▪️黙示録7:1-4には、神の印を受けた人々のことが書かれています。
1この後、わたしは四人の御使が地の四すみに立っているのを見た。彼らは地の四方の風をひき止めて、地にも海にもすべての木にも、吹きつけないようにしていた。
2 また、もうひとりの御使が、生ける神の印を持って、日の出る方から上って来るのを見た。彼は地と海とをそこなう権威を授かっている四人の御使にむかって、大声で叫んで言った、
3 「わたしたちの神の僕らの額に、わたしたちが印をおしてしまうまでは、地と海と木とをそこなってはならない」。
4 わたしは印をおされた者の数を聞いたが、イスラエルの子らのすべての部族のうち、印をおされた者は十四万四千人であった。
いける神の印を押された人は144000人でした。この144000人というのは実は象徴的な数字で、これについては別の機会に調べます。
ほとんどの人は、獣の印というのは受けてはならないものであることを知っていますが、それが何であるかを知らない人は多いです。タトゥー、マイクロチップインプラント、または最新のSFフィルムの何か他のものだと考える人もいます。しかし、その対応物である神の印について知ろうする人ははさらに少ないです。キリストの来臨の前に、すべての人間はこれら2つのマークのうちの1つで識別されることになっています。-私たちがどのように、そして誰によって印されるかは、私たちの永遠の運命に直接影響します。
聖書のキリストの再臨について学べば学ぶほど、終わりの時には2種類の人しかいないことにはっきりと気づきます。イエスが「終わりの時」についてのたとえ話をしたとき(マタイ13:39)、2種類とは「小麦」と「毒麦」として表現されました。別のたとえ話では、彼らは「羊」と「ヤギ」を用いられました(25:32)。すべての人は最終的にこれら2つのグループの1つに属し、広い門または狭い門から入ります。その中間というのはありません。
上記の聖句では四隅の風を引き止める四人の天使の他に、別の天使が生ける神の印を持ってやってきて、
「わたしたちの神の僕らの額に、わたしたちが印をおしてしまうまでは、地と海と木とをそこなってはならない」と大声で叫んでいます。
これはつまり生ける神の印が押されてしまうと、地と海と木とは損なわれる、つまり四方の風によって壊されてしまうという意味です。
あなたが受け取るマークは、あなたが最後の2つのグループのうちどちらに属しているかを示します。獣の印を持つ人々は、「最後の7つの災害」(黙示録15:1)と最終的には永遠の死(14:10; 20:10–15)を含む、神の絶え間ない怒りにさらされると厳粛に言われています。一方、神の印を持つ人々は神に保護され(エレミヤ30:7;ダニエル12:1)、最終的には永遠の命を受け取ります(黙示録7:15–17; 21:3、4; 22:3–5)。
どちらの印を受けたいですか? 聖書は、あなたが、またわたしが受ける印は各自の自由な選択であることを明らかにしています。
⚫️ 印について。
神の印は、英語では、”The seal of God". 獣の印は” The mark of the beast" となっています。特に”The seal" という言葉には、「封印」の意味があります。獣の”The mark" とは単にマーク、しるしのことであって大違いです。七つの封印はThe Seven Seals ですね。
⚫️手と額
他の黙示録の聖句に、獣の印が手や額に押されるとありました(黙示録13:16)。
「また、小さき者にも、大いなる者にも、富める者にも、貧しき者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々に、その右の手あるいは額に刻印を押させ、」と書かれていますが、どんな意味があるのでしょうか。
聖書では、体の部分はシンボル的に使われています。
出エジプト記13:9 「そして、これを、手につけて、しるしとし、目の間に置いて記念とし、主の律法をあなたの口に置かなければならない。主が強い手をもって、あなたをエジプトから導き出されるからである。」
申命記6:6「6 きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、・・・またあなたはこれをあなたの手につけてしるしとし、あなたの目の間に置いて覚えとし、」
では、神の印はどこに押されるのでしょうか。3節で、「神の僕らの額」に印が押されることがわかります。なぜ額でしょうか。額の後には脳があって前頭葉があります。前頭葉は意思決定をするところ、聖書では、額は何があるかではなく、頭の中にあるもの、つまり私たちの考えや信念を表しています。神の印は手には押されないようです
ヘブル10:16
「わたしが、それらの日の後、彼らに対して立てようとする契約はこれであると、主が言われる。わたしの律法を彼らの心に与え、/彼らの思いのうちに書きつけよう」
この聖句から心と思い(heart & mind)は互換性があるようです。
手は行動を表しています:「すべてあなたの手のなしうる事は、力をつくしてなせ。」(伝道9:10)。「彼のわざは不義のわざであり、彼らの手には暴虐の行いがある。」(イザヤ59:6)。
私たちがすることは、私たちがどのように考え、自分が誰であるか、つまり自分の心と心から来ています(箴言23:7;マタイ15:18、19)。思考と行動は通常調和しています。
獣の印は手や額にある可能性があるのに対し、神の印は額にあることに注意してください。なぜでしょうか?
額に獣の印を受け取る人もいます。つまり、獣を完全に信じ、崇拝しています。手に印を受け取った人は、獣を信じていない可能性が高いが、恐怖から協力したり、個人的な利益を求めたりする人を表しています。
神の印は額にのみ見られます。なぜなら、それは仕事とは対照的に崇拝と信仰から生まれるからです。
これらのしるしは、タトゥーのような外部の目に見えるシンボルではありません。 彼らはわたしたちの心が誰を崇拝し、従い、奉仕するかを識別します。それらは、私たちがどのような性格(または名前)を持っているかを示しています(黙示録14:1、11)。一つ確かなことは、たとえ印が見えなくても、神は誰がどの印を持っているかをご存知です。
2テモテ2:19『しかし、神のゆるがない土台はすえられていて、それに次の句が証印として、しるされている。「主は自分の者たちを知る」。また「主の名を呼ぶ者は、すべて不義から離れよ」』。
ペンテコステの時のように、聖霊による後の雨がありますが、この雨に預からなければ、生ける神の印は押されません。どのようにすれば、後の雨に預かることができるのでしょうか。また、後の雨と神の印はどのような関係にあるのでしょうか。
(2)へ続くー
アーメン!!
アクセスありがとうございます。
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