今回は、ちょっと気になることがあったので、そのことを書こうと思います。
前回の項目(11)で、私は少し違和感を覚えました。「基本的には教会に聖霊の後の雨が降るから、教会へ通え」というメッセージでした。この時代はもう終わったと思います。
ヘブル書10:25「ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互に励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか」は、
確かに教会はキリストの教会です。しかし、聖書はここだけをピックアップしては危険です。現代の教会のあり方を考えなければ、今日においては危険極まりません。サタンはこういった聖句を利用します。本当に「蛇のように賢く、鳩のように素直に」でなければ、人に流されてしまいます。マタイ10章にイエスが弟子たちを宣教に出す時に預言された言葉の一つです。
今は、人類歴史の終わりを目前に控えている時、聖書の最終部分にいます。
前回までご紹介した記事は、”Amazing Facts” という、おそらく世界でも最も大規模な個人の自給伝道の教会の牧師ダグ・バチェラーという牧師の記事からです。以前からこの教会の派手さが気になっていました。舞台装置やビデオ作成の秀逸さ、教会ホールの豪華さ・・・・
米国人夫に聞いてみると、カリフォルニアは金持ちが多いから仕方ないのかもしれない・・・というのですね。
しかし、他の著書も調べてみるとどうも納得がいかない。
あの牧師はEGWの証しのふみもあまり使われていませんが、それは他の教派で預言者を受け入れたくない人もいるので、前面に出さないのかもしれない、と思いつつ今日まできました。獣の像が米国で作られつつある今、なぜか一昨日から落ち着きませんでした。
いろいろ調べて、ちょっと怪しい部分も出てきました。だからと言ってあの牧師の言っていることが全て間違いということではありません。大切な部分は抜粋します。
SDA教会はすでに背教しています。私たち夫婦は教会へは随分前から通うのをやめました。教会の方針が教会指針に違反していたからです。安息日に理事会を開くのは間違っています。安息日にクリスマスコンサートなど行うのも、間違っています。
世界総会も以前ブログに書いた通り、イエズス会が入り、ロマリンダも、大学も。彼らに牛耳られ検閲されています。
項目(11)における教会は、1世紀の使徒たちのような教会であるならば適用できるかもしれませんが、現代の教会は神の観点からすればどの教派の教会もバビロン化していますね。
私がSDA教会へ初めて行った時、不思議な体験をしました。私は前の教会(エホバの証人の)をやめて以来、長い間教会へは行くことができませんでした。ただ、本物の教会が欲しかった。まことの神に会いたかった。それは、JW以来、ずっと心の奥底に祈り続けていたことでした。
ある安息日の朝、病気でもないのに、じっとしていられない状態が続き、体全体がムズムズして、これは何だろうと思いましたが、すぐに聖霊の促しとわかりました。夫に教会に連れて行ってください、とお願いしたものです。教会へ行ったら、何ともなくなりました。この時は夫の故郷ハワイに在住していました。もう20年以上も昔の話です。夫はその時、1年間ずっと私が教会へ行くように祈ったそうです。
教会へ戻る祈りを以前から続けていたのですが、今回は全く何もありません。神は私たちのことをよくご存知なので、もし私たちが間違っていたら、何らかの形で教えられると信じています。しかし何の変化もなく、分かったことは、1843年からすでにSDAは背教していたことです。
⚫️エレン・ホワイトは、SDA教会が、崩壊したバビロンの一部になる可能性を彼女の著作から決して排除しなかったことは、次の引用でさらに証明されています。教会の講壇からは決して語られない預言ですね。ラオデキヤどころか、背教です。
『もし神の教会がなまぬるくなったら、堕落して悪魔の住処、あらゆる汚れた霊の巣窟、あらゆる汚れた憎むべき鳥の檻になったとされる教会と同じように、神の恵みを受けることはない。」』手紙35、1898年、6-7ページ。
『私たちは、堕落したバビロンの姉妹となり、教会が堕落し、あらゆる汚れた霊で満たされ、あらゆる汚れた憎むべき鳥の檻となることを許してしまう危険にさらされています。』手紙51、1886年9月6日。
「教会に世間を持ち込んではならない。そして教会と結婚し、団結の絆を結ばなければ、教会はまさに堕落し、黙示録に記されているように、あらゆる汚れた憎むべき鳥の檻となってしまう。」牧師への証言 p.265。
「彼らは驚きながら、バビロンは教会であり、その誤りと罪のため、天から送られた真理を拒否したために堕落したという証言を聞く。」 -預言の精神、第 4 巻、p 424 または大争闘、p 606-607。
『聖所の秤でセブンスデー・アドベンチスト教会は量られる。教会はこれまで得てきた特権と利点によって裁かれる。もし教会の霊的経験が、キリストが無限の犠牲を払って授けてくださった利点に見合っていないなら、もし与えられた祝福が教会に託された仕事をする資格を与えていないなら、教会には「不十分」という判決が下される。与えられた光と与えられた機会によって教会は裁かれるのだ」』。{8T、247ページ。}
『もし教会が天の商人の声を聞くことを拒み、扉を開くことを拒むなら、キリストは去っていき、教会はキリストの臨在を失い、真の富を失い、独善的に「私は富んでいる、財産も増え、何一つ乏しいことはない」と言うことになる(黙示録3:17)。』原稿リリース、vol.11、291。
「我々は民としてイスラエルの陣営を目覚めさせ、清めなければなりません。淫らな行為、不法な親密さ、不道徳な習慣が我々の間に大量に入り込んできています。聖なる物を扱う牧師たちはこの点で罪を犯しています。彼らは隣人の妻を欲しがっており、第七戒は破られています。我々は堕落したバビロンの姉妹となり、教会が堕落し、あらゆる汚れた霊で満たされ、あらゆる汚れた憎むべき鳥の檻となるのを許す危険にさらされています。そして、既存の悪を治すために断固とした行動を起こさなければ、我々は清くなるでしょうか』{21MR、p 380、1886}。
『その夜、私はバトル クリークにいて、ドアの横のガラス越しに外を眺めていると、一団が 2 人ずつ家に向かって行進してくるのが見えました。彼らは厳格で、決然とした様子でした。私は彼らをよく知っていたので、彼らを迎えようと居間のドアを開けようと振り返ったのですが、もう一度見てみようと思いました。すると、場面が変わりました。一団は今やカトリックの行列の様相を呈していました。一人は手に十字架を持ち、もう一人は葦を持っていました。彼らが近づくと、葦を持った人が家の周りを一周しながら、3 回こう言いました。「この家は禁じられています。品物は没収されなければなりません。彼らは私たちの聖なる秩序に反抗したのです。」」(E.White、教会の証言、第1巻、p.578)
「総会の声については、その団体を通して神から発せられる信頼できる声はない。」原稿57、1895年10月12日および原稿リリース、第17巻、178ページ
⚫️一方で、真理を愛するクリスチャンがバビロンから出て、スモールグループ(小さなグループ)に加わり「残りの民」、「残りの教会」となります。
「神には教会があります。それは偉大な大聖堂ではなく、国家の施設でもなく、さまざまな宗派でもありません。それは神を愛し、神の戒めを守る人々です。「私の名によって二、三人が集まるところに、私は彼らの中にいます」(マタイ18:20)。キリストが謙虚な少数の中にいるところでさえ、これはキリストの教会です。なぜなら、永遠に住む高き聖なる方の存在だけが教会を構成することができるからです。」UL 315.5
「私は、名ばかりのアドベンチストや堕落した教会の中にも、神の正直な子供たちがいるのを見ました。そして、災いが降りかかる前に、牧師や人々はこれらの教会から呼び出され、喜んで真理を受け入れるでしょう。サタンはこれを知っており、第三の天使の大きな叫びが与えられる前に、これらの宗教団体に興奮を引き起こし、真理を拒否した人々が神が彼らと共にいると考えるように仕向けます。サタンは正直者を騙し、神がまだ教会のために働いていると思わせようとします。しかし、光は輝き、正直者は皆堕落した教会を離れ、残りの者たちと共に立つでしょう」 - 初代文集: 261 ページ。>
「聖霊は、その促しに従うすべての人に注がれ、彼らは人間のすべての仕組み、拘束的な規則、慎重な方法を捨て去り、聖霊の力の力で真理を宣言するでしょう。大勢の人々が信仰を受け入れ、主の軍隊に加わるでしょう…偽りの羊飼いが群れにまき散らした防護策は無に帰し、何千人もの人々が光の中に踏み出し、光を広めるために働くでしょう。」 -Review and Herald、第3巻、p 272-275(1895年7月16日と23日)
「神がその民に送っているメッセージに対する信仰を常に損なおうとする者たちに対して、私はこう言うように命じられています。『彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ』[コリント二 6:17] 兄弟たちよ、光の中に入り、他の人々を道、真理、そして命へと導きなさい。信仰をもって神の御霊の導きを受け入れる人々は、どこに危険が潜んでいるかを見極め、正しい方向へと決然と動くでしょう。」 -Review and Herald、第 5 巻、p 435 (1908 年 7 月 23 日)
『この世の不信者の大多数から自分を区別せずに、イエス・キリストの真の信者になることは誰にとっても不可能です。もし世界がイエスを受け入れるなら、不和の剣はなくなるでしょう。なぜなら、すべての人がキリストの弟子となり、互いに交わり、彼らの団結は破られることがないからです。しかし、そうではありません。あちこちで、家族の個々のメンバーが自分の良心の確信に忠実であり、家族や自分が所属する教会の中で孤立せざるを得ず、最終的に、自分が付き合っている人々の行動のために、彼らとの交友関係から離れざるを得なくなることがあります。境界線は明確にされます。一方は神の言葉の上に立ち、他方は人間の伝統や言葉の上に立つのです。』-Review & Herald、1894年7月24日、第3段落。
Youtubeで、多くの目覚めた優秀な牧師たちが、すでに明らかにしているように、LGBTQ
を取り入れた大学があり、ロマリンダは、カトリックの司祭と聖書研究をするとか、でしたが、流石にキャンセルされたり、醜態は目に余ります。またGCのギャノン・ディオプ牧師は、愚かなことばかり発言しています。
今後は、144,000人として生き残りを願っている、覚悟を持った本物のクリスチャンを探し集めて、オンラインが使用できる限り、共に祈り学び、終わりの時を励まし合いながら生き残らねば、と夫と話したことでした。あちこちに散らばった行き場のない、クリスチャンがおられましたら、繋がって聖霊を求めたいと願っています。
祈りの会や輪読などをしたいと願っております。よろしくお願いします。
次回は、水と霊のバプテスマの続きを書きます。
アーメン!!🙏
祝福をお祈りします。❤️
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