恐ろしい事件が起こると、この疑問を誰もが持つものであると思います。誰の心の中にもその種が潜んでいることを思うと悲しくなりますが、しかしそのためにイエスは、十字架に掛かられた。この方によらなければ救いはありません。(使徒4:12)アーメン!!
この記事をブログに載せるかどうか、迷いましたが・・・・悪を憎むために、また預言者も言葉を残していますので、疑問の解決のために、希望のために、記載することにしました。
『私たちは「犯罪の蔓延」の真っ只中に生きており、神を畏れる思慮深い人々はどこにいてもこれに愕然としています。蔓延している腐敗は、人間の筆力ではとても説明できません。毎日、政治的争い、賄賂、詐欺の新たな暴露がもたらされます。毎日、暴力と無法、人間の苦しみへの無関心、残忍で残忍な人命の破壊という、胸が痛む記録がもたらされます。毎日、狂気、殺人、自殺が増加していることが証明されています。悪魔の力が人々の間でますます活発に働き、心を惑わして堕落させ、体を汚して破壊していることを疑う人がいるでしょうか。』―「癒しの働き」142、143。
私たちの日々はあまりにも、罪悪の蔓延で、子供を持つ若い夫婦はどうやって彼らを育てたらいいのだろうと不安がよぎる日々ではないでしょうか。政治腐敗、重税、年金の減額により、高齢者は本当に生活に不安であろうと推察します。
狂気、殺人、自殺の蔓延、犯罪、暴力、無法、人間の苦しみへの無関心、残忍残虐な人命破壊のニュースを聞くにつれ、なぜ? どうしてそこまで残虐になれるのか?という疑問と共に、人が人としての感覚を失っている現実に気を失いそうです。
実はそれは悪魔の力が益々活発に働いている証拠なのです。人々を苦しみに合わせ、心を惑わし、堕落させ、体を汚して破壊したいのです。
このことの解決法は、聖書しかありませんが、今日は、別の角度からこのサタンの働きを分析したいと思います。
私たちの生きているこの時代は、ダニエル2章の金属でできた像の末期の部分に当たります。まもなく石によってすべてが破壊される直前の時代なのです。サタンは自分の滅びの時の短いことを知っているために、人類を道連れにしようと躍起になっているのです。
彼は、特に性的な部分で隠れた欲望に働きかけます。サタンとその仲間は人々の間に入り込み、日々誘惑をしかけます。特に大都市に住んでいる若者に働きかけ、欲望を満たすために若い女性を襲ったり、ただ殺したい願望を持たせたりします。また薬物による影響も見逃せません。
薬の原語は、
14 世紀後半、farmacie、「体内の余分な体液 (血液を除く) を取り除く薬」、また「薬による治療、薬による治療の理論」、古フランス語 farmacie「下剤」(13 世紀) から、中世ラテン語 pharmacia から直接派生。ギリシャ語 pharmakeia「治癒または有害な薬、治癒または有毒なハーブ、薬物、有毒な薬、魔法 (薬)、染料、物理的または化学的処理の原料」から。
これは pharmakeus (女性形 pharmakis)「薬物の調合者、毒殺者、魔術師」から派生。pharmakon「薬物、毒、媚薬、呪文、魔法」から派生。Beekes は、元の意味を明確に特定することはできず、「この単語は明らかにギリシャ語以前のものである」と書いている。ph- はフランス語では 16 世紀、英語では 17 世紀に復元された (ph を参照)。
Buck [「Selected Indo-European Synonyms」] は、「『毒』を表す語は、継承されたグループを除けば、場合によっては『薬』を表す語と同じである」と述べている。ギリシャ語の他に、ラテン語の venenum「毒」、それ以前の「薬、薬用薬」(スペイン語の veneno、フランス語の venin、英語の venom の語源)、古英語の lybb がある。
つまり、薬は毒物から始まったような印象を受けます。
イエスも病人には医者が必要と言っていますが、私たちの退廃時代の末期症状として、薬物の影響による事件が多発しているのです。自殺も精神薬の影響であることが科学者の間で知られています。親たちが問題のある子供に精神薬を服用させ、自殺に至る子供もいます。悪魔のような残虐な事件の裏にはこの薬物が関わっていることが多いのです。
そうでなくても、壊れやすい心の子供達は、悪魔の心を持ついじめっ子たちにより行き場を失い、命を絶っています。
ところで、教会の背教や腐敗、教会員の性的虐待なども必ずどこにでも起こっていますが、そこには次のような悪魔の働きがありました。悪魔崇拝者の歴史は古いですが、EGホワイトは、次のように記録しています。
『悪魔崇拝者は、キリスト教の聖職者の没落を願って、特に深夜 12 時から午前 3 時まで、長時間にわたって悪魔に祈りを捧げます。彼らは幼いころから子供たちに教え、特に成長するにつれて邪悪なものすべてについて訓練します。また、キリスト教徒が信じていることを教え、彼らが成長すると、人々を罪と地獄に引きずり込むこと、特に性的罪を通して引きずり込むことだけを目的に、キリスト教会に潜入して参加するよう送り込まれます。彼らは真剣で、悪魔の働きに完全に身を捧げています。洗礼を受けた信者であると偽ることさえあります。彼らは誰かを誘惑すると、特に指導者を誘惑すると、報酬を得ます。』(CWG89.6)
表沙汰にできないので、教会内ではわかりません。しかし苦しんでいる人は多いのです。教会でさえもこのような状態なので、キリストを知らない特に日本の異教徒たちにとってはいかばかりか、と思わざるを得ません。
聖書には、性的な事柄が数多く書かれています。特にソドムはその性的腐敗によって神の怒りが激しく降った町でした。
興味深い記事があります。
『預言の「大いなる都」は「霊的に」ソドムとも比較されます。ソドムの堕落は、その公然たる性的不道徳において特に顕著でした。これもまた、この聖句を成就する国の特徴です。
したがって、預言者によれば、1798 年より少し前に、何らかの悪魔的性格の勢力が立ち上がり、聖書に戦いを挑むことになります。そして、神の「二人の証人」の証言が沈黙させられる地では、ファラオの無神論とソドムの性的欲望が明らかになります。』(LF114)
これはどういう意味でしょうか。ソドムは性的不道徳の代表的言葉です。「二人の証人」とは旧約聖書と新約聖書のことを意味します。これは黙示録11章に書かれています。「大きなる都」とは、霊的意味でもっとも大胆に神を否定したエジプトを表しています。
ということは、聖書の証言が沈黙させられるところでは、無神論とソドムの性的欲望があきらかになる、というわけですから、当然神を受け入れないところではそのような結果になるという意味ではないでしょうか。
神の聖霊が働くことができないために、サタンの思うがまま、ということになります。
「神の言葉を踏みにじることは、致命的な結果を招きます。」(同上)
こちら側がどんなに気をつけていても、恐ろしいことは起こるかもしれません。
しっかり神に願うしか方法がありません。
伝道の書9:12 人はその時を知らない。魚がわざわいの網にかかり、鳥がわなにかかるように、人の子らもわざわいの時が突然彼らに臨む時、それにかかるのである。
神のお考えは私たちにはわかりませんが、理解できない苦しみが起こる時、何か理由があって許されるのです。
あるアメリカ人の老夫婦にお会いしましたが、その娘さんは、理由もなく銃に撃たれてなくなったそうです。ちょうどその時は、私も娘を薬物の副作用で亡くして、一年後くらいでしたので、思い出してとても辛かった。今でも、喪失感はあります。しかし復活の希望があります。
世の中には猟奇的な殺人事件が後をたちません。ストーカー殺人事件や、ばらばら事件、その他必ずしも犯人は男性とは限りません。佐世保では、女子高生が同級生を殺害、いずれも、血を見て興奮したり、普通ではありません。悪魔としかいいようのない恐ろしくおぞましい事件が後をたたない。生きる価値もない狂った危険物のよう。動物以下としか思えません。(しかし若い犯罪者は、なぜか、刑務所から出てきます・・・・日本の司法の理解できない部分です。米国では子供でも終身刑があります。)
またある人々は女性や子供を監禁し性的虐待の上、殺害。あるいは、いじめがエスカレートしてとんでもない殺し方をする人々がいます。
これは何を意味するのでしょうか。神を受け入れない人々の結末はこのような、不幸しかないということです。そのような人の家庭はたいてい荒んでいます。お金があっても愛のない家庭、無関心家庭、子供の心は傷つき居場所をなくし、怒りと憎しみが生まれるのです。サタンはそれが目的です。二人の証人が沈黙させられるところには、幸いではなく、災いしか来ません。
気の毒なのは、被害者です。彼らが神の深い愛を知り、心の平安を祈るばかりです。
『しかし、心は一瞬にして清らかさと神聖さから堕落、腐敗、犯罪へと堕落するわけではありません。神の似姿に形作られた者たちを残忍で悪魔的な存在へと堕落させるには時間がかかります。私たちは見つめることで変化します。創造主の似姿に形作られているにもかかわらず、人間は悪に慣れてしまい、かつては嫌悪していた罪が快いものになることがあります。警戒と祈りをやめると、砦である心を守ることをやめ、罪と犯罪へと引き込まれます。肉欲的な心との戦いは絶え間なく続けなければなりません。そして、私たちは神の恵みの精錬の力に助けられなければなりません。神の恵みは心を上へと導き、清らかで神聖な事柄について瞑想するように心を慣らします。』(CTBH127)
『犯罪と残虐行為の胸が痛むような関係は、多くの若者を魅了し、最も邪悪な行為によってさえも、注目を浴びたいという欲望をかき立てる。より厳密に歴史を扱った多くの作品も、その影響力はそれほど大きくはない。こうした著作に描かれた凶悪、残虐、放縦な行為は、多くの人の心に酵母として作用し、同様の行為を犯す原因となっている。人間の悪魔的な行為を描写する本は、邪悪な行為を宣伝している。犯罪と悲惨の恐ろしい詳細を忘れる必要はないし、この時代の真実を信じる者は、その記憶を永続させる役割を担うべきではない。』(CEV75)
『すでに、人は神の要求への服従から解放されるという教義は、道徳的義務の力を弱め、世界に不義の門戸を開いている。無法、散逸、腐敗が、圧倒的な潮流のように私たちに押し寄せている。家庭内ではサタンが働いている。クリスチャンと公言している家庭でさえ、サタンの旗が波打っている。ねたみ、邪推、偽善、疎遠、妬み、争い、神聖な信頼の裏切り、欲望の放縦。社会生活の基礎と枠組みを形成するはずの宗教的原則や教義の体系全体が、今にも崩れ落ちそうな、よろめく塊のように見える。最も悪質な犯罪者が、罪を犯して刑務所に入れられると、あたかも羨望の的であるかのような贈り物やもてなしを受けることが多い。彼らの性格や犯罪は大々的に宣伝される。マスコミは悪徳の忌まわしい詳細を掲載し、他の人々を詐欺、強盗、殺人の実践に駆り立てる。悪徳に熱中し、命をむやみに奪い、不摂生と不道徳があらゆる秩序と程度で恐ろしく増加している。』(DD30)
『残虐と悪徳の怪物ネロが、かつて自分が拷問し、その苦痛の極みに悪魔的な喜びを見出した人々の喜びと高揚を見ている。ネロの母親は、自分の行いの結果を目の当たりにしている。自分の息子に受け継がれた性格の悪しき刻印、自分の影響と模範によって奨励され、発展させられた情念が、世界を震え上がらせた犯罪という実を結んでいるのを目の当たりにしているのだ。。』(GC667)
このネロの母親の通り、残虐者たちというのは、その親たちの影響をうけています。
神のかたちに創造された人々が悪魔的存在になるには、時間がかかると書かれている通りです。
しかしそれを防ぐ道もあるのです。希望がないわけではなかったのです。
今後、世の中は目まぐるしく変化すると思います。子供達の心が壊れつつある今日、彼らのために私たちにできることは、祈りと伝道です。
親たちが自分のことのために忙しくし、子供のことはお構いなしの親がいます。社会的マナーを教えられない親たち、怒鳴り散らすことしかできない親たち、この親たちも実は被害者ですが、
サタンはそれを喜んでいます。
実は、神の介入がなければどうしようもないところまで来ているのです。
東日本大震災の被災者たちでさえ、レイプ事件があったことが知られています。天変地異がおこっても愚かな男たちがいるということを私たちは知っておくべきです。特に若い女性や母親、女の子たち、どうか、親切そうな男がいても絶対に信用しないでください。牧師であっても同様です!!たくさんの性的な事件がおこっているのです!!
都会であっても田舎であっても男性には気をつけること。クリスチャンであっても、偽物が多いので、気をつけること。自分の家族であっても、残念ながら信頼できない部分があるのです。
悲しい現実ですが、今はそのような末期時代、退廃した時代に生きているということ。
このことを念頭において、激動の2025に向かっていかねばならないでしょう。
犯罪はもっと増えます。薬物の乱用、化学物質の乱用、食品添加物、体と脳に影響する食べ物によって人の脳は狂い、善悪の判断がつきにくくなり、認知の歪みがでてきます。人の食欲や性欲はサタンの狙い所なのです。食欲を制することのできない人は、不節制なので、これは健康の原則に反しています。体が汚れるのでそれだけ脳も弱り活力も弱り、すなわち、堕落しやすくなります。病気になりやすくなります。
来年2025年がどのような年になるのでしょうか、再臨信徒にとっては、驚くべき年になるのかもしれません。なぜなら、獣の像はすでに出来上がっています。あとは、米国大統領次第だ、ということです。
イエスは神殿を二回も清められました。それには理由があります。
私たちの体は宮です。聖霊に清めていただかねばなりません。と同時に、薬をやめ、自然療法を探ること、そして、食べ物によって体を清めなければなりません。体と心と精神を
み言葉に従って清めてください。
『あなたがたは神の宮であって神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。もし人が、神の宮を破壊するなら、神はその人を滅ぼすであろう。なぜなら、神の宮は聖なるものであり、そして、あなたがたはその宮なのだからである。』1コリント3:16-17
健康のメッセージは、当サイトの「健康メッセージ」に情報をたくさん載せています。
時が非常に短くなっています。緊急性を毎日感じます。どうぞ、ご自分の宮清めに関心を払っていただきたい。救いの確信を学びと祈り、日々の献身と新生を願いつつ聖霊のバプテスマが注がれますように。
アーメン!!
アクセスありがとうございます。
祝福をお祈りします。
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