獣の刻印である日曜休業令は、すでにプロジェクト2025の中に織り込まれています。米国の牧師によるとこのプロジェクト2025が獣の像(黙13:14)である、とも言っています。
1月20日(日本時間1月21日)にトランプ大統領の就任式が行われることになっていますが、その後これを可決し、いつ発令になるかはまだわかりません。しかしながら前回のブログで書いたように、それが来た時はもう遅すぎるのです。なぜなら、知識において、また霊的な準備が整っていない、神との関係構築がなされていないならば、政府からの圧力がほんのちょっとでもあれば、すぐにそちらに妥協してしまうでしょう。
私たちが妥協せず、堅く信仰に立ち、裁判所に連行され証言させられるとしても、真の証言ができるよう今準備しなければ、通常会えない人々に証しとなりません。神の目的はあらゆる機会において真理をあまねく世に行き渡らせ、何が真実で何が欺瞞か人々が気づくようになさることです。この日曜令で安息日遵守の民の存在を知らしめ、神の真理に人々を導くことが命の福音の目的でもあります。愛の神は、「そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである」(マタイ24:14)と約束されていますので、全世界に真理が宣べ伝えられなければなりませんし、私たちはその道を辿らなければならないのです。
今日のブログは少々長いです。印されるためにはどのような精神態度が求められるか、といった濃い内容と思います。どうか最後までお読みいただきたいと思います。このキリストの血潮は私たちを勝利に導きますが、それはどう言う意味なのか、その答えを得るならば、心と思いが至聖所に向くのではないでしょうか。何がおこっても最後まで堅い信仰を保つことができるのではないでしょうか。
さて、日曜令という法令はエステル王妃の時代にユダヤ人虐殺の目的で発せられた法令とよく似ています。読者の皆さんはこの話はよくご存知だと思います。
ハマンはサタンのタイプをあらわしています。モルデカイは神の戒めを守る人のタイプ。ハマンはペルシャ王の時代に全国に散在している全ユダヤ人を滅ぼす法令を発令するように企てたのです。モルデカイは姪であるエステルに遣いを送って、彼女が王の前に出て、彼女の民の命を救うために王に懇願しなければならないことを伝えました。
*エステル4:10-12
10 エステルはハタクに命じ、モルデカイに言葉を伝えさせて言った、
11 「王の侍臣および王の諸州の民は皆、男でも女でも、すべて召されないのに内庭にはいって王のもとへ行く者は、必ず殺されなければならないという一つの法律のあることを知っています。ただし王がその者に金の笏を伸べれば生きることができるのです。しかしわたしはこの三十日の間、王のもとへ行くべき召をこうむらないのです」。
12 エステルの言葉をモルデカイに告げた・・・
エステルは王の前に出るのも命懸けであるし、ここ30日も王からの召しを受けていませんと辛い胸中をハタクを通してモルデカイに伝えました。しかしモルデカイからの返事は、この全ユダヤ人の重大な危機にあって、厳しいものでした。
続く記事をお読みください。
*エステル4:13ー5:1
13 モルデカイは命じてエステルに答えさせて言った、「あなたは王宮にいるゆえ、すべてのユダヤ人と異なり、難を免れるだろうと思ってはならない。
14 あなたがもし、このような時に黙っているならば、ほかの所から、助けと救がユダヤ人のために起るでしょう。しかし、あなたとあなたの父の家とは滅びるでしょう。あなたがこの国に迎えられたのは、このような時のためでなかったとだれが知りましょう」。
15 そこでエステルは命じてモルデカイに答えさせた、
16 「あなたは行ってスサにいるすべてのユダヤ人を集め、わたしのために断食してください。三日のあいだ夜も昼も食い飲みしてはなりません。わたしとわたしの侍女たちも同様に断食しましょう。そしてわたしは法律にそむくことですが王のもとへ行きます。わたしがもし死なねばならないのなら、死にます」。
17 モルデカイは行って、エステルがすべて自分に命じたとおりに行った。
5:1 三日目にエステルは王妃の服を着、王宮の内庭に入り、王の広間にむかって立った。王は王宮の玉座に座して王宮の入口にむかっていたが、
法的にはだれも王の庭に入ることはできませんでした。ただ王の憐れみによらなければ生きのびる道はありませんでした。エステルが頼ったのは、法律ではなく、王の好意にたよるしかなかったのです。彼女は唯一の希望を王の憐れみに求めるしかありませんでした。それで、16節「死なねばならないのなら、死にます」と言ったのでした。人々が断食と祈りを捧げている間に、エステル王妃は王の前に進み出て行きました。
『エステルが当面した危機は、真剣な努力を急速にする必要があった。しかしエステルもモルデカイもともに、神が彼らのために大いなる働きをして下さるのでなければ、彼ら自身の努力は無益なことを知っていた。そこでエステルは、力の源であられる神と交わる時間をとったのである。』(国と指導者、610p)
*エステル5:2-3
2 王妃エステルが庭に立っているのを見て彼女に恵みを示し、その手にある金の笏をエステルの方に伸ばしたので、エステルは進みよってその笏の頭にさわった。
3 王は彼女に言った、「王妃エステルよ、何を求めるのか。あなたの願いは何か。国の半ばでもあなたに与えよう」。
この瞬間においては、法令はまだ当然取り消されたわけではなく、勝利はまだ得ることはできていませんが、敵に対しては有利な立場を得ることができたという意味があるようです。
このことが私たちの立場にどのように関係しているのでしょうか。
獣の刻印を受ける時が到来すると同時に、私たちは神の印を受けなければならない時が来たことを知ることになります。これは、永遠の勝利と解放を受けるのですが、どのようにでしょう。
エステルが決意して王の内庭にはいったように、私たちも王の内庭、すなわちに至聖所に入るのです。御座の前に出て王に懇願しなければなりません。しかし、王は大いなる裁きの座に就ておられます。神の民は自分たちが天の法廷において裁かれる時がついに到来したことを悟り、今にも失望してしまいそうです。
なぜなら、私たちがキリストの完全な清さに目を向け、至聖所にある完全な戒めを眺める時、キリストの義、聖潔、清さの標準から全くかけ離れていることを理解するからです。ちょうどエステルのように「わたしはそこに入って行くことはできない」と言うでしょう。
裁きにおいては罪深い人間に対する判決は一つです。
もし、王が金の笏を伸べて憐れみを示さない限り、死の宣告を受けるのです。
神の民が死と直面する時に、神の裁きの御座に入って行き王に懇願しなければ、獣の印を受けて失われることを理解するのです。
もし、王の前に入って行くならば、・・・・最悪の場合には死なねばならないことを理解するのです。ですから、私たちはエステルのように「わたしがもし死なねばならないのなら、死にます」と告白するのです。
それから法にかなったことではありませんが、王の前に出て行きます。
つまり裁きの座において勝利を得ることは法的ではないのです。しかし多くの人は考え違いをしています。
どのように? 彼らは神が完全であられるように、彼らも完全な品性を築いたら、律法の要求に応じることができて、法的に至聖所に入ることができると考えているのです。
このことは、ちょうど宮にやってきたパリサイ人、すなわち憐れみを乞うためでなく、賞賛を得ようとする姿と似ています。
内なる宮に入ることのできるのは、法的権利としてではなく、王の憐れみ、恵み、好意によるものなのです。自分の義に頼ってそこに入る者に対する判決は一つしかありません。それは死です。しかし神の民は主なるキリスト・イエスの功績に完全に頼り、砕けた心、熱心な信仰によって全地の大いなる裁き主に懇願するのです。
「神よ、わたしをさばき、神を恐れない民にむかって、わたしの訴えをあげつらい、たばかりをなすよこしまな人からわたしを助け出してください」詩篇43:1。
「彼は義をもってあなたの民をさばき、公平をもってあなたの貧しい者をさばくように。・・・彼は民の貧しい者の訴えを弁護し、乏しい者に救を与え、しえたげる者を打ち砕くように。」詩篇72:2-4。
エステルが王座に近づき、王の金の笏に触れた時、王は、「王妃エステルよ、何を求めるのか。あなたの願いは何か。国の半ばでもあなたに与えよう」と言いました。
それは何を意味していますか? それは裁きにおける勝利を意味しています。
それは、キリストがご自分の民のために裁きの座において立ち上がる時に、
「キリストは今、人間が堕落しなかったかのように、この計画の実行を求められるのである。キリストは、ご自分の民のために、完全で十分な許しと義認だけでなくて、彼らが、ご自分の栄光にあずかり、ともに御座につくことを求められるのである」(大争闘下巻216ページ)。
さらに、このことは、ラオデキヤ教会の勝利する者たち、つまり残りの者たちに対して与えられた約束でした!!
完全で十分な義認❗️、罪の束縛からの永遠の解放❗️、それでもまだ不十分かのように、キリストは彼の民が共に栄光にあずかり、共に御座につくようになることを求められるのです❗️なんというお恵みでしょうか❗️😭😭😭
「勝利を得る者には、わたしと共にわたしの座につかせよう。それはちょうど、わたしが勝利を得てわたしの父と共にその御座についたのと同様である。」黙示録3:21。
裁きの座において神の民が立つことができたのは何だったのでしょうか。
民の義ですか? 彼らが完全さに到達したからですか?
『イエスは、彼らの罪の弁解はなさらないが、彼らの悔い改めと信仰を示して、彼らのゆるしを主張なさり、天父と天使たちの前で、ご自分の傷ついた両手をあげ、私は彼らの名を知っている、わたしは彼らを、わたしのたなごころに彫り刻んだ、と言われるのである。「神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心をかろしめられません」(詩篇51:17)』大争闘下217、1831p。
イエスがご自分の民を裁かれる時、悪の支配から彼らを救い出されます。彼は恵みの御座にご自分の血を降り注がれることによって実行されます。また彼は罪の記録を天の記録の書のみからでなく、ご自分の民の心からも完全に除き去ってくださるのです。魂はあるべき完全な姿に回復されます。福音という言葉には裁きと回復が含まれますが、まさしくこれが福音です。
こうして神の民は完全に清められるのです。
「神の民が神のみ前でその魂を悩まし、心の清められんことを願い求める時、命令が下される。『彼らの汚れた衣を脱がせなさい』。そして励ましの言葉が与えられる。『見よ、わたしはあなたの罪を取り除いた。あなたに祭服を着せよう』。キリストの義の汚れなき衣が、試みられ誘惑されてもなお忠実であった神の子らの上に置かれるのである。さげすまれてきた残りの者たちは、輝かしい衣を着せられ、もう決して世の汚れに染むことはない者たちにされるであろう。・・・もう、彼らは永久に誘う者の計略にかかる恐れはないのである」(教会への証5巻 475ページ英文)。
この清めに続くのは何でしょうか。
「サタンがこの一団を訴え責め、彼らを滅ぼそうとしていた時、目に見えない聖天使たちが生ける神の印を彼らの上に押すために行き来していたのである」(同上)
その時、力強い天使が来ます。
日の出る方から上ってきます。
力と栄光が下り、
印する働きが始まった❗️❗️❗️
神の民の救出は夜の闇の最も深い時におこります。・・・・
聖所にいなかった者たちは、最後の大いなる危機の時に押し流されてしまいます。
勤勉な備えの働きに参加し、キリストに従い、
イエスの至聖所における働きを理解し、それに協力した者たちのみ、勝利を得るでしょう。
それ以外の人々はみな、神の教会から洗い流されてしまうでしょう・・・
激しいふるいの時は、これから始まる・・・
アーメン!!
アクセスありがとうございます。
祝福をお祈りします。
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