top of page
執筆者の写真hosanaministry

救われるためにどうすればいいですか?

更新日:2024年12月7日



聖書の中で、印象に残っている話の一つに、使徒行伝の1-2章、ペンテコステの話があります。弟子たちは聖霊を受けて、力を得て1日に3000人が仲間に加わった、ペテロが説教をすると、ユダヤ人たちは自分たちはどうすればいいのだろうか・・・と弟子たちに問うたほどでした。もう一つは、ペテロとシラスの獄吏の話があります。この獄吏も同じ質問をしました。


一方で、若い役人はイエスと直接話をいただきながら、イエスについていくことができませんでした。もう一人、同じ金持ちのザアカイの話があります。彼は、イエスに言われるまでもなく、自分から進んで騙し取ったお金を四倍にして返すと約束しました。大変興味深いです。

今日は聖書の中から、救われるためにはどうすればいいか、学んでみたいと思います。


*マタイ16:22

若い役人:「先生、永遠の生命を得るためにはどんなよいことをしたらいいでしょうか」。

イエス:「なぜよい事についてわたしに尋ねるのか。よいかたはただひとりだけである。もし命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい

若い役人:「どのいましめですか」

イエス:「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証を立てるな。 父と母とを敬え』。また『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』」。

若い役人:「それはみな守ってきました。ほかに何が足りないのでしょう」。

イエス:「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。



この役人の最初の質問は、永遠の命を得るために、よいことをすればいただけると思っていたのでしょうか。いましめも学んでいたはずですが?

それに、イエスが「もし命に入りたいと思うならいましめを守りなさい」と言われた後、どのいましめですか、と言っています。さらにイエスの返事のあと、それはみな守ってきました。ほかに何が足りないのでしょうと。こんなすごい返事だれかできるでしょうか。いましめを完全に守られたのはイエスしかいません。彼は自分の義にうぬぼれていたんですね。


イエスは、ご親切にも忍耐強く、「完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」と、言われましたが、貧しい人々に施すだけでなく、最後の言葉の「わたしに従ってきなさい」と加えられました。



ここで、この若者の質問の本質は、この「完全になる」ということであることをイエスは見抜かれたのかもしれません。完全にならなければ天へはいることはできませんから。

イエスの言葉をまとめると、戒めを守り、完全になり、イエスに従う、これが永遠の命を得ることです。


戒めを守る

完全になる

イエスに従う

 ↓

永遠の命



若者は、自分の財産や持ち物に執着心があったため、イエスの言葉通りにできないと悲しんでその場を去っていきました(マタイ19:22)。さらにこの話の続きはありますが、イエスの言葉のポイントはなんだったのでしょうか。


この戒めは十戒であって、もちろんモーセの律法ではありません


実は聖書は十戒をどのように守るのかをおしえているのです。

✅イエスが言われた通り、いましめを守るのが永遠の命の鍵だからです。

どのように律法を守らなかったかを記録しているのが旧約聖書で、

どのように律法を守ったかを記録しているのが新約聖書です

✳️イエスがこられたのは、どのように律法を守るかを教えるためでした。


もう一つ、イエスを試そうとした律法学者の話も参考になります。

*ルカ10:25-28

25するとそこへ、ある律法学者が現れ、イエスを試みようとして言った、「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。

26 彼に言われた、「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」。

27 彼は答えて言った、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります」。

28 彼に言われた、「あなたの答は正しいそのとおり行いなさい。そうすれば、いのちが得られる」。


律法学者ですから、律法について詳しいはずです。その学者が永遠の命を受ける方法を聞いています。イエスは、すぐに答えを与えられるのではなく、逆に質問をされました。

28節で、「あなたの答は正しい」とイエスは認められました。深読みでは、それがあなたが求めていた答えですよ、つまり神を愛し、隣人を愛すること、それを実行すれば、永遠の命が得られますよ、という意味となります。


永遠の命は律法の中にあります

モーセがシナイ山で十戒を受けたのは、それが永遠の命を意味したからでした十戒の守り方は、神を愛し、隣人を愛せよ、です。

 

✳️神の律法(十戒の中に永遠の命がある)

守り方ー神を愛せよ隣人を愛せよーこれを実行すれば 

✳️永遠の命が得られる


*ヨハネ5:39-40

39 あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。

40 しかも、あなたがたは、命を得るためにわたしのもとにこようともしない。


イエスが言われている聖書は旧約聖書です。彼らが調べていたのはモーセの律法でした。


*ヨハネ14:6

6 イエスは彼に言われた、「わたしはであり、真理であり、である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない


永遠の命は律法の中にあるので、律法をどのように読むかを教えるのがイエスの仕事の一つでもありました。


*マタイ19:17 もし命に入りたいと思うならいましめを守りなさい

*ヨハネ14:6 だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない

この二つの聖句は、永遠の命は、戒めをまもること、あるいはイエスのように戒めを守らなければ、イエスによらなければ、天へ行くことはできない、ということになります。


律法はイエスのことを語っているということ。つまりイエスのように守る=イエスに従う=永遠の命


*ヨハネ14:12-15

12 よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである。

13 わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである。

14 何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう。

15 もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである。


ここで勘違いしてはならないことがあります。ここで願えることは、永遠の命に入るために願うことを意味します。お金や名声ではありません。永遠の命は律法にあります。ですから、律法を守れるように願いなさい、という意味です。

また、イエスのたっての願いは弟子たちが永遠の命にはいることでした。


16 わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。


最も重要なことは助け主であられる、聖霊です。永遠の命を得るには、聖霊を願い求めなければなりません。聖霊が品性を変えられるからです。これもイエスがみ父に願われて聖霊を送ってくださるのです。


ペンテコステの時、聖霊が降って使徒たちは力を得ました。ペテロは説教(あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお立てになった)をし、その説教をきいたユダヤ人たちは、つぎのようにペテロや使徒たちに言ったのです。


使徒2:37「人々はこれを聞いて、強く心を刺され、ペテロやほかの使徒たちに、「兄弟たちよ、わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と言った。


それからペテロは、

*使徒2:38

すると、ペテロが答えた、「悔い改めなさいそして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。


上記のことをまとめると

戒めを守る 悔い改めなさい 

完全になる バプテスマを受けなさい。(一度死んで、新しく生まれる

イエスに従う 聖霊を受ける   (日々の聖霊のバプテスマによる生まれ変わり)

      ↓    

    永遠の命   


 ❇️ 聖書の意味する完全とは、生まれ変わって、全く方向性を変えること、全くイエス・キリストの方向に変わることです。

       

*使徒行伝16章

25真夜中ごろ、パウロとシラスとは、神に祈り、さんびを歌いつづけたが、囚人たちは耳をすまして聞きいっていた。

26 ところが突然、大地震が起って、獄の土台が揺れ動き、戸は全部たちまち開いて、みんなの者の鎖が解けてしまった。

27 獄吏は目をさまし、獄の戸が開いてしまっているのを見て、囚人たちが逃げ出したものと思い、つるぎを抜いて自殺しかけた。

28 そこでパウロは大声をあげて言った、「自害してはいけない。われわれは皆ひとり残らず、ここにいる」。

29 すると、獄吏は、あかりを手に入れた上、獄に駆け込んできて、おののきながらパウロとシラスの前にひれ伏した。

30 それから、ふたりを外に連れ出して言った、先生がた、わたしは救われるために、何をすべきでしょうか」。


囚人たちはもちろんのこと、この獄吏もおそらくパウロとシラスのさんびの歌を聞いています。


獄吏はそれから、上記の聖句にあるように、

29 すると、獄吏は、あかりを手に入れた上、獄に駆け込んできて、おののきながらパウロとシラスの前にひれ伏した。

30 それから、ふたりを外に連れ出して言った、先生がた、わたしは救われるために、何をすべきでしょうか」。


パウロとシラスは本当に一言で答えています。

31 ふたりが言った、「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」。


イエスを信じることにより、品性が変えられ、それを見た家族は驚いて、イエスを知るのです。そして、ひとり、またひとり、と加えられていくのです。




アーメン🙏

アクセスありがとうございます。

皆様の祝福をお祈りします。











Commentaires


bottom of page