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キリストの再臨運動に対する神の目的(2)

  • 執筆者の写真: hosanaministry
    hosanaministry
  • 3月12日
  • 読了時間: 8分



最後の神の民も、黙示録14:12の「神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ち続ける聖徒の忍耐がある」を証明し、サタンに勝利、神に栄光を帰す❣️ということを体験します。

そして生きて、主を迎えるグループとなります。


さて、旧約聖書に最後の時代は象徴的に何と描写されていたのでしょうか。

7箇所あります。私たちの確信を強め、また、タイトルと関連し絵、多くの学びがあります。預言の象徴的美しい表現が、解説されています。


1 ゼカリヤ12:2-3・・・エルサレムすべての民に対して重い石とする

 「見よ、わたしはエルサレムを、その周囲にあるすべての民をよろめかす杯にしようとしている。これはエルサレムの攻め囲まれる時、ユダにも及ぶ。

その日には、わたしはエルサレムをすべての民に対して重い石とする。これを持ちあげる者はみな大傷を受ける。地の国々の民は皆集まって、これを攻める。


 最後の戦いにおいて国々を打ち砕く、人手によらず切り出された石である(ダニエル2章)。

はじめに人間はちりからつくられた。ちりに熱が加えられて石になるように、人間は、圧力や試練によって精錬されて国々をうちくだく重い石とされる。


キリストはご自分の民を通してサタンの王国をうちやぶる(黙示録2:27)。「彼は鉄のつえをもって、ちょうど土の器を砕くように、彼らを治めるであろう。それは、わたし自身が父から権威を受けて治めるのと同様である」。



2 イザヤ41:14-16・・・イスラエルは虫に等しいものと言われているが、主は新しい脱穀機とされる。

 主は言われる、「虫にひとしいヤコブよ、イスラエルの人々よ、恐れてはならない。わたしはあなたを助ける。あなたをあがなう者はイスラエルの聖者である。

見よ、わたしはあなたを鋭い歯のある新しい打穀機とする。あなたは山を打って、これを粉々にし、丘をもみがらのようにする。

あなたがあおげば風はこれを巻き去り、つむじ風がこれを吹き散らす。あなたは主によって喜びイスラエルの聖者によって誇る。


この表現はダニエル2章と同じ。虫は最もいやしい、無用なものと思われる。しかし、神はこのような虫に等しい民を「新しい脱穀機とする」と言われる。それは収穫のためである。最後の大収穫をする機械となる。しかも「新しい」と言われる。


昔の方法で農耕はなされない。次々に新しい機械で、大規模な働きがなされる。世界の人口は恐ろしい勢いで増加している。福音宣伝は「新しい」「神ご自身の方法で」「義をもってすみやかに終わる」のである。後の雨によって、「教会は光と義の完全な武装をして、最後の働きに入るのである」(TM17)


最後の働きは昔ながらのくわで働くのではない。近代農業は耕運機、トラクター、ユンボ、ブルドーザーですみやかに働きがなされるように、最後の働きは聖霊、後の雨によって、すみやかに終わる!


3 ゼカリヤ10:1-5(特に3節)・・・軍馬にする

 1あなたがたは春の雨の時に、雨を主に請い求めよ。主はいなずまを造り、大雨を人々に賜い、野の青草をおのおのに賜わる。

2 テラピムは、たわごとを言い、占い師は偽りを見、夢見る者は偽りの夢を語り、むなしい慰めを与える。このゆえに、民は羊のようにさまよい、牧者がないために悩む。

3 「わが怒りは牧者にむかって燃え、わたしは雄やぎを罰する。万軍の主が、その群れの羊であるユダの家を顧み、これをみごとな軍馬のようにされるからである。

4 隅石は彼らから出、天幕の杭も彼らから出いくさ弓も彼らから出、支配者も皆彼らの中から出る。

5 彼らが戦う時は勇士のようになって、道ばたの泥の中に敵を踏みにじる主が彼らと共におられるゆえに彼らは戦い、馬に乗る者どもを困らせる


黙示録19:11→白い軍馬に乗って戦われる方はイエスである。いつ、主はご自分の馬を持たれるでしょうか。後の雨に、神の民が応答した時である


4 雅歌6:10・・・軍隊のようになる。

「このしののめのように見え、月のように美しく、太陽のように輝き、恐るべき事、旗を立てた軍勢のような者はだれか」。


 軍隊の目的は戦うことにある。ヨエル2:1-11では、後の雨を受けた神の民が強い軍隊として描かれている。


地上が黙示録18章の天使の栄光によって明るくされる時、宗教的要素、善と悪は眠りからさめる。そして、生ける神の軍隊が勝利するのである。」(7BC983)

 

まもなく出陣の合図が与えられる。旗を立てた軍勢はどこに待機しているだろうか?。


5 オバデヤ17、18、ゼカリヤ12:6・・・火のようになる。

 17 しかしシオンの山には、のがれる者がいて、聖なる所となる。またヤコブの家はその領地を獲る。

18 ヤコブの家は火となり、ヨセフの家は炎となり、エサウの家はわらとなる。彼らはその中に燃えて、これを焼く。エサウの家には残る者がないようになると主は言われた。

ゼカ12:6 その日には、わたしはユダの諸族を、たきぎの中の火皿のようにし、麦束の中のたいまつのようにする。彼らは右に左に、その周囲にあるすべての民を、焼き滅ぼす。しかしエルサレムはなお、そのもとの所、すなわちエルサレムで、人の住む所となる。


 御業は、「山火事のような早さで」「いなずまのごとく」短期間に終わると言われている。


聖霊は、彼らに栄光を与える。モーセのように栄光によって輝く!悪天使でさえおののく。


聖霊の賜物が豊かに、十分に、完全に教会に注がれ、火の壁となって教会を囲む。陰府の力も打ち勝つことはできない。彼らの、汚れのない、純潔な、しみもない完全さをごらんになって、キリストはご自分の苦しみ、屈辱、愛の報いとしての民をご覧になり、すべての栄光が輝く大中心のキリストの栄光の補遺(追加)としてごらんになる。」(TM18)。



6 ゼカリヤ9:12-13・・・望みを抱く捕われ人、イスラエルは、戦いの時の、弓、矢、剣とされる。


 望みをいだく捕われ人よ、あなたの城に帰れ。わたしはきょうもなお告げて言う、必ず倍して、あなたをもとに返すことを。

わたしはユダを張って、わがとなし、エフライムをそのとした。シオンよ、わたしはあなたの子らを呼び起して、ギリシヤの人々を攻めさせ、あなたを勇士のつるぎのようにさせる。


7 聖所の奉仕においては、レビ16:21ー[fitman]定めておいた人と言われている。

 

 イスラエルの罪が除去された後、罪はアザレルの山羊に告白されて負わせられる。そして定められた人の手によって、人里離れたところに連れて行かれ、二度と戻ることのないようにされた。キリストが民の心から罪を除去されて、聖霊に満たされた民は印される。印された民(144,000人)を通して神の敵を引っ張っていく。つまり、支配するように民を使われるのである。彼らは自分自身を制し、自我に勝利したので、サタンを支配する資格が与えられる。サタンは神の民に罪を犯させて逃げ口上をもうけようと苦闘する。しかしできない


聖所の奉仕を通して、神がどのように罪を処理して、ついに人をもとの純潔さに回復し、イエスのご品性を擁護し、サタンの挑戦に答えるかを教えている。


「聖所の清め」によって、それが成就する。

我々は裁きの時に住んでいる。最後のあがないの日に住んでいるのである。


以上が、キリストの再臨に対する運動をおこされた理由である。

単なる一教派ではない。



世界では、大いなる挑戦がなされています。誰がこの獣と戦うことができようか?」(黙示録13:4)これは、大敵ゴリアテの叫びでもあるのです。

戦いの相手というのは、つまり法王教、背教プロテスタント、心霊術(黙示録16)ですがすでに戦う準備ができています。私たちはどうですか?準備はできていますか?


まもなく、神は永遠の目的を成就されます。

キリストの再臨運動に属することは何という特権でしょうか。


前回も書いていますが、キリストはご自分の体である、民に頼っておられます。なぜでしょうか。それ以外にサタンの挑戦に応える方法がないからです。

それ以外にご自分のご品性である愛、義とあわれみを表現する方法がないのです。

なぜ、そんなに教会に頼っておられるのでしょうか。それは教会を愛しておられるからです。愛の存在するところに信頼が存在するからです。

私たちなしには生きていけないと思うほどに愛しておられるのです。

民がいなければ、全天は、危機にさらされます。


それほど私たちを愛しておられ、頼っておられるのです!!


彼の愛に神の民の共同体として応答するのは、神の愛を仰ぎ、私たちを通してご自分の栄光を表そうと待っておられることを知り、どれほど私たちに頼っておられるかを知る時です!!


1)雅歌2:7・・・宗教改革は完全な覚醒ではなかった。

2)雅歌3:5・・・再臨運動も完全な覚醒に至らなかった。

3)雅歌8:4・・・ラオデキヤは応答します。最後の教会はラオデキヤと表現されていますが、必ず100%応答し、144000としてキリストのご品性を完全に反映します。


〜我々が主を愛する時にのみ、我々は主に信頼するのだ! 我々は義とされるために彼に頼るのである! 主も「自らを義とされる」ために我々に頼っておられる!〜



再臨、再臨、と人々は言いますが、自己中心的な救いの考えではなく、イエス中心的な救いの考え方をすべきです!!


「世の中で最も幸福な人は誰か。世の数々の不幸を乗り越えた人である。世の中で本当に喜ぶことにできる人は誰か。涙の味を知った人である。世の中で最も強い人は誰か。自分の弱さを知っている人である。」




アーメン!!


アクセス感謝します!!

祝福と憐れみを祈ります。













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