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執筆者の写真hosanaministry

聖所理解(1)



聖書を理解するには、創世記を理解しなければ全体は見えてきません。なぜなら、すべての事物の始まりはそこから始まったからです。聖書の中で聖所は初めから終わりまでテーマと共に常に重要な主題だからです。


神は人類を神に似せて創造されました。

創世記1:26-27

26 神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、・・・

27 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。


本来、人類は道徳的に完璧に創造されていました。でも天で反逆が発生し、その悪魔サタンとなった天使ルシファーがアダムとエバをそそのかして、罪を犯させました。それ以来人類はあらゆる罪悪と死に苦しむようになったのです。しかし、神は黙認しておられたのではありません。予め、「こうすれば、こうなる」ということを教えておられたのです。


神はアダムとエバをロボットのように、言いなりになるようには創造されませんでした。自由意志を持つ存在として創造されました。神を愛する心、神への愛の奉仕ができるような道徳的自由意志です。自分で選択する意思を持った存在です。


創世記2:15-16で次のように言われています。

  『主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならないそれを取って食べると、きっと死ぬであろう」。』


このことを知っていたにも関わらず、エバが選択したのは、神の言葉ではなくサタンの唆しの言葉でした。アダムも当然知っていたのですが、彼女を愛するあまり、神ではなく彼女を選択しました。これが罪が入った時の話です。しかし、天ではすでにその対策もなされていました。それが約束のメシヤ、イエス・キリストでした。アダムも、アブラハムも、歴代の父祖たちはこの約束のメシヤを待ち望んだのです。それは創世記3:15に書かれています。


ところで、聖書の記述は特に日本人にとっては、各時代の聖書筆者の文化背景は理解しにくい部分があります。二人が罪を犯した際、罪の結果の呪いの言葉が神の口から告げられましたが、創世記3:21で、「主なる神は人とその妻とのために皮の着物を造って、彼らに着せられた」と書かれています。神が実際そのようなことをなさったのでしょうか。

皮の素材を手に入れるには、動物を殺さねばなりません。このことが何を意味するかが非常に重要になります。このような時、預言者の記述が非常に助けとなります。そのために最後の預言者が与えられました。エレン・G・ホワイトの証しのふみからみてみます。


 『犠牲の供え物は、神が人間のためにお定めになったもので、罪の悔い改めと約束の贖い主への信仰の告白を、いつまでも思い起こさせるもであった。それは、死をもたらすものは罪であるという厳粛な事実を、堕落した人類に印象づけるためであった。アダムにとって、最初の犠牲を捧げることは、非常に心の痛む儀式であった。彼は、神だけが与えることのできる生命を奪うために、手を振り上げなければならなかった。彼が死を見たのはこれが最初であった。もし彼か神に服従していたならば、人間も獣も死ぬことはなかったことを悟った。彼が罪のない犠牲を殺したとき、自分の罪のために、傷のない神の小羊の血を流さなければならないことを考えて、ふるえおののいた。神の愛するみ子の死によらなければ、償うことのできない自分の罪の大きさを、この光景は、さらに深くなまなましく彼に示した。罪を犯した者を救うために、そのような犠牲をお与えになる無限の恵みに彼は驚いた。暗く恐ろしい未来に希望の星が輝いて、それが、全く絶望的になるのを防いだ』(人類のあけぼの、5章36p)


ということで、神がアダムに犠牲の供え物の礼拝の型を教えられたのです。

このことを知らなければ、なぜイエスが十字架で命を捨てられなければならなかったのか、焦点がぼやけてしまいます。この礼拝の形式が幕屋、聖所、神殿の型となりました。犠牲制度が聖所として設けられたのです。


さて、もう一つ重要なことは、神の律法です。

アダムとエバは、創造の当初、神の律法のことを知っていた。彼らは、律法の要求を知っていた戒めは彼らの心に書かれていた。人間が罪を犯して堕落したときに、律法は変更されなかった。しかし、彼らを再び服従に立ち帰らせるために救済策が設けられた。救い主の約束が与えられ、大いなる罪祭、キリストの死を予表した捧げ物の犠牲制度が設けられた。しかし、もし神の律法を犯すことがなかったならば、死もなければ、救い主の必要もなかった。従って、犠牲の必要もなかった」(同上、32章 185)


アダムもエバも知っていたということはモーセ以前からすでに律法はあったということです。それが天で神への反逆がおこった所以でもあります。

さて、天の完全な平和は破られた。創造主に仕えるかわりに、自分のために働こうとするルシファーの気質を見て、神の栄光を第一義的に考えた者たちは、不安の念に捕われた天使たちは、天の会議の席上で、ルシファーに嘆願した神のみ子は、創造主の偉大さと恵み深さと、公平なことと、そして、神の律法が神聖で不変なものであることを彼にお示しになった。天の秩序をお定めになったのは、神ご自身であった。そして、その秩序から離れるならば、ルシファーは彼の創造主をはずかしめ、自分を破滅させることになるのであった。しかし、無限の愛とあわれみによって与えられた警告も、ただ彼に反抗の精神を起こさせるだけであった。ルシファーはキリストへのしっとに燃えて、ますますかたくなになっていった』(同上、14p)



サタンは、自分自身が天で引き起こした不和を神の統治のせいにしたすべての悪は、神の統治の結果であると断言した。彼は、主の律法を改良することが自分の目的であると主張した。そこで神は、彼の主張するところを実際にやって見て、彼の主張するように律法を変更したらどんな結果になるかを示すことをお許しになった。彼自身のわざが、彼を断罪すべきである。サタンは、初めから、自分は反逆していないと主張してきた。全宇宙は、欺瞞者の仮面かはがれるのを見なければならなかった」(同上)


サタンは自由意志を乱用したのです。

これが今日まで神が6000年の歴史を通して、人類とサタンとその仲間に律法の変更がどのような結果をもたらすかを学ばせるために、許された期間でした。今はその終わりの時代です。愛の神は強制されないお方なので、サタンをすぐに滅ぼしたりはされません。


一方で、神が選ばれた民は、罪と贖罪の意味を悟り、聖所と共に人生を歩みました。

それは再臨の時にまで及びますが、今、キリストは天で執りなしの務めをされています。

時がくれば、天の至聖所から出てこられて、悪の根源を滅ぼされますが、神に背を向けてきた人々も同様になります。もうすでに十分にサタンの言い分は間違っていることは証明されました。


まだダニエル11章と黙示録の預言の成就が待っています。

今回の聖所理解(1)は、なぜ聖所が必要となったのかその理由を書いたのですが、次回は具体的な聖所の内容をご説明したいと思います。多分スペース足りなくなると思いますが、どうして聖所理解が重要かその理由も、スペースが許すなら書こうと思います。



こうして、ほとんどすべての物が、律法に従い、血によってきよめられたのである。血を流すことなしには、罪のゆるしはあり得ない。ヘブル9:22

アーメン!!🙏


アクセスありがとうございます。

祝福をお祈りします。
















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