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執筆者の写真hosanaministry

イースター、復活祭

更新日:2024年11月2日




日曜教会は、イエス・キリストが復活された日曜日を聖日、礼拝日としています。


また、復活祭は、祝ってもいいのでしょうか。



日曜教会はすでに律法を捨て去っているので、サタンは相手にしていません。


最も攻撃を受けるのは、セブンスデー・アドベンチスト教会です。なぜなら、律法を守る教会だからです。特に第四条の安息日礼拝です。



さて、イースターという名前はどこから来たのでしょうか。


ウィキペディアで調べると、その起源をぼかしています。あまりはっきり書いてなくて、知らない人が読むならおそらくこれはキリスト教の祭りと勘違いするような内容でした。クリスマスに並ぶ大事な行事とか書かれているサイトもあります。



キリストが復活した日を祝うのが何が悪い!と言わんばかりの説明ばかりです。



以下は歴史的なことを教えています。



『復活祭をイースターと言うのは,アングロ・サクソン民族

(ゲルマン民族の一部)の言語,習慣に由来するものです。

ローマ帝政時代のヨーロッパ西北部はゲルマン民族の勢力範囲で

彼らは固有の宗教・慣習を持っていました。

その一つが厳しい冬が去ってキラキラと陽光が輝き新しい生命の息吹が

あふれる春の到来を祝うお祭でした。

春の女神を祝うものとも言われています。

この女神或いはその祭の名前は彼らの言葉でOSTARAとかEOSTRE或いは

EOSTURと呼ばれておりましたが,これがドイツ語でOsternとなり

英語ではEasterになったものです。


ローマ教会は,これら北方の異民族(キリスト教徒でない)の宣教にあたり

これらの民族の慣習等にはかなり柔軟に対応してきたといわれています。復活祭の季節がちょうど異民族の春の祭と時期的に同じであった事,

そしてキリストの死と復活が冬を克服して新しい生命の誕生を喜ぶこととイメージが重なり合い異教徒には受入れられやすかった事などでその習慣と言語を取り入れたと言われています。』ネット検索より。


これが最も有力と考えています。ローマ教会は、ローマ時代から民衆の人気取りのために言わば、民衆の伝統の祭りを聖書に基づかずに、勝手に融合させてしまったわけですね。また他の日曜教会でも

疑いもなく取り入れたわけです。信者獲得のためですね。



さて、私は、SDAではどうなのか、と英文のEGWのサイトで検索しました。

英文ではEasterは確かに言及されています。しかし証のふみの中で、日本語ではこの言葉は削除されていたんですね・・・・・・😆 どうしてでしょうか? わかりません。おそらくイエズス会が検閲したのでしょうか。。。2007年初版の「希望への光」を執筆された廣田牧師とはよく話しましたが、

このことについては、数日前に発見したので、残念です。


 その省かれた箇所は、大争闘、21章、「世俗化と快楽追求」のハワードクロスビーから始まる4段落目、「・・・」のところです。


 原文訳: 


ハワード・クロスビーはこう述べています。「今日、神の教会は世に求愛している。その信者は世を不信心者のレベルに引きずり下ろそうとしている。舞踏会、劇場、裸体芸術、わいせつな芸術、道徳の乱れた社交の贅沢が、教会の神聖な囲いの中に入り込んできている。そして、このすべての世俗性に対する満足感として、キリスト教徒は四旬節や復活祭、教会の装飾に力を入れている。これはサタンの古い策略である。ユダヤ教会はその岩にぶつかり、ローマ教会は同じ岩にぶつかって崩壊した。そしてプロテスタント教会も急速に同じ破滅に近づいている。」



また、原文には「付録」が付いていますが、日本語訳には付録は付いていません。


この付録には、三箇所、イースターに言及されていました。しかしここでも1888版のみでした。1914版は削除されています。



『注9 ローマの司教たちは、非常に早い時期から、すべての教会に服従を求め始めた。このことは、復活祭に関する東方教会と西方教会の論争が顕著に物語っている。この論争は2世紀に起こった。この世紀のキリスト教徒は、キリストの死と復活を記念して記念祭を祝っていた。キリストの死の記念日として祝われた日は、過越の日と呼ばれた」。ユダヤ人と同様、キリスト教徒も 「聖なる晩餐を記念して子羊を配る神聖な祝祭 」を祝った。小アジアのキリスト教徒たちは、ユダヤ人が過越の祭りを祝い、キリストが弟子たちとともに過越の小羊を食べたとされるユダヤの最初の月の14日に、この祭りを守っていた。その3日後には、復活を祝う祭りが行われた。一方、西方諸教会では、ユダヤ教の過越の祭りの翌日の日曜日にキリストの復活を祝い、日曜日の前夜に牧神祭を執り行い、キリストの死と復活の記念を結びつけた。


復活祭を牧師のいうがままに祝うのが、神のよしとされるところか、そうでないか、

判断するのは、個人個人です。


さらには、クリスマスも同様ですね。12月25日は異教徒の女神の誕生日ですし、

聖書には何の証拠も書かれていません。伝道のために利用しているだけです。皆知っていてやっています。伝道はキリストの方法でしか成功しません、と書かれています。


アーメン!!

祝福をお祈りします。











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