聖書預言とイスラエル国の役割(1)
- hosanaministry
- 2月25日
- 読了時間: 17分
更新日:2月27日

現在、私たちが見ているものは何でしょうか。今日のブログは聖書の預言におけるイスラエルの役割を聖書研究的に見ていきます。
これは非常に重要なテーマです。なぜなら、現在起こっている様々な出来事から、私たちが終わりの時に生きていることがわかるからです。また、他のキリスト教宗派は、聖書の預言を誤解して、イスラエルが終わりの時に重要な役割を果たすと信じているからです。私たちはイスラエル国で何が起こるか見守らなければなりません。イスラエルが何をしようと、それがどれだけ終わりの時に近づいているかを示す、重要な指標だからです。多くの人はそれを信じています。これらのことを考察して、その主張が正しいかどうかを確認し、終わりの日に、地理的位置に注意を向けたいと思います。
本日の研究は、米国プロフェシーズアゲイン(再び預言を)という独立したSDA世界総会から離れたグループの聖書研究とその資料に基づきます。
[★注:日本にはいくつかの独立した自給伝道グループがありますが、私はどのグループの説教でも物足りません。なぜなら、日本の説教では、象徴的すぎて、つまりEGWと現代に見られる米国の出来事がどのように預言と繋がり、預言が適用、成就されているかを知ることができないからです。それゆえに、正直申し上げて、退屈でもあります。初心者であれば、いいかもしれません。しかし、成熟に向けて成長するには、米国の出来事と、聖書と照らし合わせなければ聖書の言っている意味を適用し、今、自分達がなすべきことをよく考えなければならないからです。このように、アメリカの真の探究者たちのグループのYoutubeビデオから学びはじめて5ヶ月ほどになりますが、大変学びの多いものであることを確信しています。私の書いているブログは、私自身の言葉ではなく、私が学んだことを含め、彼らから学んだ言葉で書いています。文中の[★注:]は私の個人的言葉です。]
イスラエルと米国の関係において、現在、次の三つの出来事が起こっていることがわかっていますが、聖書預言においてこれはどのような意味を持つのでしょうか。
今日のブログは、聖書預言の学びとイスラエルについて考察したいと思います。
ほとんどの福音派及びキリスト教徒は、イスラエル国家が聖書の預言の成就に重要な役割を果たしていることに同意しているようです。これらの主張はどれほどの妥当性があるのでしょうか。しかしながら、終末の聖書の預言の成就に関して、焦点を置くべきはどこなのか、ということも考えてみたいと思います。
【ルカドとイスラエル】・・ルカドについては、番号3.のところに説明しています。
現在のイスラエルに関する出来事においては、以下の三つが挙げられます。
ハマスが人質を拘束し続ける中、米国はネタニヤフが何を選択してもイスラエルを支持する。実は、最近ハマスから人質の返還がありましたが、赤子と幼子の棺、4歳の子供とその母親のものの三つの棺でした。このような緊張するような出来事がおこっています。彼らは赤ん坊は殺さないと言っていたのですが、そうではなかった。愕然とします。大統領は福音派から助言を受けています。
トランプ大統領は米国がガザ地区を「占領」すると述べ、米軍の投入も否定しない。
この地区には、神殿のあった山には、ソロモンが建てた神殿の丘ですが、現在は何がありますか? ドームと呼ばれるモスクがあります。歴史上では、1200年代からオスマン帝国が東アジアを支配していました。だからそこにモスクがあるのです。世界の三大宗教である、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教によって高く評価されています。神の摂理によりそこにモスクがあるので、彼らはどうすることもできません。彼らは互いにその土地を欲しがり、ガザ地区を占領しようとしているのです。聖書預言において、彼らにとっては非常に重要なことだからです。その預言の教師の一人がマックス・ルカドです。(彼に関する情報は以下に書いています。)
私たちは本当に終末の時を迎えているのでしょうか?イスラエルに関する聖書の預言、「絶滅」の恐怖はどうなのだろうか。
なぜ、トランプ大統領はここまでイスラエル支援をるすのでしょうか。それは、彼がイスラエルを支援すれば自分達に祝福が来ると信じているためです。
マックス・ルカドという人は、牧師、作家、福音伝道者として長年にわたり幅広い分野をカバーしてきました。最近では、聖書の終末に関する「次に何が起こるのか? この時代の終わりを旅するガイド」というタイトルの本を出版しました。(この人は携挙を信じている人です。)
これはルカドが取り組まなければならないと感じたテーマです。
何百年もの間、教父や教会の指導者たちは、イスラエルが国家として再建されることを想像できなかっとルカドは言っています。「その結果、イスラエルに関する預言の多くは、イスラエルが国家として再建されたり、再定住されたりすることを寓意的(および比喩的)に捉えていた。彼らはそれを思い描くことができなかったのです。 もちろん、1948年5月にイスラエルが国家となったとき、すべてが変わったと思います。イスラエルが国家でなければ成就できなかった多くの預言の成就が可能となるからです」。
以前は国家ではなかったのに、今は国家として存在しています。彼らはそれを預言的な事柄だと捉えています。ある人々は、何が起こるかわかっていると言いますが、ルカドとしてはそれが気に入らないのでした。なぜなら、彼はそれがわからなかったからです。そのような教師は、私たちには必要ありません。
要は、私たちは聖書を読まなければならない、ということです。聖書に答えが与えられているということです。今、この記事を読まれている方は、すでに彼の間違いを理解されていると思います。
神は過去にどのように人々を導かれていったのかを知るならば、現代においても、どのように導かれるかを知ることができるからです。過去に神がどのように働かれてきたかを
知らなければ、神が将来どのように働かれるかはわからないでしょう。多くの人は、そのことを知らないために、不安を抱えています。
【真の宗教】
かのイスラエルには、「岩のドーム」と呼ばれるモスクがありますが、そこを三つの三大宗派が欲しがっています。果たしてどの宗派が真の宗教なのでしょうか。このことにも触れておかなければなりません。それを知る方法はあるのでしょうか。
これは多くの人が尋ねる質問ではないでしょうか。どのように答えられますか。
黙示録12:17、イザヤ8:20、ヤコブ1章は、真の宗教について語っています。
*黙示録12:17
龍は、女に対して怒りを発し、女の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たちに対して、戦いをいどむために、出て行った。
神の戒めとは、十戒を意味しています。特に第4条(土曜日安息日)は多くのキリスト教徒に守られていません。第4条を守る人々、イエスのあかしを持っている者が真の宗教を持つ人々です。サタンはそのような人々に怒りを発します。
*イザヤ8:20
ただ教とあかしとに求めよ。まことに彼らはこの言葉によって語るが、そこには夜明けがない。(古代預言者の時代、教とは、モーセ五書でした。)
「英文聖書KJV訳 律法と証言とに従って語らなければ、彼らの中には光がないからである。」
(「教」とは、英文聖書では律法(the law)を意味しています。日本語訳はよく意味がわかりにくいので、私は英文を優先しています。)
*ヤコブ1:26-27
26もし人が信心深い者だと自任しながら、舌を制することをせず、自分の心を欺いているならば、その人の信心はむなしいものである。
27 父なる神のみまえに清く汚れのない信心とは、困っている孤児や、やもめを見舞い、自らは世の汚れに染まずに、身を清く保つことにほかならない。
信心とは、宗教を意味します(英文では信心、信仰的、とは "religious"という言葉が使われている)。真の宗教は、このヤコブの聖句にも表されています。
26節は罪を示します。神は、けがれのない教会を探しておられます。エペソの手紙5章で夫と妻のことが書かれていますが、それはキリストと教会を表しています。それは罪のない人生に導きます。真の宗教は、罪に打ち勝つことができると教える宗教ということです‼️
もう一つは、神こそがその源であられるので、人の教えに基づかないということは、大変重要です。人間に基づくならば、砂の上に建てることになります。神の言葉に基づくことです。それが岩の上に建てることを意味します。
【神の預言】
多くの宗教は、必ず、独自の書物や聖書注解書を持っています。初めての人々が神を求めたり、知ろうとする時に手引書のようなものが与えられると思います。しかしそれこそも調査しなければ危険かもしれないのです。彼らの宗教的テキストや聖典があって読んでも、預言と呼ばれるものがあって、それと一致しているかどうか、過去に100%の確率で起こったかどうかを確認すべきなのです。すべてを鵜呑みにしてはならないのです。
[★今や、21万人の信者を持つ、日本のエホバの証人の教えには特に注意してください。彼らは他の宗派の聖書や書物は読むな、と言っています。それは明らかに、何かに対する恐れがあるためです。私(元JW)を含む多くの信者が大切な人生の時間を無駄にしました。]
聖書は過去の預言において100%の確率で成就しています。それは決して外れることがありませんし、これからも外れることはありません。
*イザヤ46:9-10
9 いにしえよりこのかたの事をおぼえよ。わたしは神である、わたしのほかに神はない。わたしは神である、わたしと等しい者はない。
10 わたしは終りの事を初めから告げ、まだなされない事を昔から告げて言う、『わたしの計りごとは必ず成り、わが目的をことごとくなし遂げる』と。
10節の意味は、過去も現在も未来も告げ、すべてが成就する‼️ということです
預言者アモスも語っています。
*アモス3:7
7 まことに主なる神は、そのしもべである預言者にその隠れた事を示さないでは、何事をもなされない。
さて、世界の主要宗教において、そのほとんどすべてが、ある人物に由来していると言えます。その人物とは、いったい誰でしょうか。イスラム教、ユダヤ教、キリスト教の三大宗教は誰を父としているでしょうか。
【アブラハムの約束】
創世記12:3では、「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」。
神はアブラムに、多くの国民の父となると約束されました。ご存知のようにアブラムはユダヤ民族イスラエルの父となりました。「地のすべてのやからは、あなたによって祝福される」と約束されました。
神はアブラムを偉大な国家、民族、または民族にすることを神ご自身が決定されました。それは、アブラムとその子孫を通してすべての人間を祝福するためです。アブラムは排他的になり、神の真理を自分だけに留めておくために選ばれたのではなく、むしろそれをすべての人と共有するために選ばれました。旧約聖書には、ユダヤ人がどのように神に従い、その後神に背いたかが詳しく記されています。預言者ダニエルを通して、ユダヤ人は神に忠実であり続け、世界に福音を伝えるか、神の選民として断ち切られるかの試練の期間を与えられました。この預言を理解するために、ダニエル書 9:24-27 を簡単に振り返ってみます。
まず、ダニエル9:24
「あなたの民と、あなたの聖なる町については、七十週が定められています。これはとがを終らせ、罪に終りを告げ、不義をあがない、永遠の義をもたらし、幻と預言者を封じ、いと聖なる者に油を注ぐためです。」
質問と答えのスタイルになっています。
ダニエルの民、ユダヤ人には、そのくらいの期間が定められていましたか? それは70週でした。
注:預言の「1日を1年とする」聖書の年代計算のきまり(民数記 14:34、エゼキエル書 4:6) を使用すると、70 週は文字通り 490 年を表します。
70 週 x 7 日 = 490 日。490 日は 490 年を表します。聖書の預言では 1 日が 1 年を表すからです。
70 週の預言の始まりを示す出来事は何ですか? ダニエル 9:25に何と書かれていますか。
「それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう」。
ユダヤ人にエルサレムの神殿を建て直すようにという命令または布告を与えたのはどの王ですか。また、その王の治世の何年にそれが与えられましたか? エズラ 7:7-13, 21-27
まず、預言の始まりを示す出来事は、エルサレムの再建の命令です。その起算点を正しく調べなければなりません。確認のために次の参考文献を参照してください。
注: 歴史によると、アルタクセルクセス王は紀元前 464 年に統治を開始しました。確認のために次の参考文献を参照してください。
「(ネヘミヤ 2:1) には別のアルタクセルクセスがいます。彼を、紀元前 464 年から 425 年まで統治したクセルクセスの息子、アルタクセルクセス マクロケイルまたはロンギマヌスと同一視しても差し支えありません。」スミスの聖書辞典 http://biblehub.com/topical/a/artaxerxes.htm(英文)
*紀元前 464 年から 7 年を数えると、アルタクセルクセスがエルサレムの修復と再建の勅令を出した年である紀元前 457 年になります。
*紀元前 457 年を 70 週の預言の開始日として、490 年先の未来に進むと、70 週の預言の終わりとなる年は何年ですか? (ヒント: 紀元前と紀元後をまたぐときは、「0 年」は存在しないため、1 年を加算する必要があることを覚えておくことが非常に重要です。わかりやすくするために、次の例をご覧ください (紀元前 2 年、紀元前 1 年、紀元後 1 年、紀元 2 年など)。
490年ー457年=33年 西暦33年になりますが、0年は存在しないので、1年を加算する。つまり、答えは、西暦(紀元後AD)34年となります。
ダニエル書 9:24 では、ユダヤ人は 490 年で何を成し遂げるべきだと言っているでしょうか。
「これはとがを終らせ、罪に終りを告げ、不義をあがない、永遠の義をもたらし、幻と預言者を封じ、いと聖なる者に油を注ぐためです。」
注: ダニエル書 9:24 では、ユダヤ人は罪を終わらせ、救世主であるイエス・キリストを受け入れるのに 490 年かかると言っています。しかし、国家として、彼らはイエスを拒絶し、十字架につけました (ヨハネ 1:11)。 イエスとその真理のメッセージが最終的に拒絶されたのは、十字架の後で、ユダヤ人がステファノを石打ちにしたときに起こりました。ステファノの石打ちは、ユダヤ人の試練の終わりを告げる主要な出来事です。この点を証明しましょう。
*ヨハネ1:11
11 彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。
ヨハネ1:11に書かれている通り、イエスはまず国家としてのイスラエルに拒絶され、十字架に付けられました。それから、さらに、3年半の後、ステパノを殺害することによって、ユダヤ人個人がイエス・キリストについて受け入れないことが明らかとなったのです。これはユダヤ人は神の民であったのに、彼ら自身が拒絶し、このことはイエスを傷つけます。彼らを救うために来られたのに、彼らは受け入れなかったからです。私たちが世にイエスのことを伝える時、世がどのように受け入れるでしょうか。
福音主義者は、すべては十字架にあると教えると言われています。十字架はまさにここにあるのですが、つまり十字架を指し示す預言です。将来にそれを投げることはできません。
ステパノは使徒行伝 7:50-52 で、ユダヤ人は正しい方であるイエスを殺害した罪を犯したと説教しました。彼らがステファノを石打ちにし始めたとき、ステパノはイエスが「神の右に立っておられる」のを見ました。イエスは昇天後、どこに座っておられたのでしょうか。使徒行伝 2:32-34;ヘブル人への手紙 1:3;ヘブル人への手紙 10:12
*使徒行伝 7:51-52、55 ・・・ステパノの説教。
51 ああ、強情で、心にも耳にも割礼のない人たちよ。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっている。それは、あなたがたの先祖たちと同じである。
52 いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、ひとりでもいたか。彼らは正しいかたの来ることを予告した人たちを殺し、今やあなたがたは、その正しいかたを裏切る者、また殺す者となった。
55 しかし、彼は聖霊に満たされて、天を見つめていると、神の栄光が現れ、イエスが神の右に立っておられるのが見えた。
*使徒行伝 2:32-34・・・・イエスの昇天後の位置
32 このイエスを、神はよみがえらせた。そして、わたしたちは皆その証人なのである。
33 それで、イエスは神の右に上げられ、父から約束の聖霊を受けて、それをわたしたちに注がれたのである。このことは、あなたがたが現に見聞きしているとおりである。
34 ダビデが天に上ったのではない。彼自身こう言っている、『主はわが主に仰せになった、
*ヘブル人への手紙 1:3 10:12
3 御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であって、その力ある言葉をもって万物を保っておられる。そして罪のきよめのわざをなし終えてから、いと高き所にいます大能者の右に、座につかれたのである。
*ヘブル10:12
12 しかるに、キリストは多くの罪のために一つの永遠のいけにえをささげた後、神の右に座し
a)イエスが父の右に座っているのが見られるのはどういう意味ですか? ローマ人への手紙 8:34
34 だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。
それは神と私たちの執り成しのためでした。
b) しかし、ステパノはイエスが父の「右に立っている」のを見ました(使徒7:55)。イエスが天に「立っている」のが見られるのはどういう意味ですか? ルカによる福音書 13:25-28; ヤコブの手紙 5:9; エゼキエル書 9:3-6 (「上って行かれた」という表現は、主が立ち上がった、または立ち上がったことを意味します)。
*ルカ13:25-28
25 家の主人が立って戸を閉じてしまってから、あなたがたが外に立ち戸をたたき始めて、『ご主人様、どうぞあけてください』と言っても、主人はそれに答えて、『あなたがたがどこからきた人なのか、わたしは知らない』と言うであろう。
26 そのとき、『わたしたちはあなたとご一緒に飲み食いしました。また、あなたはわたしたちの大通りで教えてくださいました』と言い出しても、
27 彼は、『あなたがたがどこからきた人なのか、わたしは知らない。悪事を働く者どもよ、みんな行ってしまえ』と言うであろう。
28 あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが、神の国にはいっているのに、自分たちは外に投げ出されることになれば、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。
*ヤコブ5:9
9 兄弟たちよ。互に不平を言い合ってはならない。さばきを受けるかも知れないから。見よ、さばき主が、すでに戸口に立っておられる。
*エゼキエル9:3-6
3 ここにイスラエルの神の栄光がその座しているケルビムから立ちあがって、宮の敷居にまで至った。そして主は、亜麻布を着て、その腰に物を書く墨つぼをつけている者を呼び、
4 彼に言われた、「町の中、エルサレムの中をめぐり、その中で行われているすべての憎むべきことに対して嘆き悲しむ人々の額にしるしをつけよ」。
5 またわたしの聞いている所で他の者に言われた、「彼のあとに従い町をめぐって、撃て。あなたの目は惜しみ見るな。またあわれむな。
6 老若男女をことごとく殺せ。しかし身にしるしのある者には触れるな。まずわたしの聖所から始めよ」。そこで、彼らは宮の前にいた老人から始めた。
座するとは、例えば弁護士と打ち合わせをする時、共に座して話し合います。しかしそれが終わると、皆、どうしますか? 立ち上がって終わりです。イエスが天へ行かれた時、とりなしをしておられました。「父よ、私の民のために、時間をください・・私の犠牲の重要性を理解できるように」しかしイエスは、ある時点で立ち上がらなければなりませんでした。西暦34年ステパノが石打ちにされた時、イエスは立ち上がったのです。しかしそれは段階的でした。それは恩恵期間の終了を意味します。上記の聖句がそのことを教えています。
何かが起こった時、ちょっと待って、主に会いに行こうと言います。しかし主が立ち上がる前に会いにいくべきでした。主が立ち上がるまで待つべきではありませんでした。今すぐ主を求めなければならないことを上記の聖句は教えています。私たちが怠惰な椅子から立ち上がる必要があります。
立ち上がるのを助けてください、あなたのために働くことを助けてください、と祈るのです。
注: 聖書と歴史によると、ステファノは西暦 34 年に石打ちにされました。西暦 34 年を使って 490 年を逆算すると、70 週の預言の開始日である紀元前 457 年が確定します。西暦 34 年がステファノの死の年であることを証明している次の記事を参照してください。
「12 月 26 日、世界教会は、信仰の証しのために命を捧げた最初の人物である聖ステファノの西暦 34 年の死を記念します。彼は「最初の殉教者」と呼ばれることもあります。 https://www.catholicnewsherald.com/faith/190-news/faith/faith-dec/142-%20ststephen-the-first-martyr-remembered-dec-26
では、後半(2)に続きます。
後半は、イスラエルがキリストを拒絶したため国家として、世界に真理を伝える特権を失いました。では預言において重要な役割を果たす国はどの国か、ということと、黙示録の重要な預言を扱います。
アーメン!!
アクセスありがとうございます。
祝福と憐れみをお祈りします。
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