*ヨハネ8:32
「そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう。」
神は、私たちに真理による自由を保証されています。自由の授与者は神です。
一方サタンは、偽りと強制によって人間を虜にしています。
聖書には、日曜休業令に関する預言の言葉があります。聖書で獣とは、政治勢力を表します。特に黙示録13章の海からの獣は冒涜的です。「彼は口を開いて神を汚し、神の御名と、その幕屋、すなわち、天に住む者たちとを汚した。」(黙示録13:6)。新約聖書において冒瀆とは、神との平等を要求することや(ヨハ10:33、マタ26:63~65)、神の権威を奪うこと(マコ2:7)を意味します。海の獣は、キリストの執り成しの働きを、救いと、冒瀆の本質である罪や行為の赦しを与えると主張する、人間の司祭職に置き換えることで無効にするのです。神にのみ属するこのような権力を横取りすることが、冒瀆の本質です。ということで、これは歴史的にも本質的にもローマ法王教に適用できます。
*黙示録13:11ー15
11 わたしはまた、ほかの獣が地から上って来るのを見た。それには小羊のような角が二つあって、龍のように物を言った。
12 そして、先の獣の持つすべての権力をその前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷がいやされた先の獣を拝ませた。
13 また、大いなるしるしを行って、人々の前で火を天から地に降らせることさえした。
14 さらに、先の獣の前で行うのを許されたしるしで、地に住む人々を惑わし、かつ、つるぎの傷を受けてもなお生きている先の獣の像を造ることを、地に住む人々に命じた。
15 それから、その獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。
「小羊のような角が二つ」ー「政治的権力」と「宗教的権力」を意味します。小羊とは、キリストの象徴なので無害に見えます。米国は世界で初めてこの二つの自由を持ち合わせて建国された国でした。しかし言い換えれば、上記の赤い字は権力と礼拝ということを示しています。
ところで建国の父祖たち、清教徒たち(ピルグリム・巡礼者)がオランダを去り、新大陸に出航する際、ジョン・ロビンソンの告別説教は的を得ています。
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『非キリスト教的暗黒から最近出てきたばかりのキリスト教会に、一時に完全無欠の知識が輝き出ることはあり得ないからである』というのは、ヨーロッパにおける改革者たちがローマ教から離れ、ルーテル教会やカルバン派などの様々な教派に別れていきましたが、確かに、よちよち歩きのプロテスタント教会から、完全無欠の知識が輝き出ることはあり得ません。神の真理は漸進的です。さもないと、消化不良をおこすでしょう。
⚫️ 礼拝日
礼拝日に関して、日曜礼拝をしている人々に日曜礼拝の根拠を聖書から示してくださいというと怒り出す人がいます。なぜなら聖書から日曜日礼拝の裏付けの聖句を示すことができないからです。
『今、プロテスタントの側では、キリストが日曜日に復活されたから日曜日がキリスト教徒の安息日になったと主張している。しかし、その聖書的証拠はない。キリストや使徒たちも、この日をそのように尊んではいない。日曜日をキリスト教の制度として遵守することは、すでにパウロの時代に活動しはじめた「不法の秘密の力」にその起源を持つ(テサロニケ第二・2章7節)。しかし主は、いつ、どこで、この法王権の子とも言うべき日曜日の制度を迎え入れられたのであろうか。聖書が認めていない変更に対して、どのような確かな理由をあげ得るであろうか。』大争闘上49p。
*2テサ2:7 不法の秘密の力が、すでに働いているのである。ただそれは、いま阻止している者が取り除かれる時までのことである。
*ダニエル7:25 彼は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時と律法とを変えようと望む。聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる。
(カトリックはAD4世紀に、日曜礼拝が始まりました。彼らは十戒も書き換えました。)
⚫️米国の変貌
米国の権力と繁栄の秘訣は「共和主義」&「プロテスタント主義」でした。
つまり、米国の歴史において自由の追求がありました。「政治の自由」と「宗教の自由」、王のいない政治と強制のない宗教でした。また政教分離の政治形態です。
『共和主義とプロテスタント主義が、国家の根本原則となった。これらの原則が、その権力と繁栄の秘訣である。全キリスト教国の、圧迫され踏みにじられた人々が、関心と希望を抱いてこの国に目を向けた。幾百万という人々がその岸辺にやってきて、米国は、世界で最も強い国の一つに数えられるまでになった。』大争闘下160、161)
しかし、上記13章の聖句にある通り、「国家がものを言う」ことは、立法と司法の活動においてでした。
『この象徴の持つ、小羊のような角と龍のような声は、ここであらわされている国家の宣言と実行との著しい矛盾を示すものである。国家が「物を言う」とは、その立法および司法権の活動のことである。米国は、そのような行為によって、国家の方針の基礎として宣言した自由と平和の原則を裏切るのである。それが「龍のように」語り、「先の獣の持つすべての権力」を働かせるという預言は、明らかに、それが、龍やひょうに似た獣によって象徴される国々があらわした狭量と迫害の精神を持つようになるということを予告している。
そして、二つの角を持った獣が「地と地に住む人々に、……先の獣を拝ませ」るという言葉は、この国が権力を行使して、法王権に対する礼拝行為となるような何かの遵守を強要することを示している。』(同上)
米国のニュースを見ると、すでにこの力は働いていて、プロジェクト2025というヘリテージ財団の作ったトランプ政治を裏で支えるような規定が作成されています。
この規定が作られた理由は現在の米国が道徳的腐敗や米国民主党があまりにも自由を受け入れすぎて、LGBTQ、暴力の蔓延、移民の問題が浮上しそれを抑制するため、というトランプ政治に向けた専制政治的規定集です。
トランプは自分はそれを知らないとか、読みたいくないとか言っていますが、それを作った人々は、前回のトランプ政権の時に下で働いていた人々によります。しかも彼らはキリスト教ナショナリスト
『プロジェクト2025(英語:Project 2025)としても知られている2025年大統領移行
プロジェクト(英語:2025 PresidentialTransition Project) は、ヘリテージ財団が組織したイニシアティブである。2024年の大統領選挙でドナルド・トランプが勝利した場合に、アメリカ合衆国連邦政府を再構築して行政権を強化するために、保守派と右派の一連の政策提案を推進することを目的としている。アメリカ合衆国憲法第2条と統一行政理論を下に、行政府全体が大統領の直接の統制下にあると主張している』
トランプの背後にある宗教的勢力はエバンジェリカルと呼ばれる福音派です。キリスト教ナショナリズムの人々は日曜日に教会へ行くことを強制することを目標にしています。彼らが安息日と呼んでいるのは日曜日のことなのです。そのような人々が大勢全米に散らばっていて、この運動は水面下で広がっています。
画像はカマラ・ハリスですが、彼女もプロジェクト2025のことを暴露しています。
『このような行動は、この政府の原則、自由制度の精神、独立宣言の率直厳粛な言明、そして憲法に、全く相反するものである。米国の建国にあたった人々は、世俗の権力が教会のことに用いられて、その当然の結果として狭量と迫害が起こることを避けようと、賢明にも努めた。憲法には、「国会は、宗教の設立に関する、もしくはその自由な活動を禁ずる法律を制定してはならない」、また、「合衆国のいかなる公職につくにあたっても、その資格として、宗教的条件を課してはならない」とある。国民の自由を擁護するこれらの条項にはなはだしく違反することなしには、国権は、どんな宗教的法令も施行することはできない。しかし、そのような矛盾した行動をとることは、象徴に示されているとおりである。小羊のような角を持った獣は、純潔柔和で悪意のないことを公言しながら、龍のように物を言うのである。
「地に住む人々を惑わし……(彼らに)獣の像を造ることを……命じた」。ここに、立法権が国民にある政体が明示されている。これは、合衆国が預言に示された国であるというきわめて顕著な証拠である。』(同上)
黙示録13章の聖句は、このプロジェクト2025が獣の像である(ことは明らかではないでしょうか。
⚫️ 良心の自由
植民地が創設されてから11年後にロジャー・ウィリアムスが米国にやってきました。
彼は「近代のキリスト教世界において、良心の自由、法の前における意見の平等という教義に基づいて政府を制定した、最初の人物」でした。
『ウィリアムスは、「近代のキリスト教世界において、良心の自由、法の前における意見の平等という教義に基づいて政府を制定した、最初の人物であった」。犯罪を抑止することは行政長官の義務であるが、人間の良心を支配してはならないと、彼は宣言した。彼は次のように言った。「公衆または行政長官は、人間と人間との間の義務を決定するが、彼らが神に対する人間の義務を規定しようとするならば、それは越権行為であって、安全ではあり得ない。なぜならば、もし長官にその権威があれば、朝令暮改の誤りを犯すことは明らかだからである。英国において、さまざまな国王や女王が行ったように、また、さまざまな法王やローマ教会の会議が行ったように、信仰は、非常な混乱に陥るであろう」。』(同上、上巻378-379)。
政治と宗教が結びつくならば、良心は強制という圧力に潰され、自由がなくなるのです。
なぜなら、法的束縛が実行されるからです。
カトリックによって真の安息日が日曜に変えられ、今後、米国にて日曜日教会出席が強制されることになります。
現在日曜教会に行っている人は、「自分たちは問題ない」などと考えていれば、それは獣の像を拝んでいることとなり、獣の刻印を意味します。
聖書はそのことを警告しているのです。獣の印は永遠の死を意味するのではなかったですか・・・・😨😱 私たちが望んでいるのは神の刻印の永遠の命ではなかったですか?
救いは個人的選択によります。神の側か、サタンの側か、
創造の記念日である7日目安息日(創世記2:1-3)は聖別されています。
「こうして天と地と、その万象とが完成した。
神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。
神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。これが天地創造の由来である。」
この記事に関して、まだまだ不足のあるブログですが、強制は来年米国で始まるとすぐに世界に広がると思います。日本にはすぐにやってくると思います。トランプに浮かれている大多数の人々は裏側をみないので、驚くかもしれません。サタンを甘く見ると危険です。
すでに韓国でも戒厳令が出されたり、別の意味での政府による弾圧が始まっています。マタイ24章やルカ21章の預言に注意を払いましょう。
アーメン!!
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