聖書は第一に、天に真の神の幕屋、宮、聖所、神殿があることを多くのべています。
*ヘブル8:5
『彼らは、天にある聖所のひな型と影とに仕えている者にすぎない。それについては、モーセが幕屋を建てようとしたとき、御告げを受け、「山で示された型どおりに、注意してそのいっさいを作りなさい」と言われたのである。』
後にソロモンはモーセの原型をもとにして大きな神殿を作りました。
「しかし神は、はたして地上に住まわれるでしょうか。見よ、天も、いと高き天もあなたをいれることはできません。ましてわたしの建てたこの宮はなおさらです。」列王記上8:28。
「しかし、いと高き者は、手で造った家の内にはお住みにならない。預言者が言っているとおりである、 『主が仰せられる、どんな家をわたしのために建てるのか。わたしのいこいの場所は、どれか。天はわたしの王座、地はわたしの足台である。」使徒7:48、49。
もう一つ神が最も関心を払っておられるのは、私たち人間です。
「私はあなたをほめたたえます。私は恐ろしく、素晴らしく造られているからです。
あなたのみわざは驚くべきものであり、私の魂はそれをよく知っています。」NKJV詩篇139:14。
私たちは神のみかたちに創造されています。
今回は、祭司と祭司職と罪の処理について調べます。
まず、祭司の服については次のようになっています。
*出エジプト28:2
「またあなたの兄弟アロンのために聖なる衣服を作って、彼に栄えと麗しきをもたせなければならない。」
普通の祭司の服は縫い目のない織物の服で、帯は青、紫、赤で刺繍されていました。
大祭司の服は、最も高価な材料で最も美しく作られました。普通の白い祭司服の上に縫い目のない青くて長めのチュニックを着ていました。スカートの周りには金の鈴と青、紫、赤のざくろで飾られ、その外に、金、青、白の刺繍のエポデを着ました。
⚫️祭司、大祭司の服装の意味
*出エジプト28:29
「アロンが聖所にはいる時は、さばきの胸当にあるイスラエルの子たちの名をその胸に置き、主の前に常に覚えとしなければならない。」
大祭司の身につけているものにはすべて意味があります。
頭の部分から。
大祭司帽・・・・亜麻布(糸)。誇り顔を贖う(詩10:4)。帽子の金の板には、ヤーウェに対して聖なる者、傲慢な態度を贖う。
エポデ・・・金糸(天の栄光)、青糸、緋糸で刺繍されていた(出エ28:6)偶像礼拝を贖う。
エポデの両肩の宝石・・・二個のしまめのう。イスラエルの部族名がそれぞれに6つずつ書かれている。(出エ28:9-10)
エポデの裁きの胸当て・・・12の宝石。(出エ28:7-21
胸当てには主の意志を判定するためのウリムとトンミムが入れられていた・・・(出エ28:30)
「胸当ての左右には特に輝いた二つの大きな宝石があった。これはウリムとトンミムと呼ばれていた。これによって神のみこころが大祭司を通して知らされた。決定すべき問題が主の前に持ち出されたとき、右の宝石の周囲に光輪がかかれば、これは神の是認もしくは認可のしるしとなり、左の宝石にかげりができれば、これは拒否もしくは認可されないしるしとなった」(『人類のあけぼの』文庫版、中巻141ページ)。
エポデの祭服(青いチュニック)・・・悪口を贖う(コロサイ3:8)。
祭服の裾・・・金の鈴、青糸、紫糸、緋糸のざくろ。(出エ28:33-34)。鈴の音が聞こえるか聞こえないかで、聖所内の祭司の安否を知る。
『大祭司を除いては、いかなる人も聖所の奥の部屋を見ることができなかった。その祭司も、年に1度だけで、しかもきわめて細心かつ巌粛な準備ののちに初めてそこにはいることができた。彼は震えおののきながら、神の前に行った。そして、民は、うやうやしく沈黙を守って彼の帰りを待ち、熱心に神の祝福を求めて祈っていた。大祭司は、贖罪所の前でイスラエルのために贖いをした。そして、神は栄光の雲のうちで彼に会われた。大祭司がここに通例の時間より長くとどまることがあると、彼らは、自分たちの罪か、あるいは、大祭司自身の罪のために、彼が主の栄光によって絶たれてしまったのではないかと恐れるのであった。 』(人類のあけぼの、30章)
帯・・・いつでも待機している信者の型。
香炉・・・十分に主の栄光にあずかること。
白い亜麻の祭服・・・殺しを贖う。
内布・・・・・・・・性的とがを贖う。(マタイ5:28)
素足・・・素足で歩くことで聖地に立っていることを表した。
罪人ために父の前で、ご自分の血による嘆願をなさる大祭司キリストも、ご自分の心に、すべて悔い改めた、信じる魂の名をしるしておられます。「私は貧しく、かつ乏しい。しかし主はわたしをかえりみられます」と詩篇記者は書いています。(詩篇40:17)
胸当ての左右には特に輝いた二つの大きな宝石がありました。ウリムとトンミムと呼ばれていました。これによって神のみこころが大祭司を通して知らされました。決定すべき問題が主の前に持ち出された時、右の宝石の周囲に光輪がかかれば、これは神の是認もしくは認可のしるしとなり、左の宝石にかげりができれば、これは拒否もしくは認可されないしるしとなりました。
大祭司の帽子は、白亜麻の被り物でしたが、それには「主に聖なる者」としるした金の板が青ひもでむずばれていました。祭司の服と動作のすべては、それを見る者に、神の神聖なこと、その礼拝が清いものであること、神の前に来る者には純潔が要求されることなどを、深く感銘させるものでなければなりませんでした。
⚫️祭司の奉仕
*1ペテロ1:19
「きずも、しみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのである。」
犠牲の動物は、病気だったり、足がなかったりする動物はいけにえにすることはできませんでした。ペテロの聖句にある通り、健康な完全な動物が要求されました。それは完全なイエスの贖いを表します。
<日毎の務め>
朝のいけにえは9時
夕のいけにえは3時
でした。
『朝夕の燔祭に加え、金の祭壇における香の供え物、および個人個人の罪のための特別な供え物からなっていました。ほかに、安息日の供え物、新月の供え物、祭日の供物がありました。』
<レビ族と祭司職>
レビ族が祭司職に選ばれたのは、イスラエルが荒野で金の子牛を崇拝して背教したとき、レビ族はモーセの厳粛な訴えに応えて主のために立ち上がりました。そして彼らは悔い改めない同胞を滅ぼすという神の裁きを執行しました(出エジプト記 32:26-28 )。この行動のために、主は幕屋に関して主に仕えるためにイスラエルの他の部族よりもレビ族を選ばれたようです(民数記 3 )。
レビ族の2つのグループの人々は幕屋に関して奉仕しました。彼らは一般にレビ人や祭司と呼ばれています。祭司はレビ人でしたが、モーセの兄弟であるアロンの子孫であったことに注意することが重要です。したがって、すべての祭司はレビ人であったと言えますが、すべてのレビ人が祭司であったわけではありません。出エジプトの間、レビ人は幕屋に関して役割を担っていましたが(幕屋の道具の管理、幕屋の設置と撤去、輸送の準備など)、聖所における祭司の特別な義務はアロンとその息子たちに与えられていました(民数記1:47-54、民数記3、民数記18を参照)。
<象徴色の意味>
さらに、祭司の衣服の主な色(聖所の他の場所にも見られました)はすべて、祭司によって行われた厳粛な贖罪の業に関連して象徴的にあらわされた色でした。たとえば、撚り糸で織った亜麻布(白)はキリストの清浄さや正義の象徴でした(黙示録 7:14、19:7-8 参照)。金は神の富の象徴でした(ヨブ記 22:23-26、3:17-18 参照)。青は神の戒めへの従順の象徴でした(民数記 15:38-41 参照)。紫は神の王権の象徴でした(士師記 8:26、マルコ 15:16-20 参照)。そして緋色は人類の罪を償うために流されたキリストの尊い血の象徴でした(ヘブル人への手紙 9:11-15 参照)。これらの色は重要な象徴性を持つだけでなく、祭司の衣服の栄光と美しさを増し、彼らの神聖な職務を他の仕事や労働から区別するものでもありました。
⚫️罪の処理
祭司の選び、仕事、服装は、堕落したアダムの種族に対するキリストの奉仕の型です。祭司が特別に選ばれたのと同様に、キリストは世界の基が置かれる前から人類のなだめとして特別に選ばれました (ペテロ第一 1:18-21、黙示録 13:8 )。祭司職に就く祭司が罪の供え物を食べるよう命じられ、罪人の咎をその身に負ったのと同様に (レビ記 6:26、レビ記 10:17 を参照)、キリストは「十字架の上で私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪に対して死んで、義に生きるためです」 (ペテロ第一 2:24 )。祭司たちの執り成しの働きは、キリストが後に天の聖所でなされる大祭司の働きの象徴でした(ヘブル5:1-10、4:14-16、8:1-6 )。祭司の衣服の基布として使われた亜麻布(白)は、贖われた者たちが神とキリストの祭司として奉仕し、天で千年間キリストとともに統治するときに着るキリストの義の栄光ある衣を象徴していました(黙示録 7:14、19:7-8、20:6 )。プロテスタントでは、すべてのクリスチャンは、万民祭司と呼ばれます。
<罪の処理のチャート>
スケープゴートについてはご存知と思いますので、割愛します。この図のように、聖所で罪の処理がなされますが、年に一度の贖罪日のことを理解することがポイントとなります。
画像の「サンクチュアリ」というのは「聖所」および「至聖所」のことです。
「デイリーサービス」とは日々の奉仕の意味です。
外庭にて、悔い改めた罪人は供え物を幕屋の戸口にたずさえ、このいけにえに手をおいて罪を告白し、象徴的にその罪を彼自身から無垢の犠牲の上に移し変えます。それから動物は彼自身の手によって殺されます。
罪の移行
祭司は血を聖所に運んで、この罪人の犯した律法を入れた箱の前方にたれているとばり(幕)の前に注ぎます。この儀式によって、罪は血によって象徴的に聖所に移されたことになります。
血が聖所の中にたずさせられない場合もありました。その時は、モーセがアロンの子らに命じて「これは・・・あなたがたが会衆の罪を負(う)・・・ため、あなたがたに賜った物である」レビ10:17と言ったように、祭司がその肉を食べなければならなかったのです。これらの儀式は、共に悔い改めた者から聖所へと罪が移されることを象徴したものでした。
このようなつとめが毎日1年を通じて行われたので、イスラエルの罪が聖所に移されたので聖所は汚れ、そのため、罪を取り除く特別の務めが必要となりました。神は祭壇と同様に二つの聖所の部屋についてもあがないをし、「イスラエルの人々の汚れを除いてこれを清くし、聖別しなければならない」とお命じになりました(レビ16:19)。
考えてもみてください。動物の血が毎日毎日、とばりに振りかけられるのです。外庭の祭壇の周りもどこも犠牲の血で真っ赤です。契約も血が関係し、十字架も血です。血は命を意味します(申命記12:23)。赤い血潮は私たちの罪のため、壮絶な十字架の死を遂げられたキリストの功績を意味します。血は罪の赦しと、清めを表します。
罪の処理のためどれほど面倒なプロセスが必要だったでしょうか。
罪人の罪は悔い改めと告白によって、小羊に移され、聖所に移され、聖所からついにはサタンに移されました。罪人から犠牲の血か肉かによって聖所に移された罪は、贖いの日に主の山羊が罪祭としてささげられ、もう一つのヤギ、アザゼルに移されました。そして「定められた人」によって、遠い地に連れ去られました(レビ16:5-10)。
祭司職の働きには、人類を神の愛の腕の中に連れ戻すキリストの仲介の働きが明確に象徴されています。十字架上でのキリストの死後、人間の祭司の働きは終わったことに留意することが重要です (マタイ 27:50-51 )。人類は今、上を見るよう指示されています。そこでは、最初の大祭司であるキリストが、堕落したアダムの息子娘たちのために執り成しをしておられます(コロサイ 3:1 )。聖所の美しい主題を掘り下げながら、キリストの大祭司としての働きについてさらに詳しく学ぶ必要があります。
勧告: 聖所の祭司たちがイスラエルの民のために模範的な生活様式の手本となるよう召されたのと同じように、キリストはすべての信者が世界の人々のために同じことをすることを期待されているのです。使徒ペテロは聖霊の啓示を受けて次のように書きました。「しかし、あなたがたは選ばれた種族、王なる祭司、聖なる国民、神の神に付けられた民です。それは、あなたがたを暗やみの中から驚くべき光の中に招き入れてくださった方の栄光を、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」(ペテロ第一 2:9)。
これはすべて私たちの命のためでありました。
神の希望は、「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」ヨハネ3:16。
世の終わりの裁きが近づいています。生き残る人々はホサナミニストリーやその他の個人的自給伝道のグループが言っているような「現代の真理」を理解する人々です。
バビロンから出て神との個人的関係を強めていただきますよう切に願います。天へ行く人々は神の印を押された144000人です。時が短くなっています。静かな田舎に移住し、じっくり預言と聖書を学び、野菜を作り、聖霊の助けを求め、品性改革を行なってください。今後本当に都会は危険になっていきます。あと数年かもしれません。・・・・
神の愛ある供えに感謝します!!
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