) 1 日 1 年の原則はダニエル書によって確認されています。明確な例は、アルタクセルクセス王の時代からイエスが救世主として来られるまで続いた70週の預言です。ですから、ダニエル書に記された預言の期間を理解する最も明白で正しい方法は、年日原則に従って解釈することです。

バルコニーからの眺め
四人の若者たち
​<ダニエル1章> 四人の青年たち

バビロンに到着するなり、この 4 人の青年は彼らの信仰と確信に対する極めて

深刻な問題に直面しなければなりませんでした。

 

彼らは王に仕えるための特別な訓練を受けるよう選ばれたのです。古代の王は、宮殿で仕えさせるために最高の捕虜の中の何人かをしばしば採用したものでした。そうすることで、彼らの忠誠心を、彼らを捕らえた帝国の王とその神々に切り替えさせたのです。実際に、そのすべての過程は、最終的に世界観を変えてしまう、ある種の改宗や洗脳をもたらすように意図されていました。

 

その過程の一環として、ヘブライ人の捕虜たちは自分の名前を変えさせられました。新しい名前は、所有者の変更、運命の変化を示唆しています。このように、バビロニア人は捕虜たちの名前を変えることによって彼らに対する権威を確立し、バビロンの価値観や文化を強制的に取り入れさせようとしたのです。青年たちのもとの名前は、イスラエルの神を指し示すものでしたが、外国の神々を称える名前に置き換えられました。それに加えて、王は、青年たちが王の食卓から食べなければならないと決定したのです。

大昔、王の食べ物を食べることには深い意味合いがありました。それは、王に対する専心的忠誠と王に対する依存をあらわしたのです。そして、食べ物は通常、帝国の神々にささげられたので、それを食べることには深い宗教的意味もありました。

それは明らかに、王の礼拝制度を受け入れ、それに参加することを意味しました。このように、ダニエルと彼の友人たちは、気がつくと厳しい状況の中にいた

のです。彼らが神に忠実であり続け、帝国の制度の圧倒的な力を切り抜けるためには、奇跡に等しいものが必要でした。

 

さらに厄介なことに、バビロンの町そのものが人間の偉業の記念碑的しるしとして存在していました。バビロンの神殿の建造美、空中庭園、町の中を曲がりくねって流れるユーフラテス川が、比類なき力と栄光という印象を与えていました。そして、ダニエルと彼の友人たちは、出世の機会とこのような制度から得られる恩恵と繁栄を与えられたのです。彼らはヘブライ人の捕虜でなくなり、宮廷の役人になることができるのです。彼らは栄光への安易な道を歩むために、原則を曲げるのでしょうか。

​​​​

第 1 章

1 ユダの王エホヤキムの治世の第三年にバビロンの王ネブカデネザルはエルサレムにきて、これを攻め囲んだ。
2 主はユダの王エホヤキムと、神の宮の器具の一部とを、彼の手にわたされたので、彼はこれをシナルの地の自分の神の宮に携えゆき、その器具を自分の神の蔵に納めた。
3 時に王は宦官の長アシペナズに、イスラエルの人々の中から、王の血統の者と、貴族たる者数人とを、連れて来るように命じた。
4 すなわち身に傷がなく、容姿が美しく、すべての知恵にさとく、知識があって、思慮深く、王の宮に仕えるに足る若者を連れてこさせ、これにカルデヤびとの文学と言語とを学ばせようとした。
5 そして王は王の食べる食物と、王の飲む酒の中から、日々の分を彼らに与えて、三年のあいだ彼らを養い育て、その後、彼らをして王の前に、はべらせようとした。
6 彼らのうちに、ユダの部族のダニエル、ハナニヤ、ミシャエル、アザリヤがあった。
7 宦官の長は彼らに名を与えて、ダニエルをベルテシャザルと名づけ、ハナニヤをシャデラクと名づけ、ミシャエルをメシャクと名づけ、アザリヤをアベデネゴと名づけた。

8 ダニエルは王の食物と、王の飲む酒とをもって、自分を汚すまいと、心に思い定めたので、自分を汚させることのないように、宦官の長に求めた。

9 神はダニエルをして、宦官の長の前に、恵みとあわれみとを得させられたので、

10 宦官の長はダニエルに言った、「わが主なる王は、あなたがたの食べ物と、飲み物とを定められたので、わたしはあなたがたの健康の状態が、同年輩の若者たちよりも悪いと、王が見られることを恐れるのです。そうすればあなたがたのために、わたしのこうべが、王の前に危くなるでしょう」。

11 そこでダニエルは宦官の長がダニエル、ハナニヤ、ミシャエルおよびアザリヤの上に立てた家令に言った、

12 「どうぞ、しもべらを十日の間ためしてください。わたしたちにただ野菜を与えて食べさせ、水を飲ませ、

13 そしてわたしたちの顔色と、王の食物を食べる若者の顔色とをくらべて見て、あなたの見るところにしたがって、しもべらを扱ってください」。

14 家令はこの事について彼らの言うところを聞きいれ、十日の間、彼らをためした。

15 十日の終りになってみると、彼らの顔色は王の食物を食べたすべての若者よりも美しく、また肉も肥え太っていた。

16 それで家令は彼らの食物と、彼らの飲むべき酒とを除いて、彼らに野菜を与えた。

17 この四人の者には、神は知識を与え、すべての文学と知恵にさとい者とされた。ダニエルはまたすべての幻と夢とを理解した。

18 さて、王が命じたところの若者を召し入れるまでの日数が過ぎたので、宦官の町は彼らをネブカデネザルの前に連れていった。

19 王が彼らと語ってみると、彼らすべての中にはダニエル、ハナニヤ、ミシャエル、アザリヤにならぶ者がなかったので、彼らは王の前にはべることとなった。

20 王が彼らにさまざまの事を尋ねてみると、彼らは知恵と理解において、全国の博士、法術士にまさること十倍であった。

21 ダニエルはクロス王の元年まで仕えていた。

ヘブル人の若者と官吏

4 人のヘブライ人の捕虜は、バビロン名を拒絶しなかったようです。おそらく、彼らがこのことに関してできることは、自分たちの間ではヘブライ名を使うこと以外、何もなかったのでしょう。しかし、王の食卓からの食べ物と酒に関しては、それを食べるか否か、自分たちで決めることができました。それゆえ、ここでは 4 人の自由選択がとても重要でした。

しかし、もし 1 人の役人が彼らの名前を変えることができるのであれば、彼は食事の内容も変えることができます。4 人が王の食卓から食べたがらなかった理由は、おそらく二つありました。

第一に、王の食卓からの食事には、汚れた肉(レビ 11 章)が含まれている可能性があったこと。第二に、食べ物はまず偶像への食事としてささげられ、その後、王のもとへ運ばれたことです。それゆえ、ダニエルが言い逃れやごまかしといった手段に訴えることなく、自分の要求が宗教的動機に基づくこと(つまり、宮廷の食べ物が彼や友人たちを汚すこと)を明らかにしたとき(ダニ 1:8)、彼はとても勇敢でした。

 

ダニエルとバビロンの役人とのやり取りを調べるとき、いくつかの重要な点が目につきます。

 

第一に、ダニエルは役人の難しい立場を理解していたようで、試験を提案しました。代わりの食事の有益性を示し、役人の恐れを取り除くには、10 日間が必要と考えました。

第二に、それほどの短期間で前向きな結果が出るであろうというダニエルの確信は、神への絶対的信頼から生じていました。

第三に、菜食と水という選択は、神が天地創造の際に人間に与えられた食べ物を指し示していました(創 1:29 参照)。その事実が、たぶんダニエルの選択にも影響を及ぼしています。結局のところ、神が最初に人間に与えられた食べ物よりも良い食べ物が、ほかにあるでしょうか。

      *聖書での数字の10の意味することー律法、復元、修復を代表しています。十戒(出エジプト20章)や、十人の乙女(マタイ25:1)、十人のライ病人(ルカ17:17)、癒し、10枚の銀貨(ルカ15:8)。

神は 4 人のヘブライ人捕虜の忠誠心に報いられ、その結果、10 日間の試験期間が終わったとき、彼らは宮廷の食卓から食べていたほかの学生たちよりも健康そうで、栄養状態も良いように見えました。そこで、神はこの 4 人の僕しもべたちに、「知識と、あらゆる文学を悟る力と知恵」(ダニ 1:17、新改訳)を与えるとともに、ダニエルだけは、「すべての幻と夢を解くことができ(る)」(新共同訳)ようにしてくださったのです。この賜物は、ダニエルの預言者としての働きにおいて、重要な役割を果たすことになります。

神は、バビロンの宮廷のしもべ たちの信仰に報いられたように、私たちがこの世の問題に直面するとき、知恵を与えてくださいます。私たちはダニエルと彼の友人たちの体験から、現代社会の腐敗した要素に染まらずにいることは確かに可能であることを学べます。また、神にお仕えするために、社会やその文化的生活から隔離する必要はないということも学べます。ダニエルと彼の友人たちは、うそ、誤り、神話の上に築かれた文化の中で生活をしただけでなく、そのようなうそ、誤り、神話に基づいた教育を受けました。それにもかかわらず、彼らは忠実であり続けたのです。​​

ダニエル 1 章を見るとき、神に関する極めて重要な教訓をいくつか学ぶことができます。

①神が歴史を支配しておられること。

②私たちの文化や社会の中の敵対的環境を乗り切ることができるように、神が知恵を与えてくださること。

③心の内の確信と生き方を通して神を信頼する者たちに、神は栄誉を与えてくださること。

この章は、「ダニエルはキュロス王の元年まで仕えた」(ダニ 1:21)という指摘で結ばれています。ここでキュロス王が言及されていることは重要です。その言及が、捕囚体験の中での希望を垣間見せているからです。キュロスは、神の民を解放し、彼らがエルサレムへ帰ることを許可するために、神から選ばれた人間でした。

 

ダニエル 1 章は、敗北と捕囚という状況で始まっていますが、希望と帰郷を垣間見せることで終わっているのです。これが私たちの神です。

私たちの人生の最も困難な時にも、神はいつも希望の窓を開き、私たちが苦し

みのかなたにある栄光と喜びを見ることができるようにしてくださいます。

ネブカデネザルの像
<ダニエル2章  歴史の支配者、秘密から啓示へ>

1章では、信仰に堅く立った若者たちがテストを乗り越えたこと、宦官とも良い関係を保ったことなどを学びました。一人一人に果たす役割があって、サタンの世にあって、知恵を天に求めながら、信仰を保ちつつ前進しなければなりません。後に、ダニエル以外の若者が炉の中に投げ込まれるような命に関わる試練もありましたが、彼らは心を一つにして天の知恵の神、救いの神を信頼しました。ダニエルも嫉妬に狂った他の役人たちの策略で、崇拝に関わる濡れ衣でライオンの穴に入れられることとなりました。しかし、神に信頼を置くものには、主は助けを送られる。獅子の口を塞ぐ天使が送られ、無事でした。

2章では、夢の解き明かしですが、王は駄々をこねる子供のように、正しい解き明かしをしないなら、命を取るとまで権力を行使します。誰も解き明かしできないとしもべらがいうと王は怒り、バビロンのすべての知者を滅ぼせとまで命じます。さて、この話は有名なので、ご存知と思いますが、若者たちとの関わりはどうなるか、考察してみましょう。

◾️ダニエル2:1ー16

1 ネブカデネザルの治世の第二年に、ネブカデネザルは夢を見、そのために心に思い悩んで眠ることができなかった。

2 そこで王は命じて王のためにその夢を解かせようと、博士、法術士、魔術士、カルデヤびとを召させたので、彼らはきて王の前に立った。

3 王は彼らにむかって、「わたしは夢を見たが、その夢を知ろうと心に思い悩んでいる」と言ったので、

4 カルデヤびとらはアラム語で王に言った、「王よ、とこしえに生きながらえられますように。どうぞしもべらにその夢をお話しください。わたしたちはその解き明かしを申しあげましょう」。

5 王は答えてカルデヤびとに言った、「わたしの言うことは必ず行う。あなたがたがもしその夢と、その解き明かしを、わたしに示さないならば、あなたがたの身は切り裂かれ、あなたがたの家は滅ぼされる。

6 しかし、その夢とその解き明かしとを示すならば、贈り物と報酬と大いなる栄誉とを、わたしから受けるだろう。それゆえその夢とその解き明かしとを、わたしに示しなさい」。

7 彼らは再び答えて言った、「王よ、しもべらにその夢をお話しください。そうすればわたしたちはその解き明かしを示しましょう」。

8 王は答えて言った、「あなたがたはわたしが言ったことは、必ず行うことを承知しているので、時を延ばそうとしているのを、わたしは確かに知っている。

9 もしその夢をわたしに示さないならば、あなたがたの受ける刑罰はただ一つあるのみだ。あなたがたは一致して、偽りと、欺きの言葉をわたしの前に述べて、時の変るのを待とうとしているのだ。まずその夢をわたしに示しなさい。そうすれば、わたしはあなたがたがその解き明かしをも、示しうることを知るだろう」。

10 カルデヤびとらは王の前に答えて言った、「世の中には王のその要求に応じうる者はひとりもありません。どんな大いなる力ある王でも、このような事を、博士、法術士、カルデヤびとに尋ねた者はありませんでした。

11 王の尋ねられる事はむずかしい事であって、肉なる者と共におられない神々を除いては、王の前にこれを示しうる者はないでしょう」。

12 これによって王は怒り、かつ大いに憤り、バビロンの知者をすべて滅ぼせと命じた。

13 この命令が発せられたので、知者らは殺されることになった。またダニエルとその同僚をも殺そうと求めた。

14 そして王の侍衛の長アリオクが、バビロンの知者らを殺そうと出てきたので、ダニエルは思慮と知恵とをもってこれに応答した。

15 すなわち王の高官アリオクに「どうして王はそんなにきびしい命令を出されたのですか」と言った。アリオクがその事をダニエルに告げ知らせると、

16 ダニエルは王のところへはいっていって、その解き明かしを示すために、しばらくの時を与えられるよう王に願った。

古代世界では、夢をとても真剣に受け止めました。夢が虫の知らせのように思われるとき、それはしばしば間近に迫った惨事を告げていました。

それゆえ、ネブカドネツァルが、(一層不吉なことに、)思い出すことのできない夢にひどく

不安を抱いたのは無理もありません。バビロンの専門家たちは、神々が夢の解釈を示すことができると信じていましたが、ダニエル書のこの夢の場合は、彼らにできることが何もありませんでした。王がその夢を忘れてしまったからです。

もし夢の内容が専門家たちに伝えられたなら、彼らは王を喜ばせる解釈を考え出したでしょう。しかし、王の夢が何に関するものであるのか、王に告げることができない前代未聞の状況の中で、夢の専門家たちは、「これに応じることのできるのは、人間と住まいを共になさらぬ神々だけでございましょう」(ダニ 2:11)と認めざるをえませんでした。

苛立ちに耐えきれなくなった王はバビロンのすべての賢者を殺せ、と命令します。古代世界では、そのような残虐行為が珍しくありませんでした。

 

陰謀のゆえに、ダレイオスⅠ世が占星術師を全員処刑させたとか、クセルクセスが崩落した橋を建設した技師たちを殺害したとか、さまざまな史料が証言しています。ネブカドネツァルが命令を下したとき、ダニエルと彼の友人たちはちょうど訓練を終えたばかりで、王の専門家たちの輪の中に入ることを認められていました。

 

そのようなわけで、王が発した命令は彼らにも適用されたのです。実際、原語は、殺害がすぐに開始され、ダニエルと彼の友人たちも次に処刑されるであろうことを示唆しています。しかしダニエルは、処刑を実行する責任者のアりヨクに「思慮と知恵を持って」(ダニ 2:14)近づきます。

最終的に、ダニエルは王に、夢の秘密を解き明かすために時間を求めました。興味深いことに、王は、「時間」稼ぎをしようとしたまじない師たちは非難したのですが、ダニエルが「時間」を求めるとすぐに与えています。

 

ダニエルは確かに、このような秘密を解くことのできる人間はいません、と王に告げたまじない師たちに同意しますが、この預言者は、夢の内容とともに解釈を明らかにできる神を知っていました。

◾️ダニエル2:17ー23

17 それからダニエルは家に帰り、同僚のハナニヤ、ミシャエルおよびアザリヤにこの事を告げ知らせ、
18 共にこの秘密について天の神のあわれみを請い、ダニエルとその同僚とが、他のバビロンの知者と共に滅ぼされることのないように求めた。
19 ついに夜の幻のうちにこの秘密がダニエルに示されたので、ダニエルは天の神をほめたたえた。
20 ダニエルは言った、「
神のみ名は永遠より永遠に至るまでほむべきかな、知恵と権能とは神のものである。
21 神は時と季節とを変じ、王を廃し、王を立て、知者に知恵を与え、賢者に知識を授けられる。
22 神は深妙、秘密の事をあらわし、暗黒にあるものを知り、光をご自身のうちに宿す。
23 わが先祖たちの神よ、あなたはわたしに知恵と力とを賜い、今われわれがあなたに請い求めたところのものを/わたしに示し、王の求めたことをわれわれに示されたので、わたしはあなたに感謝し、あなたをさんびします
」。

この章では、二種類の祈りが出てきます。第一の祈りは、夢の内容とその解釈を明らかにしてください、とダニエルが神に求めた嘆願の祈りです(ダニ 2:17~19)。その祈りの具体的な言葉はわかりませんが、ダニエルと彼の友人たちは、「他のバビロンの賢者と共に殺されることのないよう、天の神に憐れみを願い、その夢の秘密を求めて祈った」(同 2:18)と記されています。彼らが祈ると、神は彼らの嘆願に応え、王の夢の内容とその解釈を明らかにしてくださいました。私たちが「天の神に憐れみ」を願うとき、この場面ほど劇的な形ではないにしても、その祈りはいつでも応えられると、私たちは安心することができます。ダニエルの神は私たちの神でもあられるからです。

燃える炉からの救出
<ダニエル3章  炉からの救出〜宮廷へ>

礼拝の問題のゆえに死の脅威に直面するなどということは、科学以前の時代、迷信的時代のことのように思えるかもしれません。しかし聖書は、この世が大いに「進歩した」終末時代に、同様のことが起きると、しかも世界規模で起きると明らかにしています。それゆえ、私たちはこの物語を学ぶことで、聖書によれば、神の忠実な者たちが遭遇するであろう問題に対して洞察を得るのです。

​✳️ダニエル3:1-7

1 ネブカデネザル王は一つの金の像を造った。その高さは六十キュビト、その幅は六キュビトで、彼はこれをバビロン州のドラの平野に立てた。
2 そしてネブカデネザル王は、総督、長官、知事、参議、庫官、法官、高僧および諸州の官吏たちを召し集め、ネブカデネザル王の立てたこの像の落成式に臨ませようとした
3 そこで、総督、長官、知事、参議、庫官、法官、高僧および諸州の官吏たちは、ネブカデネザル王の立てた像の落成式に臨み、そのネブカデネザルの立てた像の前に立った。
4 時に伝令者は大声に呼ばわって言った、「諸民、諸族、諸国語の者よ、あなたがたにこう命じられる。
5 角笛、横笛、琴、三角琴、立琴、風笛などの、もろもろの楽器の音を聞く時は、ひれ伏してネブカデネザル王の立てた金の像を拝まなければならない。
6 だれでもひれ伏して拝まない者は、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる
」と。
7 そこで民らはみな、角笛、横笛、琴、三角琴、立琴、風笛などの、もろもろの楽器の音を聞くや、諸民、諸族、諸国語の者たちはみな、ひれ伏して、ネブカデネザル王の立てた金の像を拝んだ。

あの夢からこの像の建設までの間に、幾年かが経過しました。それにもかかわらず、王は、夢と、バビロンがほかの勢力に置き換わるように運命づけられているという事実を、もはや忘れられなかったようです。

 

頭だけが純金であることに満足できなかった王は、自分の国が歴史上ずっと存続することを臣民に伝えるため、全体が純金の像によって象徴させたいと思ったのです。

このような高慢な考え方は、バベルの塔を建てた人たちを思い起こさせます。

彼らは傲慢にも、神御自身に挑戦しようとしました。ここでのネブカドネザルも同様に傲慢です。彼はバビロンの支配者として多くを成し遂げたので、自分の王国が最終的に消え去るという考えを抱きながら生きられなかったのです。

それゆえ、自己称揚の努力の一環として、自分の権力をまざまざと再現し、それによって臣民の忠誠心を評価するために像を建てました。この像が王や神を象徴することを意図したものであったかどうかは定かでないかもしれませんが、大昔は、宗教と政治を区別する線が、(たとえ存在したとしても、)しばしばあいまいであったことを、私たちは覚えておくべきです。

私たちはまた、ネブカドネザルには真の神を知る機会が二度あったことも忘れてはなりません。

第一に、彼は若いヘブライ人たちを試験し、彼らがバビロンの賢者たちよりも十倍優れていることを知りました。

次に、あらゆる専門家が王に夢を思い出させることに失敗したあと、ダニエルが王の心の思い、夢、夢の解釈を伝え、最終的に王は、ダニエルの神のすばらしさを認めました

 

しかし驚くべきことに、それまでの神学的教訓は、ネブカドネザルが偶像礼拝に戻るのを防ぐことができませんでした。なぜでしょうか。十中八九、高慢が原因でしょう。罪深い人間は、自分たちの物質的、知的業績がむなしいものであり、消え去る運命にあるという事実を認めたがらないのです。

 

時折、私たちは自分の業績に意識を向けすぎ、永遠を前にしてそれらがいかに無意味であるかを忘れ、小さな「ネブカドネザル」のように振る舞うことがあるかもしれません。

​私たちは、ネブカデネザルのように、高慢にならず、自分の功績や立場に関わらず、素直に神のみ言葉に付き従いたいと思います。

 

✳️ダニエル3:8-15

8 その時、あるカルデヤびとらが進みきて、ユダヤ人をあしざまに訴えた。
9 すなわち彼らはネブカデネザル王に言った、「
王よ、とこしえに生きながらえられますように。
10 王よ、あなたは命令を出して仰せられました。すべて、角笛、横笛、琴、三角琴、立琴、風笛などの、もろもろの楽器の音を聞く者は皆、ひれ伏して金の像を拝まなければならない。
11 また、だれでもひれ伏して拝まない者はみな、火の燃える炉の中に投げ込まれると。
12 ここにあなたが任命して、バビロン州の事務をつかさどらせられているユダヤ人シャデラク、メシャクおよびアベデネゴがおります。王よ、この人々はあなたを尊ばず、あなたの神々にも仕えず、あなたの立てられた金の像をも拝もうとしません
」。
13 そこでネブカデネザルは怒りかつ憤って、シャデラク、メシャクおよびアベデネゴを連れてこいと命じたので、この人々を王の前に連れてきた。
14 ネブカデネザルは彼らに言った、「
シャデラク、メシャク、アベデネゴよ、あなたがたがわが神々に仕えず、またわたしの立てた金の像を拝まないとは、ほんとうなのか。
15 あなたがたがもし、角笛、横笛、琴、三角琴、立琴、風笛などの、もろもろの楽器の音を聞くときにひれ伏して、わたしが立てた像を、ただちに拝むならば、それでよろしい。しかし、拝むことをしないならば、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。いったい、どの神が、わたしの手からあなたがたを救うことができようか
」。

ドラ(アッカド語で「壁で囲まれた所」の意)の平野に立つ金の像は、その区域が広大な聖所であるかのような印象を与えます。あたかもそれでは十分でないかのように、近くの炉は祭壇を連想させます。バビロンの音楽が儀式には欠かせません。あたかもその崇拝儀礼の完璧さ、有効性を示唆するように、多くの楽器が列挙されています。

今日、私たちは、新しいライフスタイル、新しい価値体系を取り入れ、御言葉の中に示された神の権威に献身する代わりに、現代のバビロン帝国の後継者たちに忠誠を尽くすようにと、四方八方から攻撃を受けます。この世の魅力は、時として圧倒的に思えますが、私たちは、私たちの究極的忠誠が創造主なる神に属することを思い出すべきです。

預言の予定表によれば、私たちは地球史の最後の時代に生きています。黙示録13章は、地球の住民が獣の像を拝むように命じられるだろうと告げています。その存在は、「小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた」(黙 13:16)。

6 種類の人たちが、獣の像に忠誠を誓うと書かれています―「小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも」。獣の数字である 666 も 6 を強調しています。これは、ネブカデネザルによって建てられた像が、終末論的バビロンが終わりの時代にすることの例証にすぎないことを示しているのです(6 と 60 の比喩的表現についてはダニ 3:1 参照)。

それゆえ、私たちは、この物語の中で起きることや、神がいかに主権を持ってこの世の出来事を方向づけておられるかということに、細心の注意を払うことが賢明です。

崇拝というのは何もかしずくことだけではありません。自然界を歩き創造主を思ったり、賛美を歌ったり、毎日や週ごとのデボーション、他の人に愛を示すことなど多くの神を崇めることがあります。

​逆に自分のことにばかり目を向け、み言葉を忘れたり、世の事柄、世の音楽についても気をつけなければなりません。何を優先するかを考えて行動しなければ、他の神々を崇拝することになりかねません。霊的な事柄を優先し、霊的な事柄によって忙しくしているいなら守られるでしょう。

 

✳️ダニエル3:16-18

16 シャデラク、メシャクおよびアベデネゴは王に答えて言った、「ネブカデネザルよ、この事について、お答えする必要はありません。
17 もしそんなことになれば、わたしたちの仕えている神は、その火の燃える炉から、わたしたちを救い出すことができます。また王よ、あなたの手から、わたしたちを救い出されます。
18 たといそうでなくても、王よ、ご承知ください。わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません
」。

王が発した命令に従って、すべての人が楽器の音とともにひれ伏し、金の像を拝みました。その 3 人―シャドラク、メシャク、アベド・ネゴ―だけが、あえて王の言うことに従いませんでした。直ちに、数人のバビロニア人がこの件を王に伝えました。この告発者たちは、次のように言うことで王を激怒させようとします―

①この 3 人の青年にバビロンの行政を任せたのは王自身であり、

②このユダヤ人たちは王の神々に仕えず、

③王が建てた金の像を拝まない、

と(ダニ 3:12)。しかし、3 人に対する激しい怒りにもかかわらず、王は彼らに第二のチャンスを与えます。王は自ら進んですべての式次第を繰り返させ、この青年たちが自分の態度を取り消し、像を拝めるようにしたのです。万一彼らがそれを拒めば、燃え盛る炉に投げ込まれます。

 

そしてネブカドネザルは、非常に傲慢な主張で彼の訴えを締めくくりました―「お前たちをわたしの手から救い出す神があろうか」(ダニ 3:15)。

超自然の勇気に満ちあふれた彼らは、王に答えます。「わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。そうでなくとも、御承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません」(ダニ 3:17、18)。

この三人の若者のような命をかけて信仰を守り通すことは、易しいことではありません。

権力者の言いなりにならなければ、命はありません。預言によりますと、日曜休業令の発令により、日曜日に礼拝しなければ、逮捕されて、死刑という状況になるとEGWは伝えています。

​よくこの話を覚えて、信仰を強めていただき、最後まで諦めずに準備しておきましょう。

 

✳️ダニエル3:19-27

19 そこでネブカデネザルは怒りに満ち、シャデラク、メシャクおよびアベデネゴにむかって、顔色を変え、炉を平常よりも七倍熱くせよと命じた。
20 またその軍勢の中の力の強い人々を呼んで、シャデラク、メシャクおよびアベデネゴを縛って、彼らを火の燃える炉の中に投げ込めと命じた。
21 そこでこの人々は、外套、下着、帽子、その他の衣服のまま縛られて、火の燃える炉の中に投げ込まれた。
22 王の命令はきびしく、かつ炉は、はなはだしく熱していたので、シャデラク、メシャクおよびアベデネゴを引きつれていった人々は、その火炎に焼き殺された。
23 シャデラク、メシャク、アベデネゴの三人は縛られたままで、火の燃える炉の中に落ち込んだ
24 その時、ネブカデネザル王は驚いて急ぎ立ちあがり、大臣たちに言った、
われわれはあの三人を縛って、火の中に投げ入れたではないか」。彼らは王に答えて言った、「王よ、そのとおりです」。
25 王は答えて言った、「
しかし、わたしの見るのに四人の者がなわめなしに、火の中を歩いているが、なんの害をも受けていない。その第四の者の様子は神の子のようだ」。
26 そこでネブカデネザルは、その火の燃える炉の入口に近寄って、「
いと高き神のしもべシャデラク、メシャク、アベデネゴよ、出てきなさい」と言ったので、シャデラク、メシャク、アベデネゴはその火の中から出てきた。
27 総督、長官、知事および王の大臣たちも集まってきて、この人々を見たが、火は彼らの身にはなんの力もなく、その頭の毛は焼けず、その外套はそこなわれず、火のにおいもこれに付かなかった。

忠実なヘブライ人たちを火の中に投げ込んだあと、ネブカドネツァルは炉の中に第四の人がいるのに気づいて当惑します。王が知る限りにおいて、彼はその第四の人物を「神の子」(ダニ 3:25)と見なしています。

王はそれ以上のことを語れませんが、私たちはその第四の人がだれであるかを知っています。彼は、ソドムとゴモラが滅びる前にアブラハムにあらわれ、ヤボクの渡しのかたわらでヤコブと格闘し、燃える柴の中でモーセに御自身をあらわされました。彼は、受肉される前のイエス・キリストでした。苦境に陥った御自分の民とともに神がおられることを示すために来られたのです。

エレン・G・ホワイトはこう記しています。「しかし主はご自身の者たちをお忘れにならなかった。主の証人たちが炉の中に投げ入れられた時に、救い主は彼らにご自身をあらわされた。そして自ら彼らとともに火の中を歩かれた。熱と冷気を支配される主の前にあっては、炎も焼きつくす力を失った」(『希望への光』576 ページ、『国と指導者』下巻 117 ページ)。

神がイザヤ書の中でおっしゃっているとおりです―「水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、焼かれず/炎はあなたに燃えつかない」(イザ 43:2)。

私たちはこのような物語が好きですが、信仰に対する迫害から奇跡的に救い出されなかった人たちはどうなのかという疑問が生じます。聖なる歴史を通じて、しかも現代に至るまで、忠実なクリスチャンたちはひどい苦しみを耐えてきました。少なくともこの地上において、彼らはその苦しみから奇跡的に救出されることなく、痛ましい死を遂げました。ここにあるのは、忠実な者が奇跡的に救われた一つの事例ですが、知ってのとおり、そのようなことはしょっちゅう起こることではありません。

​たとえこの世での命を失い、眠りについたとしても、キリストは復活という希望を与えておられます。1コリント15:12-26には、パウロによって、素晴らしい希望が描かれています。

 

✳️ダニエル3:28-30

28 ネブカデネザルは言った、「シャデラク、メシャク、アベデネゴの神はほむべきかな。神はその使者をつかわして、自分に寄り頼むしもべらを救った。また彼らは自分の神以外の神に仕え、拝むよりも、むしろ王の命令を無視し、自分の身をも捨てようとしたのだ。
29 それでわたしはいま命令を下す。諸民、諸族、諸国語の者のうちだれでも、シャデラク、メシャク、アベデネゴの神をののしる者があるならば、その身は切り裂かれ、その家は滅ぼされなければならない。このように救を施すことのできる神は、ほかにないからだ

30 こうして、王はシャデラク、メシャクおよびアベデネゴの位を進めて、バビロン州におらせた。 

​彼らが神の人に救われると、王は彼らの神を褒め称えます。​王は目が覚め、この三人の若者の信仰の素晴らしさに気づきます。さらには、神を罵る者は厳しく処されるという命令まで出しました。

​神の力の目撃証人となったからです。

ネブカデネザル王
王の2番目の夢
<ダニエル4章 高慢から謙遜へ>

高慢は最初の罪と呼ばれてきました。それは、天の宮廷の天使ルシファーの中に初めてあらわれたものです。

高慢がルシファーを堕落させたので、彼はその高慢を用いて、数えきれない人々を破滅へと導いています。私たちはみな、堕落した人間であり、存在することそのものを神に依存しています。私たちが持つどんな賜物も、その賜物を用いて成し遂げるどんなことも、神からしかもたらされません。それゆえ、実際には、私たちの行うあらゆることを謙遜が支配するべきなのに、私たちはよくもまあ、高慢で、うぬぼれで、尊大でいられるものです。

ネブカドネツァルが謙遜の重要性を理解するには、長い時間がかかりました。燃え盛る炉の中に第四の人があらわれたことでさえ、彼の人生の方向性は変わりませんでした。神が王国を取り上げ、彼を野の獣とともに生活するように追放されたあと、ようやく王は自分の真の立場を認めたのです。

◾️ダニエル4:1-18

 

1 ネブカデネザル王は全世界に住む諸民、諸族、諸国語の者に告げる。どうか、あなたがたに平安が増すように。
2 いと高き神はわたしにしるしと奇跡とを行われた。わたしはこれを知らせたいと思う。
3 ああ、そのしるしの大いなること、ああ、その奇跡のすばらしいこと、その国は永遠の国、その主権は世々に及ぶ。
4 われネブカデネザルはわが家に安らかにおり、わが宮にあって栄えていたが、
5 わたしは一つの夢を見て、そのために恐れた。すなわち床にあって、その事を思いめぐらし、わが脳中の幻のために心を悩ました。

6 そこでわたしは命令を下し、バビロンの知者をことごとくわが前に召し寄せて、その夢の解き明かしを示させようとした。
7 すると、博士、法術士、カルデヤびと、占い師たちがきたので、わたしはその夢を彼らに語ったが、彼らはその解き明かしを示すことができなかった。

8 最後にダニエルがわたしの前にきた、――彼の名はわが神の名にちなんで、ベルテシャザルととなえられ、彼のうちには聖なる神の霊がやどっていた――わたしは彼にその夢を語って言った、
9 「博士の長ベルテシャザルよ、わたしは知っている。聖なる神の霊があなたのうちにやどっているから、どんな秘密もあなたにはむずかしいことはない。ここにわたしが見た夢がある。その解き明かしをわたしに告げなさい
10 わたしが床にあって見た脳中の幻はこれである。わたしが見たのに、地の中央に一本の木があって、そのたけが高かったが、

11 その木は成長して強くなり、天に達するほどの高さになって、地の果までも見えわたり、

12 その葉は美しく、その実は豊かで、すべての者がその中から食物を獲、また野の獣はその陰にやどり、空の鳥はその枝にすみ、すべての肉なる者はこれによって養われた。

13 わたしが床にあって見た脳中の幻の中に、ひとりの警護者、ひとりの聖者の天から下るのを見たが、

14 彼は声高く呼ばわって、こう言った、『この木を切り倒し、その枝を切りはらい、その葉をゆり落し、その実を打ち散らし、獣をその下から逃げ去らせ、鳥をその枝から飛び去らせよ。

15 ただしその根の切り株を地に残し、それに鉄と青銅のなわをかけて、野の若草の中におき、天からくだる露にぬれさせ、また地の草の中で、獣と共にその分にあずからせよ。

16 またその心は変って人間の心のようでなく、獣の心が与えられて、七つの時を過ごさせよ

17 この宣言は警護者たちの命令によるもの、この決定は聖者たちの言葉によるもので、いと高き者が、人間の国を治めて、自分の意のままにこれを人に与え、また人のうちの最も卑しい者を、その上に立てられるという事を、すべての者に知らせるためである』と。

18 われネブカデネザル王はこの夢を見た。ベルテシャザルよ、あなたはその解き明かしをわたしに告げなさい。わが国の知者たちは、いずれもその解き明かしを、わたしに示すことができなかったけれども、あなたにはそれができる。あなたのうちには、聖なる神の霊がやどっているからだ」。

神はネブカドネツァルに第二の夢をお見せになりました。今回、王は夢を忘れませんでした。しかし、バビロンの専門家たちがまたもや失敗したので、王は夢の解釈をさせるためにダニエルを呼び出しました。

 

王が夢の中で見たのは、天に届くほど大きな木で、天使がこの木を切り倒すように命じています。切り株と根だけは地中に残され、天の露にぬれるままにされました。しかし、ネブカドネツァルを悩ませたに違いない部分は、天使が次のように言った部分でした―「その心は変わって、人の心を失い/獣の心が与えられる。こうして、七つの時が過ぎるであろう」(ダニ 4:13〔口語訳 4:16〕)。

 

夢の深刻さを認識したダニエルは、この夢が王の敵に関するものでありますように、と丁重に希

望を述べます。しかし、夢によって伝えられたメッセージに忠実であるダニエルは、実際にはこの夢が王自身に関するものであると言いました。

聖書の中で、木は、王、民、帝国などの象徴(エゼ 17 章、31 章、ホセ 14 章、ゼカ 11:1、2、ルカ 23:31)としてよく用いられています。それゆえ、この大きな木は傲慢な王にふさわしい象徴です。神はネブカデネザルに支配と権力をお与えになりましが、それにもかかわらず、王は自分の所有物がすべて神からもたらされたものであることをいつまでも認めなかったのです。

​◾️19-24節

19 その時、その名をベルテシャザルととなえるダニエルは、しばらくのあいだ驚き、思い悩んだので、王は彼に告げて言った、「ベルテシャザルよ、あなたはこの夢と、その解き明かしのために、悩むには及ばない」。ベルテシャザルは答えて言った、「わが主よ、どうか、この夢は、あなたを憎む者にかかわるように。この解き明かしは、あなたの敵に臨むように。
20 あなたが見られた木、すなわちその成長して強くなり、天に達するほどの高さになって、地の果までも見えわたり、
21 その葉は美しく、その実は豊かで、すべての者がその中から食物を獲、また野の獣がその陰にやどり、空の鳥がその枝に住んだ木、
22 王よ、それはすなわちあなたです。あなたは成長して強くなり、天に達するほどに大きくなり、あなたの主権は地の果にまで及びました。
23 ところが、
王はひとりの警護者、ひとりの聖者が、天から下って、こう言うのを見られました、『この木を切り倒して、これを滅ぼせ。ただしその根の切り株を地に残し、それに鉄と青銅のなわをかけて、野の若草の中におき、天からくだる露にぬれさせ、また野の獣と共にその分にあずからせて、七つの時を過ごさせよ』と。
24 王よ、その解き明かしはこうです。すなわちこれはいと高きものの命令であって、わが主なる王に臨まんとするものです。

27節に注目してください。

高慢がとても危険なのは、おそらく、私たちがあらゆるものをどれほど神に依存しているかを忘れてしまうからです。ひとたびそのことを忘れるなら、私たちは霊的に危険な状態になります。

ダニエルは夢を解釈するだけでなく、この状況を抜け出す方法をネブカドネツァルに指し示しました―「王様、どうぞわたしの忠告をお受けになり、罪を悔いて施しを行い、悪を改めて貧しい人に恵みをお与えになってください。そうすれば、引き続き繁栄されるでしょう」(ダニ 4:24〔口語訳 4:27〕)。


ネブカドネツァルは大規模な建造工事をバビロンで行いました。庭園、運河、多くの神殿、そのほかの建造計画は、この町を古代世界の不思議の一つに変えました。しかし、そのような壮麗さや美しさは、少なくともある程度、奴隷たちから労働力を搾取し、貧しい人たちをなおざりにすることによって実現したのです。さらに帝国の富は、王とその側近たちの享楽を満たすために用いられていました。それゆえ、ネブカドネツァルの高慢は、彼が神を認める妨げになったばかりか、結果として、貧窮している人たちの困難に気づく妨げにもなったのです。神が貧しい人たちに示された特別な配慮を思えば、ダニエルが王の前に明らかにできたはずのほかの罪の中から、彼らをなおざりにした罪だけを選び出したことは、驚くに当たりません。

ネブカドネツァルへのメッセージは、決して目新しいものではありません。旧約聖書の預言者たちは、貧しい人たちを虐げないように、と神の民をしばしば警告しました。王の追放をもたらした罪の中でも、困窮している人たちをなおざりにしたことは際立っています。結局のところ、貧しい人たちへの思いやりは、クリスチャンの慈悲の最高のあらわれであり、逆に、貧しい人たちを搾取し、なおざりにすることは、神御自身を攻撃するのに等しいのです。貧窮している人たちのお世話をすることによって、私たちは、神がすべてを所有しておられることを認めます。つまり、私たちは所有者ではなく、神の財産の管理人にすぎないということです。


私たちの所有物を用いて他人に奉仕することで、私たちは神をほめたたえ、神が主であることを認めます。物質的所有物の価値や機能を究極的に決めるのは、神の所有権であるべきです。この点でネブカドネツァルは失敗しましたが、私たちも失敗する危険性があります。もし私たちが、私たちの功績に対する神の主権を認め、困っている人たちを助けることによって、この現実への認識をあらわさなければ……。

◾️25ー37節

25 すなわちあなたは追われて世の人を離れ、野の獣と共におり、牛のように草を食い、天からくだる露にぬれるでしょう。こうして七つの時が過ぎて、ついにあなたは、いと高き者が人間の国を治めて、自分の意のままに、これを人に与えられることを知るに至るでしょう。

26 また彼らはその木の根の切り株を残しおけと命じたので、あなたが、天はまことの支配者であるということを知った後、あなたの国はあなたに確保されるでしょう。

27 それゆえ王よ、あなたはわたしの勧告をいれ、義を行って罪を離れ、しえたげられる者をあわれんで、不義を離れなさい。そうすれば、あるいはあなたの繁栄が、長く続くかもしれません」。

28 この事は皆ネブカデネザル王に臨んだ。

29 十二か月を経て後、王がバビロンの王宮の屋上を歩いていたとき、

30 王は自ら言った、「この大いなるバビロンは、わたしの大いなる力をもって建てた王城であって、わが威光を輝かすものではないか」。

悔い改めて神の赦ゆ るしを求めるようにと言われたにもかかわらず、ネブカドネツァルの高慢はしぼむことなく、天の宣告が実行されることになりました(ダニ4:25~30〔口語訳 4:28~33〕)。王宮の屋上を歩きながら、自分の成し遂げたものを自画自賛しているとき、王は精神障害を患い、宮廷から追放されざるをえなくなったのです。「狼化妄想症(狼おおかみ憑)」とか「獣化妄想症(憑)」と呼ばれる病的精神状態を、彼は体験したのかもしれません。そのような精神状態の患者は、動物のように行動します。現代では、このような病気を「身体違和」と呼んでいます。自分の体が異なる種の体であるように感じられ、それゆえに動物になりたいと強く思うことです。

残念ながら、ネブカドネツァルはつらい体験をして学ばざるをえなくなります。王権を与えられていたとき、彼は神との関係についてじっくり考えることができませんでした。それゆえに神は、ネブカドネツァルから王権をはく奪し、野の獣とともに生きるように彼を追放することによって、彼が全面的に神に依存していることを自覚する機会をお与えになったのです。要するに、神が傲慢な王に教えたいと願われた究極の教訓は、「天こそまことの支配者である」(ダニ 4:23〔口語訳 4:26〕)ということでした。

 

確かに、王に下された裁きには、神の御計画のはるかに大きな目的がありました。そのことは、天使の宣告の中ではっきり言いあらわされているとおりです―「人間の王国を支配するのは、いと高き神であり、この神は御旨のままにそれをだれにでも与え、また、最も卑しい人をその上に立てることもできるということを、人間に知らせるためである
(同 4:14〔口語訳 4:17〕)。

言い換えれば、ネブカドネツァルに適用された罰は、私たち全員にとっても教訓となるべきものです。私たちも「人間」に属するのですから、学ぶべきこの主要な教訓―「人間の王国を支配するのは、いと高き神であ(る)」―にもっと注意を払わねばなりません。

◾️31-34節

31 その言葉がなお王の口にあるうちに、天から声がくだって言った、「ネブカデネザル王よ、あなたに告げる。国はあなたを離れ去った。

32 あなたは、追われて世の人を離れ、野の獣と共におり、牛のように草を食い、こうして七つの時を経て、ついにあなたは、いと高き者が人間の国を治めて、自分の意のままに、これを人に与えられることを知るに至るだろう」。

33 この言葉は、ただちにネブカデネザルに成就した彼は追われて世の人を離れ牛のように草を食い、その身は天からくだる露にぬれ、ついにその毛は、わしの羽のようになり、そのつめは鳥のつめのようになった。

34 こうしてその期間が満ちた後、われネブカデネザルは、目をあげて天を仰ぎ見ると、わたしの理性が自分に帰ったので、わたしはいと高き者をほめ、その永遠に生ける者をさんびし、かつあがめた。その主権は永遠の主権、その国は世々かぎりなく、

35 地に住む民はすべて無き者のように思われ、天の衆群にも、地に住む民にも、彼はその意のままに事を行われる。だれも彼の手をおさえて/「あなたは何をするのか」と言いうる者はない。

36 この時わたしの理性は自分に帰り、またわが国の光栄のために、わが尊厳と光輝とが、わたしに帰った。わが大臣、わが貴族らもきて、わたしに求め、わたしは国の上に堅く立って、前にもまさって大いなる者となった。

37 そこでわれネブカデネザルは今、天の王をほめたたえ、かつあがめたてまつる。そのみわざはことごとく真実で、その道は正しく、高ぶり歩む者を低くされる。

神は、ネブカドネツァルが奇妙な病気にかかることを許されたものの、最終的に彼を健康な精神状態へ快く回復してくださいました。興味深いことに、すべてが変わったのは、預言者によって予告されていた 7 年の終わりに、病んでいた王が目を上げて天を仰いだときでした(ダニ 4:31〔口語訳 4:34〕)。

 

ネブカデネザルは 7 年の間、全国民の驚きの的であった。彼は 7 年の間、全世界の前で屈辱をこうむった。それから彼の理性が回復されて、彼は心を低くして天の神を見上げ、この懲罰が神の手によるものであることを認めた。彼は公の布告の中で自分の罪を認め、彼を回復させて下さった神の大きな憐あ われみを認めた」(『希望への光』580 ページ、『国と指導者』下巻 127 ページ)。


間違いなく、私たちが目を上げて天を仰ぐとき、大きな変化が起こりえます。理解力が戻るや否や、王はこの教訓を学んだという証拠を示しました。しかしこの物語は、ネブカドネツァルに関する物語というよりも、神の憐あわれみに関する物語です。王は、イスラエルの神を自分の人生の主として受け入れる機会をこれまでに 3 回逃しました。

4 人の若いユダヤ人捕虜の並外れた知恵を認めたとき(ダニ 1 章)

ダニエルが王の夢を解き明かしたとき(同 2 章)、

3 人のヘブライ人青年が燃え盛る炉から救出されたとき(同 3 章)

 

そのような機会が彼に与えられたのです。結局のところ、あのような救出劇を見ても王は謙遜にならなかったのに、どうしたら謙虚になるのでしょうか。この支配者の頑固さにもかかわらず、神は第四の機会を与え、遂に王の心を勝ち取り、彼を王の職に回復されたのです(同 4 章)ネブカドネツァルの場合が例示しているように、神は私たちに、神との正しい関係を回復する機会を次々と与えてくださいます。


何世紀も前にパウロが記したとおり、「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます」(Ⅰテモ 2:4)。私たちはネブカドネツァルの物語の中に、この真理の説得力ある実例を見るのです。

34節からは王自身が高らかに天の神への賛美と体験になっています。

ダニエル5

​ダニエル5章 傲慢から破滅へ



背景:『ダニエルの生涯の晩年になって、彼と彼のヘブルの仲間たちが60年以上も前に捕らえられてきた国に、大きな変化が起こりつつあった。「もろもろの国民の最も恐れて」いたネブカデネザルはすでに亡く(エゼキエル28:7)、「全地の人の、ほめたたえた」バビロンは(エレミヤ51:41)、彼の後継者たちの愚かな配下に移り、徐々にではあるが確実に崩壊していた。』(国、581)
 

聖書はダニエル 5 章において、人間の傲慢というものが衝撃的かつ劇的な形で終わる絶好の実例を示しています。

しかしネブカドネザルは、長い時間がかかったものの、少なくとも自らの教訓を学んだと言えるでしょう。

彼の孫、ベルシャザルは学びませんでした。王宮での飲めや歌えやの大騒ぎに神殿の祭具を用いることで、彼はそれらを汚しました。そのような冒瀆行為(ぼうとくこうい)は、神への挑戦に等しいばかりでなく、神御自身への攻撃に等しいものでした。このようにベルシャザルは自分の罪の器を満たし、小さな角に似た振る舞いをしたのです(ダニ 8 章参照)。

その小さな角は神の聖所の基礎を攻撃しました。神はベルシャザルから支配権を奪うことによって終わりの時に御自分の民の敵に対して成し遂げられるであろうことを前もって示されたのです。ダニエル 5章で語られていることは、紀元前 539 年に、つまりバビロンがメディアとペルシア両軍の前に陥落した夜に起こりました。ここで、ダニエル 2 章で予告されていた金から銀への移行がなされたのです。神がこの世の出来事を支配しておられるということが、改めて明らかになりました。

 



▪️ダニエル5:1-4 「ベルシャザルの宴会」

1ベルシャザル王は、その大臣一千人のために、盛んな酒宴を設け、その一千人の前で酒を飲んでいた。

2 酒が進んだとき、ベルシャザルは、その父ネブカデネザルがエルサレムの神殿から取ってきた金銀の器を持ってこいと命じた。王とその大臣たち、および王の妻とそばめらが、これをもって酒を飲むためであった。

3 そこで人々はそのエルサレムの神の宮すなわち神殿から取ってきた金銀の器を持ってきたので、王とその大臣たち、および王の妻とそばめらは、これをもって飲んだ。

4 すなわち彼らは酒を飲んで、金、銀、青銅、鉄、木、石などの神々をほめたたえた。

王は、エルサレムの神殿の聖なる祭具を飲み物の器として使うように命じました。ネブカドネザルはエルサレムの神殿から祭具を奪いましたが、それらを彼の神の部屋に置いており、そのことは、少なくとも彼が祭具の聖なる状態を尊重していたことを示しています。しかしベルシャザルは、その聖なる器を最も冒瀆的な形で飲み物の器にしてしまいました。

ベルシャザルと彼の貴族たちは、その聖なる器から飲みながら、「金や銀、青銅、鉄、木や石などで造った神々をほめたたえ」(ダニ 5:4)ました。六つの素材が言及されている点は注目に値します。バビロニア人は、今日用いられている(数字の 10 を底とする)十進法ではなく、(数字の 60 を底とする)六十進法を用いていました。それゆえ、六つの種類の神々はバビロンの神々全体を、つまりバビロンの宗教制度の豊かさをあらわしているのです。とても興味深いことに、この素材の順序は、木が粘土に置き換わっていることを除けば、ネブカドネザルの夢に出てきた像の構成要素の順序と同じです。夢の中と同様石は最後に登場します。ここにおいて、石は偶像の組成材料を指していますが、それはまた、バビロンが象徴するこの世の諸帝国に対する神の裁きも連想させます(ダニ 2:44、45)。

  • この宴会は、黙示録で見られるように、終末時代のバビロンを適切にあらわしています。ベルシャザルと同様、終末時代のバビロンの女は、金の杯を持ち、諸国の民に汚れた飲み物を提供するのです。言い換えれば、現代のバビロンは、偽りの教理と歪められた礼拝制度によってこの世を悪へと誘い込んでおり(黙17:4 ~ 6)、裁きが間もなく彼女に下されることは明らかです。いつの日か、裁きは下されます。

  • では、現代のバビロンからの偽りの教理と歪められた礼拝制度に巻き込まれないようにするにはどのようにすればいいのでしょうか。ーみ言葉聖書のみに信頼を置くことです。人の言葉ではなく、神のみ言葉に従うことによってです。どんなに素晴らしい牧師や神学者であっても人間ですから間違いがあるかもしれません。そのような人々の言葉を参考にはしても、それは神の言葉ではありません。サタンは巧みな手を使って騙そうとするので、注意が必要でしょう。

  • また社会や文化においても、神を冒涜していることがあるかもしれません。これもやはり注意深いみ言葉の研究が欠かせないでしょう。祈りと共に気をつけることが求められます。

​▪️ダニエル5:5ー9  

5 すると突然人の手の指があらわれて、燭台と相対する王の宮殿の塗り壁に物を書いた。王はその物を書いた手の先を見た。

6 そのために王の顔色は変り、その心は思い悩んで乱れ、その腰のつがいはゆるみ、ひざは震えて互に打ちあった。

7 王は大声に呼ばわって、法術士、カルデヤびと、占い師らを召してこさせた。王はバビロンの知者たちに告げて言った、「この文字を読み、その解き明かしをわたしに示す者には紫の衣を着せ、首に金の鎖をかけさせて、国の第三のつかさとしよう」と。

8 王の知者たちは皆はいってきた。しかしその文字を読むことができず、またその解き明かしを王に示すことができなかったので、

9 ベルシャザル王は大いに思い悩んで、その顔色は変り、王の大臣たちも当惑した。

ネブカドネツァルが先の危機のたびにしたように(ダニ2:2、4:4〔口語訳 4:7〕)、ベルシャツァルはその不可解な文字を明らかにするため、祈祷師、賢者、星占い師たちを呼び出しました。そして彼らに最善を尽くさせるため、王は次のような法外な名誉を与えると約束したのです。

 

①紫の衣―古代、紫は王族しか着ない色でした(エス 8:15)。

②金の鎖―それは社会的に高い身分であることのしるしでした(創 41:42)。

③王国における第三の支配者の地位。この最後の褒賞は、当時のバビロンの歴史的状況を正確に反映しています。なぜならベルシャツァルは、彼の父親であるナボニドゥスの共同摂政として第二の支配者であったので、第三の地位を提供したのです。

 

 

しかしこれらの魅力的な褒賞にもかかわらず、知者たちはまたもや解釈を提供できませんでした。王は、あらゆる罪に加えて、間違った場所に知恵を見いだそうとしていました。

バビロンの専門家たちは、メッセージの意味を読み取ることができませんでした。それは、彼らの言語であるアラム語で書かれていましたが、当然のことながら、言葉の意味が理解できなかったのです。

 

このことは、主がイザヤを通して語られた言葉を思い起こさせます―「賢者の知恵は滅び/聡明な者の分別は隠される」(イザ 29:14)。この聖句を引用したあと、使徒パウロは言いました。「知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです」(Ⅰコリ1:20、21)。

真理の中には、あまりにも重要なので、人間が独力で解き明かせないように取り除けられているものがあります。それゆえ、代わりに神がそれらの真理を私たちに明らかにしてくださるのです。

▪️ダニエル5:10ー12​

10 時に王妃は王と大臣たちの言葉を聞いて、その宴会場にはいってきた。そして王妃は言った、「王よ、どうか、とこしえに生きながらえられますように。あなたは心に思い悩んではなりません。また顔色を変えるには及びません。

11 あなたの国には、聖なる神の霊のやどっているひとりの人がおります。あなたの父の代に、彼は、明知、分別および神のような知恵のあることをあらわしました。あなたの父ネブカデネザル王は、彼を立てて、博士、法術士、カルデヤびと、占い師らの長とされました。

12 彼は、王がベルテシャザルという名を与えたダニエルという者ですが、このダニエルには、すぐれた霊、知識、分別があって、夢を解き、なぞを解き、難問を解くことができます。ゆえにダニエルを召しなさい。彼はその解き明かしを示すでしょう」。

壁に書かれた不可解なメッセージのために宴会場が混乱に陥ったとき、王妃がやって来て、混乱した王に助言を与えました。彼女は王に、ダニエルのことを思い出させたのです。夢を解釈し、秘密を解き明かす彼の能力は、ネブカドネザルの時代に実証されていました。もしベルシザルが前任者ほど賢かったら、この不可解な文字の意味を知るために頼るべきところを知っていたでしょう。

王妃の介入は必要だったとわかります。この時点で王は、次になすべきことがまったくわからず、途方に暮れているように見えるからです。彼女の言葉は、王国の中で不可解な文字を解釈できる唯一の人物を見逃していることに対して、ベルシャザルを非難しているかのように聞こえます。

 

王妃はまた、ダニエルの履歴を口頭で王に伝えています。この預言者は、聖なる神の“霊”、光、理解力、

神のような知恵、すばらしい精神、知識を持ち、夢を理解し、解釈し、謎を解き、難問を解き、ネブカドネザルの時代に、占い師、祈祷師、賢者、星占い師などの長でした(ダニ 5:11、12)。

ここで私たちは、なぜベルシャツァルはダニエルを無視したのだろうかと、改めて疑問に思います。聖句は、この疑問に直接答えてはくれませんが、私たちはこう推測します。少なくともベルシャツァルの治世の第三年まで仕えたあと(ダニ 8:1、27)、ダニエルはこの時点でもはや現役の働きをしていなかったの

でしょう。一つの要因は、ダニエルの年齢です。彼はたぶん 80 歳ぐらいであり、王は年老いた指導者を若い世代と置き換えたかったのかもしれません。王はまた、ダニエルの神に献身したくなかったので、彼を無視することに決めたのもしれません。しかし理由がどうであれ、ダニエルのような地位にあった人が、

これほど早く忘れ去られてしまったというのは、やはり印象的です。

13 そこでダニエルは王の前に召された。王はダニエルに言った、「あなたは、わが父の王が、ユダからひきつれてきたユダの捕囚のひとりなのか。

14 聞くところによると、あなたのうちには、聖なる神の霊がやどっていて、明知、分別および非凡な知恵があるそうだ。

15 わたしは、知者、法術士らを、わが前に召しよせて、この文字を読ませ、その解き明かしを示させようとしたが、彼らは、この事の解き明かしを示すことができなかった。

16 しかしまた聞くところによると、あなたは解き明かしをなし、かつ難問を解くことができるそうだ。それで、あなたがもし、この文字を読み、その解き明かしをわたしに示すことができたなら、あなたに紫の衣を着せ、金の鎖を首にかけさせて、この国の第三のつかさとしよう」。

17 ダニエルは王の前に答えて言った、「あなたの賜物は、あなたご自身にとっておき、あなたの贈り物は、他人にお与えください。それでも、わたしは王のためにその文字を読み、その解き明かしをお知らせいたしましょう。

聖書はダニエル 5 章において、人間の傲慢というものが衝撃的かつ劇的な形で終わる絶好の実例を示しています。

 

しかしネブカドネザルは、長い時間がかかったものの、少なくとも自らの教訓を学んだと言えるでしょう。彼の孫、ベルシャザルは学びませんでした。王宮での飲めや歌えやの大騒ぎに神殿の祭具を用いることで、彼はそれらを汚しました。そのような冒瀆行為(ぼうとくこういは、神への挑戦に等しいばかりでなく、神御自身への攻撃に等しいものでした。このようにベルシャザルは自分の罪の器を満たし、小さな角に似た振る舞いをしたのです(ダニ 8 章参照)。

その小さな角は神の聖所の基礎を攻撃しました。神はベルシャザルから支配権を奪うことによって、終わりの時に御自分の民の敵に対して成し遂げられるであろうことを前もって示されたのです。ダニエル 5章で語られていることは、紀元前 539 年に、つまりバビロンがメディアとペルシア両軍の前に陥落した夜に起こりました。ここで、ダニエル 2 章で予告されていた金から銀への移行がなされたのです。神がこの世の出来事を支配しておられるということが、改めて明らかになりました。

獅子の穴

<6章からはプレゼンスタイルにしました。クリックすると開きます。>

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