キリストは、AD31年、私たちの罪を贖うために死なれ、3日後に復活され40日後に昇天されました(使徒1:3)。天の宮に戻られたのです。至聖所に入られたのは1844年です。
ヘブル10:13-17には、私たちの罪について描かれています。
12 しかるに、キリストは多くの罪のために一つの永遠のいけにえをささげた後、神の右に座し、
13 それから、敵をその足台とするときまで、待っておられる。 14 彼は一つのささげ物によって、きよめられた者たちを永遠に全うされたのである。 15 聖霊もまた、わたしたちにあかしをして、 16 「わたしが、それらの日の後、彼らに対して立てようとする契約はこれであると、主が言われる。わたしの律法を彼らの心に与え、彼らの思いのうちに書きつけよう」と言い、 17 さらに、「もはや、彼らの罪と彼らの不法とを、思い出すことはしない」と述べている。
この場面はキリストが私たちの罪を処理されたことを意味します。パウロやヨハネが書いている書簡を読むと彼らの書いていることは、すべてこの部分に通じ、さらに、黙示録14章の獣の刻印に勝利した144000人に繋がっていると考えるようになりました。エペソの手紙も、コロサイ人への手紙も、使徒たちは同じ幻を与えられたいたのです。特にパウロのヘブル書は天の聖所の大祭司イエス・キリストを描いていますので、際立っています。
目的は、「死に至るまで従順」であれ、です。そのような厳しい終わりの時が近づいているからです。しかしそれは天の住人となるための神が求められていることがらなのです。
*黙示録2:10
「あなたの受けようとする苦しみを恐れてはならない。見よ、悪魔が、あなたがたのうちのある者をためすために、獄に入れようとしている。あなたがたは十日の間、苦難にあうであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、いのちの冠を与えよう。」
*黙示録12:11
「兄弟たちは、小羊の血と彼らのあかしの言葉とによって、彼にうち勝ち、死に至るまでもそのいのちを惜しまなかった。」
*ピリピ2:8
「おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。」
地上の聖所は天の聖所の写しでした。
パウロは次のように語っています。
「キリストは、ほんとうのものの模型にすぎない、手で造った聖所にはいらないで、上なる天にはいり、今やわたしたちのために神のみまえに出て下さったのである。」ヘブル9:24
至聖所のきよめについてモーセは次のように記録しています。
「この日にあなたがたのため、あなたがたを清めるために、あがないがなされ、あなたがたは主の前に、もろもろの罪が清められるからである。」レビ記16:30
民はどのようにこの日を過ごさねばなりませんでしたか?続く31節に書かれています。
「これはあなたがたの全き休みの安息日であって、あなたがたは身を悩まさなければならない。これは永久に守るべき定めである。」同上31節
⚫️ 今は贖罪の日
1844年に至聖所に入られたということは、地上の聖所で大祭司が年に一度の贖罪日に至聖所にはいって罪の処理をする時と同じことを現しています。。
キリストの血は、悔い改めた罪人を律法の宣告から解放しましたが、それは罪を消し去るものではありませんでした。罪は最終的な贖罪の時まで聖所の記録に残るのでした。そのような象徴においても罪祭の血は悔い改めた者から罪を取り除きましたが、罪は贖罪の日まで残りました。
大いなる最後の報いの日に、死者は「死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。」(黙示録20:12)と書かれています。このとき、真に悔い改めたすべての者の罪は、キリストの贖罪の血によって天の書物から消されます。このように、聖所から罪の記録が除かれ、清められます。
『型としての奉仕において、大祭司は、イスラエルのために贖罪をなし終えると、外に出て来て、会衆を祝福した。そのように、キリストも、仲保者としての働きを終えられると、「罪を負うためではなしに……救を与える」ために来られて、彼を待っている人々に永遠の生命をお与えになる(ヘブル9章28節)。祭司が聖所から罪を除去した時に、アザゼルのやぎの上にそれを告白したように、キリストは、罪の創始者であり扇動者であるサタンの上に、これらの罪をすべて置かれるのである。アザゼルのやぎは、イスラエルの罪を負って、「人里離れた地」に送られた(レビ記16章22節)。そのように、サタンは、自分が神の民に犯させたすべての罪を背負って、千年の間、この地上に監禁される。地上はその時、荒れ果てて住む者もいない。そして彼は、ついに、すべての悪人を滅ぼす火の中で、罪の刑罰を余さず受ける。こうして、罪は最終的に除去され、進んで悪を捨て去った人々がすべて救われて、贖いの大計画は完成するのである。』(大争闘28章)
地上の大祭司・・・大祭司は、聖所から罪を除去した時に、アザゼルのやぎの上に告白し、やぎはその罪を負って人里離れた地に送られ、二度と戻ってこない。
天の大祭司・・・・天の大祭司キリストは、サタンに人類全ての罪を置かれる。サタンは誰もいなくなった地上に千年の間監禁され、その後、永遠の滅びが与えられる。贖いの大計画の完成となります。
つまり、天の聖所と至聖所におけるイエスの仲保の働きによって贖いは完成されるのです。
罪の除去こそが最後の贖いです!!(人類のあけぼの上422,433)
天の記録から永久に罪を除去すること。
心の記録から永久に罪を除去すること
「最後の贖い」「特別な贖い」「特別な清め」と呼ばれます。
神のタイムラインでは、この務めがなされるのは、千年期にまで及びます。
キリストが、今天でなされている務めは、再臨前審判と言って、全人類の死んだ人から調査が順番に始まって、現代に今生きている人々まですべての人々の罪が調査されています。天のかずかずの書物の記録がありますのでそれによって調査されています。今は、自分の罪すべてを告白悔い改めをすべき時です。
しかし恩恵期間の終了までに(七つの災いの始
まる直前までに)神の印をいただく必要があります(後の雨の聖霊降下がある)。ですから、今が最も重要な時なのです。告白と悔い改めと死に至るまで従順な信仰を確立する必要があります。七つの災いでは、獣のしるしの人々だけに災いが及びます。
天へ入る条件は、キリストのような品性をいただくことです。決意と共に、願うならば、必ず聖霊が助けられます。英語でコミット(コミットメント)したクリスチャンという言葉がありますが、それは、必ず、確実に、最後まで神との関係で決意したことは必ず果たす本物の信仰者のことを言います。どこにでも、目立たない、感じの良い、よく学び、柔和で確信に満ちた人々がいます。そのような人々との交わりは最高に喜びとなります。そのような人々になっていただきたい。
アーメン!!
Comments