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執筆者の写真hosanaministry

エリヤの霊(1)




今、世界は背教の渦中です。しかも20億以上。その中に真の神の民が少数ながら生きています。いつの時代のも神の側と悪魔サタン側の2種類の人々がいます。

真の神の民は、律法を守ります。誰を礼拝し、いつ礼拝するかということは大きな問題です。


*出エジプト31:13

あなたはイスラエルの人々に言いなさい、『あなたがたは必ずわたしの安息日を守らなければならない。これはわたしとあなたがたとの間の、代々にわたるしるしであって、わたしがあなたがたを聖別する主であることを、知らせるためのものである。


*エゼキエル20:20

わが安息日を聖別せよ。これはわたしとあなたがたとの間のしるしとなって、主なるわたしがあなたがたの神であることを、あなたがたに知らせるためである。


この聖句からも分かる通り、神の民は安息日を守ります。十戒の第四条です。世界のクリスチャンは、キリストの復活した日曜日聖日を守っていますが、彼らは自分たちの聖日を聖書から証明することができず、それを求めると感情的になって攻撃してきます。一度、XTwitterで攻撃されました。カトリックの信者でしたが、聖書から裏付けができず、馬鹿馬鹿しいと片付けられました。裏付けとなる聖句によって証明がなされないならばそれは誤りです。


*1コリント10:11

これらの事が彼らに起ったのは、他に対する警告としてであって、それが書かれたのは、世の終りに臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためである。」


エリヤの時代紀元前870年から今日に至るまで、民は背信し、律法を踏みにじってきたという背景にあって、預言者エリヤの記録は、正義のために召された大勢の人々に霊感や勇気を与えてきました。


現代にあっては、コリントの聖句のように、すでに世の終わりが目前に控え、私たちにとっても特別の意味があります。歴史は繰り返されているのです。世界にはアハブやイゼベルのような人物が人物がいて、エリヤの時代と同様現代も偶像礼拝の時代にあります。富、名声、快楽、生まれ変わらない心の傾向は、間違った方向に向かっています。また食欲性欲も含まれます。LGBTQで狂っています。トランプさんが軍隊から彼らを排除すると言ってました。


さて、クリスチャンと言っても多くの人は、終わりの時に不安で仕方ない人もいるようです。

 『キリストに従う者であると自称している人々の中には、不安で心配な心を持っている人が多いが、それは彼らが自分自身を神にまかせきれないからである。彼らは神に完全に屈服しない。それは彼らがこのような屈服に含まれている結果を避けるからである。彼らは、この屈服をしないかぎり平安を見いだすことができない。』(各時代の希望、34章)


キリストははじめから終わりまで見通されています。たくさんの救いの約束も与えておられます。終わりの時のできごとについて心配している人が多いでしょうが、不安な心は祈りと学びで克服できます。


現代に生きる私たちですが、預言者エリヤからの学びは多いです。彼は天に上げられた人物でした。失敗もありましたが、神は最後まで見放すようなことはされなかった。彼も失敗した時、心配し命をとってくださいと神に祈ったほどでした。しかし天に上げられました。終わりの時、1テサロニケ4:16-18に書かれている通り、神の印を押された人は、天にあげられます。


世の終わりにはこれまで体験したことのないような試練や苦難があるでしょう。どのように主に頼るのでしょうか。日曜日礼拝をしない者には圧力がかかります。主の約束を学ばなかった人、神に信頼する信仰を培って来なかった人々は、売り買いが禁止されるとすぐに妥協するでしょう。政府の言いなりにならないなら、牢獄にいれられ、最後には死刑宣告の法律が作られるのです。しかし主は見放されません。エリヤはうつ状態になりましたが、立ち上がりました。預言者の学びは本当に重要です。預言者は神の命令には絶対服従でした。しかし神は憐れみと恵みを特別に示されます。


預言者エリヤから学びたいと思います。神の部族から来たこのエリヤの経験を学び、経験に倣い、神の恵によって、神の印を受け、天に行くことができると信じます。当時の時代背景は急速に配信が広まり、悪い王たちの出現の最中にありました。イスラエルは自ら進んで主から離れました。それでも主は憐れんで国家を破滅から救うため最大の預言者を起こされたのでした。


*列王記17:1

ギレアデのテシベに住むテシベびとエリヤはアハブに言った、わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられます。わたしの言葉のないうちは、数年雨も露もないでしょう」。』


ギレアデは、ガドの部族に属します。

*ヨシュア記21:38

ガドの部族のうちからは、人を殺した者の、のがれる町であるギレアデのラモテとその放牧地、マハナイムとその放牧地」


逃れる町、あるいは逃れの町は、誤って人を殺した人々が復讐から逃れる町のことです。

なぜ出身のことを学ばねばならないのでしょうか。神の民は神の部族から来て、神の印を受けます。彼らは罪を克服します。エリヤは神の部族からきました。

列王記条17:1の後半部分は、北の10部族イスラエル王国は、アハブによってこれまでの王にまさって主を怒らせる偶像崇拝を行いました。それにより、主は預言者エリヤに数年雨も梅雨もふらないことを伝えて譴責されたのです。数年とは、何年でしょうか。

答えは(2)に書いています。雨が降らないことは、聖霊の注ぎがあるかどうかに関連しています。


*マラキ4:5-6

5見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。

6 彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる。これはわたしが来て、のろいをもってこの国を撃つことのないようにするためである」。


これは現代に適用できます。この現代に送られる預言者エリヤは何を意味しているのでしょうか。主がエリヤを遣わして、アハブに飢饉の伝令を命じられました。つまり、同様に現代のエリヤは残りの民のために、使命と伝道とメッセージという形で私たちに与えられるのではないでしょうか。


エリヤは、人里離れた寂しい山ににすんでいましたが、下界を眺め人々の背信を嘆いていました。主は彼の祈りを聞かれエリヤをおこされましたが、今、現代のエリヤが必要です。マラキ6節の「国」は明らかに残りの民ではないでしょうか。残りの民が残れるように、エリヤを送られて彼らが滅びないように備えられるのです。



ほぼ全世界が背教しているこの時代に、神は使者たちに、エリヤの霊と力で神の律法を宣べ伝えるよう呼びかけています。洗礼者ヨハネがキリストの最初の降臨に人々を準備させる際に十戒に注意を促したように、私たちははっきりと次のメッセージを伝えなければなりません。神を畏れ、神に栄光を帰せ。神の審判の時が来たからである。預言者エリヤと洗礼者ヨハネの特徴である真剣さで、私たちはキリストの再臨に道を備えるよう努めなければなりません(The Southern Watchman、1905 年 3 月 21 日)。』


アーメン!!













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