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執筆者の写真hosanaministry

ユダ・イスカリオテとイエス

更新日:2024年11月2日




教会の中には色んなタイプの人々がいます。

罪を捨てられない人、漢字が読めない人、真に真理を求めている人など。


特に、罪を捨てられない人について、私たちは自分の罪を含め、イエスがどのようなことを教えられたか、自分の体験を交えて記録しておきたいと思います。


身近なクリスチャンに、アルコールをやめない人がいます。仕事もそれに関連したものです。でもとても良い面を持つ方。

教会の中高を卒業した人でありますが、クリスチャン基準をあまりご存知でない様子。

あるいは知っていても、実行されていないのかもしれません。


私の伝道にこの方が関わっているので、気を揉みました。言うべきか言わざるべきか・・・


麦と毒麦の譬え話を思い起こします(マタイ13:24-30)。神は毒麦と一緒に私たちが最後まで成長することを望んでおられます。

さらに、イエスは裏切り者のユダにあっても、彼を裁くのでもなく、足まで洗われたのです。このことを思うと私たちの石の心は肉の心に変えられないでしょうか。




教会内にクリスチャンの名に値しない人々がいるからといって、世の人々がキリスト教の真理を疑ってもよいという理由にはならない。また、クリスチャンもにせ兄弟がいるからといって失望すべきではない。初代教会はどうであったであろうか。アナニヤとサッピラは、弟子たちの仲間に入っていたのである。魔術師のシモンもバプテスマを受けた。パウロを去ったデマスも、信者であると思われていた。イスカリオテのユダは、使徒の1人に数えられていた。あがない主は、魂を1人でも失うことを望まれないのである。イエスとユダとの経験は、かたくなな人間の性質をイエスがどれほど忍ばれたかを示すために記録されたものである。主は、わたしたちにも、ご自分と共に忍ぶことを命じておられる。にせ兄弟は、世の終わりに至るまで教会の中に残るであろうと主は言われるのである。』(キリストの実物教訓、4章、庭園の雑草)



救い主はユダの心をお読みになり、ユダが神の恵みによって救われなければ不義の深みに沈んでしまうことをご存じだった。この男をご自分に結びつけることによって、イエスは、ご自身のわきあふれる無我の愛に日々ふれることのできるところに彼を置かれた。もしユダが心をキリストに向かって開くなら、神の恵みは利己主義という悪鬼を追い出し、たとえユダでも神のみ国の住民となるかもしれない。』(各時代の希望817.)


愛の神イエスの本心は、どんな魂に対しても、一人も滅ぼされることなく・・・なのです。このイエスの忍耐と思いを知るなら、誰でも人を許せるようになれると思います。


あらゆる機会をとらえて、神は学びを下さる。

ホサナミニストリーと関わる方が、ふるいの時も、どんな時も、堅く立って、

最後まで忠誠を保つことができますように。























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