このタイトルは「神よ、あなたの道は聖である。われらの神のように大いなる神はだれか。」詩篇77:13の前半の聖句ですが英文聖書の言葉を使っています。英文では、the sanctuary となっていてこれは、聖所を意味する言葉です。聖所についてすべてを説明するならばかなりの量になりますが、聖所の造り一つ一つに目的と象徴があって、それを知るならば、思いも、心も変革するような尊い意味があります。神のなさることは美しく、人智を遥かに超えた知恵にあふれ、愛に基づいています。(伝道3:11、ピリピ4:7など)
<聖所が造られた目的>
出エジプト25:8
「また、彼らにわたしのために聖所を造らせなさい。わたしが彼らのうちに住むためである。」
神がイスラエル人を荒野に導いたとき、神はモーセに、神が彼らの間に住むための聖所を建てるように命じました(出エ25:8)。この聖所は、主が山でモーセに示した型に従うことになりました(出エ25:9、40)。主はモーセに、聖所とその中にあるさまざまな調度品の作り方について具体的な指示を与えました。聖所で働くよう召された職人たちは、主からの特別な知恵に満ちていました(出エ35:30-35、36:1 参照)。
⚫️ 聖所の中庭と幕屋
聖所は、イスラエルが約束の地カナンへ旅する間、ある場所から別の場所へ移動できる折りたたみ式の神聖なテント(天幕)でした。聖所は中庭と幕屋で構成されていました。
中庭は幕屋の周りのオープンエリアでした(出エジプト記 27:18 参照)。
*幕屋の呼ばれ方
①聖所(出25:8)
②主の幕屋(レビ17:4)
③あかしの幕屋(出38:21)
④会見の幕屋(出27:21)
⑤会見の天幕である幕屋(出39:32)
⑥あかしの天幕(民9:15)
⑦主の聖所(民19:20)
⑧神の宮(士18:31)
⑨主の家(Ⅰサム1:7,9/主の宮とも訳す)
幕屋は、聖所と至聖所の 2 つの部屋で構成されていました (出エジプト記 26:33、ヘブル人への手紙 9:1-5)。2 つの部屋は、厚くて重い幕またはカーテンで仕切られていました (出エジプト記 26:31-33)。幕屋の屋根または天井は、亜麻布、山羊の毛、雄羊の皮、およびじゅごんの皮の 4 層の材料で作られました (出エジプト記 26:1、14. 出エジプト記 6-14 参照)。
<門>
中庭には、人々が聖所に入ることができる門が 1 つしかありませんでした (出エジプト記 27:16 参照)。この門は、人類が父のもとに来ることができる唯一の存在であるイエス キリストを表していました (ヨハネ 14:6)。ヨハネ 10:9 には、キリストの次のような明確な言葉があります。「わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう」。キリストは門であるだけでなく、人類が父のもとに近づくことができる唯一の道でもあります (ヨハネ 14:6 参照)。門の次に、幕屋の外庭で目にする特定の器物には、犠牲を捧げる青銅の祭壇と洗盤がありました。
<青銅の犠牲(燔祭)の祭壇>
犠牲の祭壇は、中庭で最初に目にする道具でした。犠牲の祭壇では、動物と穀物の両方が主への犠牲として捧げられました (出エジプト記 27:1-8、レビ記 17:11)。聖書から、この祭壇で犠牲にされた動物は、世の罪を取り除く神の子羊、イエス・キリストを表していたことは明らかです (ヨハネ 1:29、ペテロ第一 1:18-21、黙示録 7:14、黙示録 13:8 を参照)。神の救済計画において、犠牲の祭壇は人類に対するキリストの贖罪を表していました。神の家族に再び迎え入れられるすべての人は、神の子が自分たちのために捧げた犠牲を受け入れなければなりません。この点は、キリストの次の永遠の言葉に明らかに表現されています。
*ヨハネ3:16-18
16 神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
17 神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。
18 彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。
<洗盤>
洗盤は、中庭で 2 番目に目にする器物です。それは犠牲の祭壇の後で、幕屋の入り口の前にありました。それは青銅でできた洗面器で、青銅の台の上に設置されていました。洗盤には水が満たされ、祭司たちは民が持ってきた動物の犠牲を扱ったり、幕屋に入って奉仕する前に、手足を洗うために使われました (出エジプト 30:18-21)。洗盤は、まず命の水であるキリストを表していました (エレミヤ 17:13 参照)。また、キリスト教の洗礼、「再生の洗い、聖霊により新たにされる」も表していました (テトス3:5)。神の救済計画では、青銅の祭壇でのキリストの犠牲を信じるようになった人は皆、洗盤の象徴も通らなければなりません。彼らは、神の独り子に対する信仰を公に宣言するためにバプテスマを受けなければなりません。この点は、キリストが弟子たちに与えた次の別れの命令に鮮明に表れています。
*出エジプト 30:18-21
18 「あなたはまた洗うために洗盤と、その台を青銅で造り、それを会見の幕屋と祭壇との間に置いて、その中に水を入れ、
19 アロンとその子たちは、それで手と足とを洗わなければならない。
20 彼らは会見の幕屋にはいる時、水で洗って、死なないようにしなければならない。また祭壇に近づいて、その務をなし、火祭を主にささげる時にも、そうしなければならない。
21 すなわち、その手、その足を洗って、死なないようにしなければならない。これは彼とその子孫の代々にわたる永久の定めでなければならない」。
*マルコ16:15-16
15 そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。
16 信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。
❇️中庭の概念: 中庭の器物から、私たちは聖書の義認の概念について学びます。アダムの息子と娘は皆、キリストの贖いの犠牲によって義とされます。使徒パウロはローマ人への手紙の中で、この点を次のように表現しています。
*ローマ3:23-24
22 それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない。
23 すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており
⚫️ 幕屋/聖所
中庭のすぐ前には、聖所の幕屋がありました。この幕屋は、聖所と至聖所の 2 つの部屋に分かれていました。この 2 つの部屋にある聖なる器物は、人類に対する神の救済計画に関する素晴らしい洞察を与えてくれます。まず、聖所にある聖なる器物について考察します。
<聖所>
聖所には三つの器物がありました。それは供えのパンの机、金の燭台、そして香の祭壇です。
♦︎供えのパンの机
この机は聖所の北側にあり、金の燭台の真向かいにありました。12 個の種なしパン (6 個ずつ 2 列に分けられています) が祭司によって主の前の机に常に置かれていました。12 個のパンはイスラエルの 12 部族を表しています。供えのパンの机にはぶどう酒の供え物も置かれていたと思われます (出エジプト記 25:23-30、出エジプト記 26:35、出エジプト記 37:10-16、レビ記 24:5-9、民数記 28:7 を参照)。
(ぶどう酒の供物は灌祭と呼ばれるものですが、アルコールについてはわかりません。ただしイエスが最初に奇跡を行われたカナの婚礼でのぶどう酒が出ていますが、これは源語ではぶどう汁であった、と聞いています。)
パンは最初、イエス・キリストの象徴でした。実際、キリストはご自身を命のパンと呼ばれています(ヨハネ6:35)。パンはまた、神の言葉が書かれた聖書の象徴でもありました。マタイ4:4には、「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と書かれています。
神の救済計画では、犠牲の祭壇でのキリストの犠牲的な死を信じ、洗礼の儀式を受けるすべての人は、聖所に入り、命のパンを食べなければなりません(ヨハネ6:48-58)。また、イエスの丈にまで成長できるように、聖書の霊的な食物も摂取しなければなりません(マタイ4:4参照)。
<金の燭台>
この燭台は聖所の南側に位置し、供えのパンの机の真向かいにありました。燭台には 6 つの枝があり、中央の軸または幹があります。そのため、通常は 7 つの燭台と呼ばれます。燭台の燃料には純粋なオリーブ油が使用されました。毎朝と夕方に、大祭司は芯を整え、必要な油を供給して、燭台が聖所で常に光源となるようにしました (出エジプト記 25:31-39、出エジプト記 37:17-24、出エジプト記 26:35、出エジプト記 30:7-8、レビ記 24:1-4 )。
燭台は、最初はイエスキリストの象徴でした。キリストは、ご自身を世の光と呼びました (ヨハネ 8:12)。燭台はまた、聖霊の力を通してキリストについて信者が証言することの象徴でもありました。マタイ 5:14-16 には、次のように書かれています。
*マタイ 5:14-16
14 あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。
15 また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。
16 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。
神の救済計画では、イエスを信じるようになった人は皆、暗闇に陥らないように、イエスを世の光として絶えず見つめなければなりません。信者は小さな光として、キリストを通してのみ得られる救いの証人にならなければなりません。聖霊の力を通してキリストについて証しするにつれ、彼らは恵みから恵みへと成長し、救い主であり主であるイエスの姿に近づいていきます。
<金の香の祭壇>
香の祭壇は聖所の西側、聖所と至聖所を隔てる垂れ幕のすぐ前にありました。この祭壇には、犠牲の祭壇から出た熱い炭を入れた皿がありました。この祭壇で、大祭司は特別な香を焚き(毎朝と毎晩)、至聖所の主の前に甘い香りを漂わせました(出エジプト記 30:1-10、出エジプト記 37:25-29)。
香の祭壇は神の民の祈りを表しています。甘い香は実際にはキリストの完全な性格の象徴であり、人類が祈りの中で父に近づくことができる唯一の手段でした。黙示録には、香の祭壇に関して次のような記述があります。
*黙示録8:3-4
3 また、別の御使が出てきて、金の香炉を手に持って祭壇の前に立った。たくさんの香が彼に与えられていたが、これは、すべての聖徒の祈に加えて、御座の前の金の祭壇の上にささげるためのものであった。
4 香の煙は、御使の手から、聖徒たちの祈と共に神のみまえに立ちのぼった。
神の救済計画では、イエスを信じるようになった人は皆、祈りという重要なキリスト教の習慣を受け入れることも学ばなければなりません。信者が祈るにつれて、彼らの信仰は神の約束をつかみ、彼らは神の子の姿へと成長していきます。
❇️聖所の概念: 聖所の器物から、私たちは聖書の聖化の概念について学びます。神の救済計画では、キリストの功績を自分たちのために受け入れて義とされた信者は、信仰によって聖所に入り、敬虔な性格を追い求めなければなりません。幕屋の最初の部屋が聖所と呼ばれるのは、何の根拠もないわけではありません。キリストを信じる者はこの場所で聖化されます。信者がキリストの美しい性格に焦点を当てると、彼または彼女は神の意志を持ち、神の喜ばれることを行うための神の力を受け取ります (2コリント3:18、ピリピ 2:13 )。信者の聖化は、汚れのない神の子の姿へと日々成長する過程であることに留意することが重要です。この成長過程は、聖所に描かれているように、信者が聖書研究、証し、祈りという霊的な手段を活用することで強化されます。
⚫️ 至聖所
至聖所は幕屋の2番目の部屋です。そこには「契約の箱」と呼ばれる黄金の箱が1つだけありました。箱を見る前に、聖所と至聖所を隔てていた垂幕について考えたいと思います。
<垂幕>
垂幕は、聖所と幕屋の至聖所を隔てる厚い幕でした。垂幕は至聖所にある神のシェキーナの栄光を覆いました。大祭司だけが、年に一度、贖罪の日に垂幕をくぐり至聖所へはいることができました (出エジプト記 26:31-33、出エジプト記 36:35、レビ記 16:2、歴代誌下 3:14、ヘブル人への手紙 9:6-7)。
垂幕は器物ではありませんが、神殿の儀式に関しては大きな意味を持っていました。実際、垂幕はイエスの体を象徴していました。ヘブル人への手紙には次のように記されています。
*ヘブル10:19-20
19 兄弟たちよ。こういうわけで、わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく聖所にはいることができ、
20 彼の肉体なる幕をとおり、わたしたちのために開いて下さった新しい生きた道をとおって、はいって行くことができるのであり、
愛する読者の皆さん、キリストが十字架上で亡くなられたとき、キリストの体を象徴する幕も、目に見えない手によって天井から下まで引き裂かれました。この神の行為によって、地上の聖所での礼拝は終わりを迎え、信者たちは天の聖所の至聖所にいる父に完全に近づくことができるようになりました!!!(マタイ 27:50-51、テモテへの第一の手紙 2:5 参照)。
<契約の箱>
契約の箱は、聖所の至聖所にある唯一の器物でした。箱には、十戒を刻んだ 2 枚の石板が入っていました。後にモーセは、箱の中にマナの壺と芽を出したアロンの杖を入れるよう命じられました。箱を覆う蓋は純金で作られ、贖罪所と呼ばれていました。蓋の両端には 2 体のケルビムが彫り込まれていました。ケルビムは互いに向かい合って配置され、顔を贖罪所に向けていました。また、翼も広げて贖罪所を覆っていました (出エジプト記 25:10-22、出エジプト記 37:1-9、出エジプト記 16:32-34、民数記 17:1-10、ヘブル人への手紙 9:1-5 を参照)。
私たちの最初の先祖が神の律法に違反したとき、その罰は永遠の死でした(創世記 2:16-17、ローマ 6:23 )。律法が要求する神の正義は満たされなければなりませんでした。この忌まわしい真実に照らして、律法を収めた箱の蓋が「恵みの座」と呼ばれていたことを知ることは勇気づけられます。箱の象徴から、律法に対する私たちの不従順は永遠の死にほかならないにもかかわらず、主は慈悲深く独り子を差し出すことによって、私たちが神と和解する道を備えてくださったことが分かります。箱の象徴において、愛ある神の正義と恵みは明らかに示されています(詩篇 85:10、ヨハネ 3:16 参照)。
❇️至聖所の概念: 至聖所にある器物1 点から、聖書の完全性の概念について学ぶことができます。神の救済計画では、キリストの功績によって義とされた信者は、信仰によって聖所に入り、聖化の過程を追求するだけでなく、信仰によって至聖所に入り、完全性を達成する必要があります。幕屋の 2 番目の部屋が至聖所と呼ばれるのは、何の意味もありません。キリストを信じる者は、この場所で、神がその子供たちに期待する完全性の要件を達成します (マタイ 5:48 参照)。この段階で、信者が中庭から至聖所まで霊的に進歩することは、独善的な行為によって達成されるのではないことに注意することが重要です (テトス 3:5 参照)。それとは逆に、信者が毎日聖所の汚れのない子羊を見つめ、聖霊によって少しずつ神の似姿に変えられ、至聖所にある神の律法が彼らの心と思いに刻み込まれるとき、それは達成されます(コリント人への第二の手紙 3:18、ヘブル人への手紙 8:10、ヘブル人への手紙 10:16 参照)。神の民がキリストの再臨のときに栄光を受けるのは、そのような清らかな状態にあるときです(マタイによる福音書 5:8、ヘブル人への手紙 12:14 参照)。
⚫️ 「神よ、あなたの道は聖所にある」
これまで見てきたことから、聖所のメッセージは、神が人類の救済のための道を提供してくださったことは明らかです。この研究の時点で、聖所の美しい道によって明らかにされたこの救済への道を簡単にまとめたいと思います。
さて、私たちが中庭から至聖所まで聖所を歩いていくと、さまざまな器物や器具で行われた儀式がありますが、それは人類を神のもとに導くために神によって計画されたものであったのです。主を賛美します!!
【救済への道】
罪人
↓
犠牲の祭壇・・・・・罪人はまず犠牲の祭壇から始まり、キリストの贖いの犠牲を信じなければならない。悔い改めと信じること。(回心)
↓
洗盤のバプテスマ・・・水のバプテスマを通してイエスへの信仰を公に宣言。新生の体験。
↓ (中庭の体験=義認)
信仰によって聖所に入る・・・成長するためには、信仰によって聖所に入り、聖書の学習、証し、祈りの霊的儀式を実践しなければなりません。悲しいことに、神の民の多くは、信仰によって聖所に入り、そこに定められた霊的儀式を実践していないため、信仰においてまだ幼子のままです。
↓ (聖所にはいる体験=聖化)
至聖所・・・キリストに従い聖所で満足せずに、至聖所へはいり、そこで神の聖霊が律法(神の明白な性格)を信者の心と思いに刻み込む必要があります(ヘブル8:10 10:16)。(完全性に達する体験)
*ヘブル8:10
わたしが、それらの日の後、イスラエルの家と立てようとする契約はこれである、と主が言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつけよう。こうして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう。
最後に、救われる人は皆、中庭から至聖所まで聖所の道を歩かなければならないことに留意することが重要です。悔い改めた人々は(彼らの特別な状況のために)聖所の救いの過程の特定の段階を満たすことができませんが、彼らのためにキリストはすべての義を成就されました(マタイ3:13-15を参照)。
すべては、御国にはいるための必須条件を満たすための神からの深い愛の供えということなのです。御国は罪人を受け入れることができませんので、すすがれて清められ、完全性にまで高められなければならないのです。回心、献身、義認、聖化、完全まで高められる体験が必要です。聖霊の助けがあります。
神の印は、そのような人々の額に押されます。
いつですか。
恩恵期間終了直前です。というより、七つの災いの始まる直前といった方がわかりやすいでしょう。非常に終わりの時は短くなっています。都会に住んでいる人々は、山に移住する準備をしてください。品性改革が鍵です。米国からさまざまな情報が毎日届いています。
(3)へ続きます。
アーメン!!
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