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執筆者の写真hosanaministry

印されるために。(1)




クリスチャンとして、最も関心を払わなくてはならない事柄は、神の印を受けることではないでしょうか。では、神の印とはなんですか? 安息日を守る人々が受けるしるしです。


◼︎日曜休業令の本質ー「獣の刻印」とローマ

では、なぜ再臨信徒が日曜休業令に注意を払っているのでしょうか、またこの本質とはなんでしょうか。


ローマ教会は、その至上権の主張を撤回してはいない・・・・彼らは、「聖書、しかも聖書のみが、プロテスタントの宗教である」という、彼らをローマから隔てている原則そのものを無視するのである。法王教徒は、彼らがこの事実に故意に目を閉じて分たちを欺いているのを見ることができる。日曜休業運動が世に迎えられるにつれて、法王教徒は、やがては全プロテスタント世界がローマの旗の下にくだることを確信して喜ぶのである。

 ローマ教徒は、「プロテスタントの日曜日遵守は、彼らが、それとは気づかずに、〔カトリック〕教会の権威に従っているのである」と宣言している。プロテスタント諸教会が、日曜日遵守を強要することは、法王制、すなわち獣を拝むことを強要することである。』(大争闘、513p)


つまりこれは獣の像を崇拝することを意味します。

ローマがその至上権のしるしとして選んだものを尊重する時に、人々は、それによって、ローマに対する忠誠のしるし、すなわち獣の刻印」を受けるのである。こうして、この問題が人々の前に明らかに示されて、神の戒めと人間の戒めのどちらかを選ばねばならなくなった時、それでも神の戒めを犯し続ける人々が、「獣の刻印」を受けるのである。」(同上)


*黙示録13:15-17

15 それから、その獣の像に息を吹き込んで、その獣の像が物を言うことさえできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。

16 また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ

17 この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。 


米国が上記の聖句の通り、日曜休業令の運動の主導権をとることになりますが、全世界はこの模範に従うようになります。

これは、神の民が直面する危機であって、人類史上で最も暗い、暗黒の時をもたらすのです。多くの人々は信仰を捨てるでしょう。神の民にとっては彼らが最も苦い敵となるのです。「神の民によっては、試練の夜、嘆きの夜、真理のために迫害を受ける夜となる。しかし、その暗黒の夜から、神の光が輝くのである。」(実物教訓 1350)


現代の真理をよく理解している牧師たちは、日曜休業令が出た時は準備が遅すぎるかもしれないと言っています。


◾️神が提供されたもの

ノアの箱舟がもっともはっきりとした神の提供されているものの型となっています。

*マタイ24:37-39

37 人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。

38 すなわち、洪水の出る前、ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。

39 そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう。


これはどのような意味でしょうか。確かに、キリストが再臨されて地上が崩壊するまで食い、飲み、めとりとつぎなどをしています。キリストが再臨されすべてが崩壊してやっと気づく人々もいるのです。

わたしは多くの人々が集まっている夢を見た。終末の時に、その神殿に逃れた人々だけが救われるのであった。外に残っている者は皆、永遠に失われるのであった」(初代文集161ページ)。


その神殿に逃れた人々だけが救われるとはどのように理解したらいいのでしょうか。宮の中にはいり、生ける神の印を受ける人々だけが救われます。

キリストによって、天の聖所の門は開かれています。キリストはすべての人が印をうけられるように道を備えられました。「すべての用意ができました。さあ、婚宴へおいで下さい」という招きの呼びかけはすでに発せられているのです。


残念ながら、無視と無知によって、現実的に考えられず、未だに教会へ行けば救われると考えている人々が多いという現実があります。とても残念です。私たちにできることは祈りをすることだけです。牧師の言うことしか聞かなくなっているので、私ごときの話など聞く人はほんとうに数えるだけの人々しかいません。




◾️聖所における備え

神の印を受ける前に私たちは大いなる備えの働きに携わるため聖所の周りに集まるよう呼びかけがなされています贖いの日、イスラエル人は聖所のまわりで、祈りと断食、深い心の探索とをもって集まらなければなりませんでした。私たちも同様です。レビ記16章、23章に書かれています。身を悩ますほどに深い悔い改めと罪から離れる決意をしなければ民は断たれました。

*レビ記16:31

31 これはあなたがたの全き休みの安息日であって、あなたがたは身を悩まさなければならない。これは永久に守るべき定めである。

*レビ記23:29

29 すべてその日に身を悩まさない者は、民のうちから断たれるであろう


現在、キリストは天の聖所で執り成しをされていますが、1844年に天の至聖所にはいられその務めをされています。1844年は象徴的に贖いの日にはいったことを示しています。またモーセの時代に大祭司が至聖所にはいったことと同様のことを意味していますので、現代は「贖いの日」にあたります。ですから、私たちはイスラエル人が体験したように、身を悩まし、祈り、断食、心の探索が求められています。目的は当然、品性の完全性に向けての努力です。聖霊にお願いしなければなりません。贖いの日のイスラエルの民の前例を真に受け入れない人は後で後悔することになるでしょう。


キリスト者となり、神のものとなり、神に嘉(よみ)されるということは、生やさしいことではない。主は、現代の真理を信じると言いながら、生活が、その言うところと一致していない人々を私にお示しになった。彼らの信仰の基準はあまりにも低く聖書の聖潔にははるかに及ばない。むなしい行状にふけり、利己心をほしいままにしているものもある。われわれは、自分を喜ばせ、世の中の人々と同様の生活と行動をなし、世の快楽にふけり、世の中の人々との交わりを楽しみながら、キリストとともにみ国で支配することを期待することはできない」(初代文集113ページ)。


それからわたしは、全能の神の審判が急速に降るのを見た。そしてわたしは、天使が彼の言葉で人々に語るように天使に嘆願した。すると天使は言った。『神のみ言葉の明らかな真理に動かされない者は、シナイ山の雷鳴や稲光でさえも動かすことはできない。また、天使の言葉さえも、彼らを目覚めさせることはできない」(初代文集119ページ)


何が人々を動かすのでしょうか。

大いなる試練が来る時には、もう遅すぎるのです。

神の率直な真理の言葉以外私たちを動かしうるものはないのです。


天使は『自己を否定しなさい。あなたがたは早く進まなければならない』と言った。ある者は真理に接し、一歩一歩進んでいき、進む度に次に進む力が与えられた。しかし、今や、時はほとんど過ぎ去り、これまで数年かかって学んだことは、数ヶ月で学ばなければならない。また、彼らは前に学んだ多くのことを捨て去り、多くのことを学ばなければならない。布告が出される時に、獣とその像の刻印を受けたくない者は、否、われわれは獣の制度を尊重しないと明言する決心を今、しなければならない」(初代文集144ページ)。


悔い改めの門に導かれ、私たちのすべての罪が裁きに先立って送られるように、イエス・キキリストを捉えなければならないのです。

いずれ、「偽りの後の雨」もあります。その時、第二の幕屋の内に錨を下し、イエス・キリストに従い贖いの日のために備えの働きにキリストと協力する者のみが、すべての教会、「麗しい地」(現在の霊的イスラエル、残りの教会)をも襲う偽りの後の雨の汚れた影響から逃れることができるのです。(大争闘下巻464p、初代文集424p)


◼︎災害・・・・サタンの欺瞞。

海や陸における事故や災害、大火災、激しい突風、すさまじい降雹、嵐、洪水、たつまき、津波、地震など、あらゆる場所に幾多の形でサタンは力をふるっている。彼は取り入れまぎわの収穫を全滅させ、飢饉と困窮を引き起こす。彼は空気を恐るべき病毒で汚染させ、幾千人もの人が悪疫で死ぬ。これらの出来事はますますひんぱんになり、悲惨なものになる。破滅は人間にも、動物にも及ぶ。「地は悲しみ、衰え、……天も地と共にしおれはてる。地はその住む民の下に汚された。これは彼らが律法にそむき、定めを犯し、とこしえの契約を破ったからだ」(イザヤ書24章4、5節)。』(大争闘下352p)


こういった一連のできごとを経て、印する働きが始まります。これらの兆候は少しずつあらわれているようです。世界では毎日毎日何かがおきています。テロ事件、津波、地震、飛行機事故・・世の終わりのしるしなので、少なくなることはないでしょう。


◾️印する働きの始まり 

*1テサロニケ5:4

しかし兄弟たちよ。あなたがたは暗やみの中にいないのだから、その日が、盗人のようにあなたがたを不意に襲うことはないであろう。


これは神のお約束です。獣の刻印を受ける法令が出る時、神は民の救いのために特別な方法で介入なさいます。至聖所におられるキリストに信仰によって従い、預言の成就をきよい信仰によって見守ってきた者たちはそのことを理解します。

*黙示録3:3

だから、あなたが、どのようにして受けたか、また聞いたかを思い起して、それを守りとおし、かつ悔い改めなさい。もし目をさましていないなら、わたしは盗人のように来るであろう。どんな時にあなたのところに来るか、あなたには決してわからない


この警告は言い換えると、目を覚ましていたら彼は盗人のようにやってこないということになります。獣の刻印を受ける法令が発布されると神の民はしるしを理解します。全地の人々は獣の刻印を受ける時が完全に到来したと理解します。このことは、もう一つの刻印を受ける時が来たということを民は悟るのです。それは神の印です。


まもなく、生ける者の裁きの大いなる働きが開始されます今、その日のために備えるよう求められている学びを怠り、清められていない野望に心を支配されないように気をつけるべき時です。


主は私に、恩恵期間の終了する以前に、獣の像が作られていることをはっきりと示されていた。それは神の民にとって大いなる試練となり、それによって彼らの永遠の運命が決定されるようになるからである。・・・・神に忠誠を尽くし、偽の安息日を受け入れることを拒んだすべての者は、エホバの神、王の旗のもとに集まり、生ける神の印を受ける。天に起源を持つ真理を曲げ、日曜安息日を受け入れる者たちは獣の印をうけるのである」(バイブルコメンタリー7巻976ページ)。




賢い

このことは、信仰によってイエスに従い至聖所にはいる人々にあっては、その時を悟るということです。つまり信仰によって神の裁きに入り行き勝利を得る体験をするからです。10人の乙女のことを意味しますが、「夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。」(マタイ25:6)と書かれています。これは2種類の人々に向けられています。5人の乙女たちは油の準備ができていませんでした。他の5人の賢い乙女たちは十分に油の準備ができていました。つまり愚かな乙女たちというのは、突然の非常事態に対する備えができていなかったのです。彼らは神の約束に対する信仰がなかったのです。彼らは聖所に入れなかった!!彼らは天使の「備えよ!備えよ!備えよ!」の警告に従っていなかったのです。


おそらく法令が出される時のことを「この事件が起こる時に、そして大いなる危機が到来する時に備えの働きをしよう」と自らに言い聞かせてきたのかもしれません。しかしそれでは愚かな乙女たちのように神の印を受ける備えをするのは手遅れなのです!!


賢い乙女たちは、婚姻に入ります。彼女たちは勝利を受けるために裁きに入ります。この裁きの体験は神の民の生活の中におけるはっきりとした体験です。イエスが天の裁きの座において彼らの名前を呼ばれる時、地上では神に忠実な民がイエスに信仰によって従い、聖所の周りで心を悩ます経験をするのです。


(「◾️印する働きのはじまり」は、長いので、その2に続きます。)



アーメン!!

アクセスありがとうございます。

祝福をお祈りします。














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