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執筆者の写真hosanaministry

イエスと清め、義認と聖化(2)

更新日:2024年12月26日



前回は、イエスの聖所の清めを中心に46年と3年の意味を考えました。

後半は、それがなぜ重要であるか、また義認と聖化にどのように関係しているかを調べます。イエスはその宣教中に二回、神殿(聖所)を清められました。


では、後半部分の学びにはいります。このイエスの二度の清めとタイトルにある、義認と聖化との関係は一体なんでしょうか。このことを理解するために、前回の46年と3年の理解が必要でした。






























*ダニエル8:14

二千三百の夕と朝の間である。そして聖所は清められてその正しい状態に復する」。

この聖所というのは、天の聖所のことを意味します。


キリストの体は教会を意味します。キリストは神殿を壊し、3日で建てると言われました。

*ルカ24:7(マタイ16:21、17:23、20:19、・・・)

人の子は必ず罪人らの手に渡され、十字架につけられ、そして三日目によみがえる、と仰せられたではないか」


46年かかって建てられた神殿は、異教徒の建てた神殿でした。神の栄光のない宮です。














神殿はイエスの体を表し、しかしそれが壊されると3日で建て直される意味は、イエスの死と復活を意味しました。


ところで、人間の染色体の数をご存知でしょうか。23個の対になっていて、全部で46個あるそうです。これは偶然でしょうか。



イエスの意味されるところは、私たちの体も聖所であり、清められなければならないというものです。この世のものは何一つ神聖なものがありません。天の要求は聖なることです。

私たちの体はきよいでしょうか? 23対23の染色体は、ちょうど聖句と聖句によって、教訓に教訓、規則に規則、と対になって清められるようなものです(イザヤ28:9-10)。

以下の聖句も真理を求める人には重要。

*2コリント2:13

「この賜物について語るにも、わたしたちは人間の知恵が教える言葉を用いないで、御霊の教える言葉を用い、霊によって霊のことを解釈するのである。」


レビの聖句では、人々の汚れを、犠牲の血を七回注いで汚れを除き、聖別したことが書かれています。

*レビ16:19

また指をもって七たびその血をその上に注ぎイスラエルの人々の汚れを除いてこれを清くし、聖別しなければならない。


*レビ16:30

この日にあなたがたのため、あなたがたを清めるために、あがないがなされ、あなたがたは主の前に、もろもろの罪が清められるからである。


イエスが1844年に天の至聖所に入られて、今聖所のきよめがなされています。

聖所のはたらきについてご存知のかたはお分かりと思いますが、聖所は日々の務めと年に一度の大贖罪日がありました。今は年に一度の霊的な大贖罪日です。これは、罪の処理が終わるまでです。「最後のあがない」(初代文集410),「特別な贖い」(レビ16:30)、「特別な清め」(大争闘140)です。


イエスは、神殿を二度清められました。従って私たち自身の神殿は何度清められなければなりませんか? 二度清められなければなりません。

それは、どういう意味でしょうか。


それは、「義認」と「聖化」です。

✳️「義認」・・・信仰によって義とされること。罪の告白と悔い改め、神に全的降伏、罪から離れることを意味します。これが最初の清めです。

神のみ霊が思いと心を支配すると、改心した人は新しい歌をうたいだす。それは神のみ約束が彼の経験の中で成就されたからであり、彼の不義は許され、罪がおおわれたからである。彼は、神の律法を犯したことを神に対して悔い改め、人を義とするために死なれたキリストを信じたのである。彼は「信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得」たのである(ローマ5:1)。」(「患難から栄光へ」、希望1537p)


ですから、自分を責めないでください。神が不義をゆるされたのに、なぜ自分を罪深いとせめるのでしょうか。もし、罪を犯したならば、心からの悔い改めをすればいいのです。大切なことはみ言葉に生きることです。隠れた罪は、悔い改めなければ天の書から消されません。


✳️ 「聖化」・・・・聖化とは、罪に対する勝利を意味します

 「真の清め(聖化)は、聖書が教えている教義である。使徒パウロは、テサロニケ教会への手紙の中で次のように言っている。「神のみこころは、あなたがたが清くなることである」。そして、「どうか、平和の神ご自身が、あなたがたを全くきよめて下さるように」と祈っている(テサロニケ第一・4章3節、5章23節)。聖書は、清めとは何であって、どのようにしてそれに到達できるかを、はっきりと教えている救い主は、弟子たちのために祈って、「真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります」と言われた(ヨハネ17章17、19節参照)。使徒パウロは、信者たちに、「聖霊によってきよめられ」るようにと教えた(ローマ15章16節)。」(大争闘、27章 )


さらにコリントの聖句もお読みください。

*1コリント6:11

あなたがたの中には、以前はそんな人もいた。しかし、あなたがたは、主イエス・キリストの名によって、またわたしたちの神の霊によって洗われ、きよめられ、義とされたのである。

*同上9節-10節

9それとも、正しくない者が神の国をつぐことはないのを、知らないのか。まちがってはいけない。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、10 貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者は、いずれも神の国をつぐことはないのである。


ここに生き残りのために5つのステップを書いておきます。

  1. 回心救いはキリストの召しに始まる。ヨハネ12:32「そして、わたしがこの地から上げられる時には、すべての人をわたしのところに引きよせるであろう」。  『イエスは続けて言われた、「『今はこの世がさばかれる時である。今こそこの世の君は追い出されるであろう。そして、わたしがこの地から上げられる時には、すべての人をわたしのところに引きよせるであろう』。イエスはこう言って、自分がどんな死に方で死のうとしていたかを、お示しになったのである」(ヨハネ12:31~33)。いまは世界の危機である。もしわたしが人類の罪のためにあがないの供え物となれば、世は明るくなるであろう。人の魂をとらえているサタンの束縛はたちきられるであろう。けがされた神のみかたちは人性のうちに回復され、信じる聖徒たちの家族はついには天国を嗣ぐであろう。


    これがキリストの死の結果である。救い主は、目の前に浮かぶ勝利の光景について瞑想にふけられる。主は十字架が、それも残酷で不名誉な十字架が、あらゆる恐怖を伴っているにもかかわらず、栄光に輝いているのをごらんになる。』(各時代の希望、68章、1002)

  2. 告白放蕩息子のように、神に戻る。ルカ15:11-32

  3. キリストの赦しを受け入れる不信仰の許しを願う。マルコ9:23-24

  4. キリストが私たちに対して罪を犯していないように見られることを受け入れる。1ヨハネ1:9。義人とみなしてくださるのに、罪を許してください、と言ったにも関わらず、罪悪感を抱き続ける人がいますが、イエスの許しを受け入れてください。許しを信じてください。また多くの人は降伏したといいますが、彼らはそれを信じていません。過去を振り返らない。1ヨハネの聖句にある通り、すでにきよめられています。確信と自信をもってください。

  5. 罪から離れる決意をするヨハネ5:14 「もう罪を犯してはなりません。


アーメン!!🙏

















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