彼らは眠っていた・・・・
- hosanaministry
- 1月14日
- 読了時間: 7分

イエスは、十字架の前にゲッセマネに行かれました。壮絶な苦しみを耐えるために、
イエスは強さを必要とされていて、三度の祈りをされましたが・・・弟子たちから励ましを得たいと願われていたのに、彼らは眠ってしまいました。
現代に生きる私たちにおいては、これからくる「小さな悩みの時」を通過し、後の雨にあずかり、神の印をいただくために、霊的強さが必要なのではないでしょうか。そこで終わるのではありません。一度休業令が発せられると、それは、「ヤコブの悩みの時」の最後まで、すなわち再臨の時まで続きます。さまざまな驚くべき事件がおこるでしょう。疫病、戦争、飢饉、心霊術、ハルマゲドン・・・
これからのものは、まだ産みの苦しみのはじまりにすぎません。
四隅を押さえている天使が手を離さないかぎり、今はまだ平和が続いているように思えます。しかし、手を離すように、許可がおりると、必ず猛烈に吹き荒れます!!
さて、イエスは、十字架上での壮絶な死に向けて、血の汗が滴るほどにみ父に力や勇気、強さなどを求めて祈りをなさいました。私たちにも、残りの民として避けて通れない杯が待っています。イエスがそのような祈りをなさったのであれば、尚のこと、私たちは、日々強さを求めて、真剣な祈りを神に捧げなければならないのではないでしょうか。そうでなければ誘惑や惑わしによって欺かれてしまいます。また、黙示録13章15節にある通り、「その獣の像を拝まない者をみな殺させた」と書かれているので、命さえも危なくなります。イエスのように祈らなければなりません。クリスチャンの互いの励ましも必要です。イエスも弟子たちの励ましや慰めの言葉を必要とされていました。
『人の心は苦難のうちにあって同情を求める。このような熱望をキリストは全心全霊の奥底まで感じられた。キリストは、悲しみと苦しみの時にしばしぼ祝福し、慰め、保護しておやりになった者たちから何か慰めのことばを聞きたいと心の底から望んで、魂の最高の苦悩をいだいて、弟子たちのところへこられた。彼らにいつも同情のことばをかけてこられたお方が、いま超人的な苦悩を経験し、弟子たちが主のために、また自分自身のために祈っていることを知りたいと熱望された。罪の邪悪さがどんなに暗くみえたことだろう。ご自分は神の前に罪のないお方のままでいて、人類の不義の結果は彼ら自身に負わせたらよいでは ないかという誘惑が激しかった。弟子たちがこのことを理解し、感謝しているということを知ることさえできたら、キリストは力づけられるのであった。』各時代の希望、1037p, 74章。
*マタイ26:40-41
40 それから、弟子たちの所にきてごらんになると、彼らが眠っていたので、ペテロに言われた、「あなたがたはそんなに、ひと時もわたしと一緒に目をさましていることが、できなかったのか。
41 誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は熱しているが、肉体が弱いのである」。
イエスはまたもどって三回も祈られましたが、三回とも弟子たちは眠っていました。
それから、時が来たと言われて、イエスは捉えられ裁判と十字架で亡くなられたのです。
この話は、現在の神の民の様子と重なります。

「プロジェクト2025」を作った人々は、日曜礼拝で暴力をやめ、道徳を取り戻すと言っていますが、どうでしょうか? このようなことを彼らが言ったことを覚えておいてください。また彼らは大統領よりも権力があるとさえ言っているのです。この誇りというか傲慢さはサタンの特徴そのままです。彼らはそのような言葉を「プロジェクト2025」の中に織り込んでいます。サタンは目立つことが好きなので、彼らは、自分たちを誇示するためにも喜んでそうするようです。大胆に彼らは自慢していますが、誇りは転落の前にきます。「高ぶりは滅びにさきだち、誇る心は倒れにさきだつ。」(箴言16:18)。「人の心の高ぶりは滅びにさきだち・・・」(箴言18:12)。神の一番嫌われるのはこの高ぶりです。気をつけましょう。神の民は、このような神をも恐れぬサタンの圧力に一人で耐えねばなりません。
終わりの時、世の惑わしや、誘惑に負けてしまい、弟子たちのように、三度も眠ってしまわないようにしたいものです。また準備を怠らないためにも、最後まで忠誠を保つためにも、霊的強さを必要としています。
*2テモテ4:16
「わたしの第一回の弁明の際には、わたしに味方をする者はひとりもなく、みなわたしを捨てて行った。どうか、彼らが、そのために責められることがないように。」
とパウロが弁明を行った時のことが書かれています。終わりの時も、私たちは一人で、立ち向かわねばなりません。しかし、イエスは保証の言葉によって約束を与えられました。
ルカ21:12には、
「これらのあらゆる出来事のある前に、人々はあなたがたに手をかけて迫害をし、会堂や獄に引き渡し、わたしの名のゆえに王や総督の前にひっぱって行くであろう。
それは、あなたがたがあかしをする機会となるであろう。だから、どう答弁しようかと、前もって考えておかないことに心を決めなさい。 あなたの反対者のだれもが抗弁も否定もできないような言葉と知恵とを、わたしが授けるから。」と約束されています。
これは通常会えない裁判所の人々、あるいは刑務所の人々、そのような人々に証しをする機会を主が与えるためです。ちょうどパウロがしたようにです。あらゆる機会を証しの機会となさることが主のご計画です。マタイ24:14には、「そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。そしてそれから最後が来るのである」と書かれていますので、再臨に向けて計画は実行されます。
ゲッセマネにもどります。イエスは一人で立っておられた。弟子たちは皆逃げて行ったからです。
テモテの聖句の続く17節には、パウロは、「主はわたしを助け、力づけて下さった。」と言っています、アーメン!! 神は神の民を助け力づけられます。
誘惑やサタンの攻撃に備えて、EGWは次のように立ち向かうヒントを与えています。

聖書の壁とは、み言葉です。み言葉の分厚い城壁を作らねばなりません。み言葉を記憶に刻み込みと書かれているので、何度も何度も聖書を開いて読むと記憶に残るものです。そうすることによって、「こう書いてある」とイエスがサタンに一人で立ち向かわれたように、私たちも抵抗することができます!!
弟子たちのように眠っている人々が多いのですが、そうならないためには、日々み言葉を食べなくてはなりません。天のベーカリーからのフレッシュな命のパンが日々与えられますように。
以下は、パワーをいただける聖句です。シェアします。
*イザヤ41:10
「恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。」
*申命記33:25
「あなたの貫の木は鉄と青銅、あなたの力はあなたの年と共に続くであろう」
*イザヤ27:5
「それを望まないなら、わたしの保護にたよって、わたしと和らぎをなせ、わたしと和らぎをなせ」。
*ピリピ4:13
「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」
*詩篇27:1
「主はわたしの光、わたしの救だ、わたしはだれを恐れよう。主はわたしの命のとりでだ。わたしはだれをおじ恐れよう。」
*詩篇46:1
「神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。」
*2コリント12:8ー10
「9 ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。
10 だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。」
アーメン!!
アクセスありがとうございます。
祝福をお祈りします。
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