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執筆者の写真hosanaministry

印されるために(2)

更新日:1 日前



前回からの続きです。


◾️印する働きの始まり (続き)

御座にいます聖なるお方が天の書物をゆっくりと開かれ、彼の目が個人個人の上に止まる瞬間、その一瞥は魂の奥底まで入り行く。その同じ瞬間、裁かれている者は、各々の語ったすべての言葉、思い、生涯におけるすべての行動が彼らの脳裏に、あたかも目の前を火の字で示された幻を見るように鮮明に過ぎ去るのである」(教会への証 4巻 385ページ)


わたしはある者たちは、強い信仰と嘆きの叫びをもって神に嘆願しているのを見せられた。彼らの表情は青白く、深い不安のあとがみられ、内なる葛藤を表していた。また同時に確固たるものと非常な熱心さが現れていた。大粒の汗が額から流れ落ちた」(初代文集269ぺーじ英文)


この場面は、神の民にそれぞれの全生涯の記録を見せられている場面です。イエスが裁きにおいて彼らの罪を取り去るためにひとりひとりの名前を取り上げられる時に、聖霊は地上において神の民の魂の内なる至聖所に入り、彼らの生涯のすべての記録を彼らに示されます。


大祭司ヨシュアの話を覚えておられることと思います。預言者ゼカリヤの幻です。

*ゼカリヤ3:1-10

1 時に主は大祭司ヨシュアが、主の使の前に立ち、サタンがその右に立って、これを訴えているのをわたしに示された。

2 主はサタンに言われた、「サタンよ、主はあなたを責めるのだ。すなわちエルサレムを選んだ主はあなたを責めるのだ。これは火の中から取り出した燃えさしではないか」。

3 ヨシュアは汚れた衣を着て、み使の前に立っていたが、

4 み使は自分の前に立っている者どもに言った、「彼の汚れた衣を脱がせなさい」。またヨシュアに向かって言った、「見よ、わたしはあなたの罪を取り除いた。あなたに祭服を着せよう」。

5 わたしは言った、「清い帽子を頭にかぶらせなさい」。そこで清い帽子を頭にかぶらせ、を彼に着せた。主の使はかたわらに立っていた。

6 主の使は、ヨシュアを戒めて言った、

7 「万軍の主は、こう仰せられる、あなたがもし、わたしの道に歩み、わたしの務を守るならば、わたしの家をつかさどり、わたしの庭を守ることができる。わたしはまた、ここに立っている者どもの中に行き来することを得させる。

8 大祭司ヨシュアよ、あなたも、あなたの前にすわっている同僚たちも聞きなさい。彼らはよいしるしとなるべき人々だからである。見よ、わたしはわたしのしもべなる枝を生じさせよう。

9 万軍の主は言われる、見よ、ヨシュアの前にわたしが置いた石の上に、すなわち七つの目をもっているこの一つの石の上に、わたしはみずから文字を彫刻する。そしてわたしはこの地の罪を、一日の内に取り除く。

10 万軍の主は言われる、その日には、あなたがたはめいめいその隣り人を招いて、ぶどうの木の下、いちじくの木の下に座すのである」。


ここでは3章の詳細についての説明はしませんが、この幻の意味することを理解することが重要です。教会への勧告からの要約があります。主とヨシュアとサタンの天における法廷での場面です。


「ヨシュアが天使の前で嘆願していたように、残りの教会も、砕かれた心と熱心な信仰をもって彼らの助け主、イエスを通して、ゆるしと救いを嘆願するのである。彼らは自分たちの生涯が罪に汚れていることを十分に自覚し、自分の弱点や無価値さを見、自分自身を眺める時、絶望しがちである。誘惑者はヨシュアに敵対して、そばに立っていたように、神の民を告発するためにそばに立つのである」(教会への勧告上449ページ)。


ということで、サタンは告白者です。私たちの過去が罪に汚れていることを知ると無価値さを知り意気消沈してしまいますが、それが目的なのです。さらに続きがあります。


「サタンは彼らの汚れた衣服、彼らの欠点のある品性を指摘する。彼らの弱点や愚かさ忘恩の罪、そして贖い主の名誉を汚す、彼らのキリストに似ない姿サタンは指摘する。サタンは彼らに自分たちはもはや絶望的で、汚れを洗い清めることは不可能だと思い込ませて、魂をおどそうと努める。サタンは、彼らの信仰をすっかりなくしてしまい、そうすることで彼らが、自分の誘惑に負け、神に対する忠誠を捨て、獣の刻印を受けるように望む」(同上)。


このことを理解しておくならば、誘惑が来た時必要以上に落ち込む必要はないかもしれません。ただ、中途半端なものでなく、徹底した罪の告白や悔い改めがなされなければ、そこにサタンが入り込みます。その緩んだ精神は、神の求められているものではありません。天のみ国は神に全き献身が求められています。徹底的な悔い改めがなければ誘惑に負けたことになります。それは獣の刻印を意味します。初代文集には「この一団の数は減少していた。ある者は、ふるい落とされて、途中に残された」と書かれています。私たちの用意の働きというのは、至聖所においてなされなければならないのです。用意の整った人々のみ、花婿とともに婚姻に入ることができます。これが、日曜休業令が出る前に私たちが直面すべき経験なのです。


このことは非常に重要なので、聞く耳を持つ人々にシェアしてください。休業令が出た後では遅いです。


印されるためにどのようにすればいいか、エステル記から、法的なことに関する重要な真理があります(3)。さらに「大いなる叫び」ではキリストが聖所を出られて香炉を地上に投げつけるところ(4)までシェアしたいので、もう少しお付き合いください。


アーメン!!


アクセスありがとうございます。

祝福がありますようにお祈りします。











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