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黒い馬対白い馬:日曜礼拝対安息日礼拝。私たちは第1と第7の封印を経験しなければならない‼️ (Part2)

  • 執筆者の写真: hosanaministry
    hosanaministry
  • 4月12日
  • 読了時間: 13分




自分が通っている教会が真の体験をさせるかどうか、どのようにわかるでしょうか?

ペンテコステの聖霊の注ぎを受けるための準備となる真の体験を受けることを、どのように知ることができるでしょうか。牧師や長老たちが、私たちが受けられるよう準備してくれていることをどのように知るでしょうか。



【真の体験のために】

*使徒1:4-5 (エルサレム)

そして食事を共にしているとき、彼らにお命じになった、「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。すなわち、ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう」。


イエスはエルサレムから離れないように、父の約束を待ちなさいと言われています。この聖句のエルサレムは今日の何を代表していますか? 何を意味するのでしょうか。エルサレムが真理の町ととなえられているの聖句はどれですか?

*ゼカリヤ8:3(エルサレム)

主はこう仰せられる、『わたしはシオンに帰って、エルサレムの中に住む。エルサレムは忠信な町ととなえられ、万軍の主の山は聖なる山と、となえられる

(英文聖書では、city of truth 真理の町、真実の町


弟子たちは、確かにエルサレムに留まっていましたが、10日間、会堂(シナゴーグ)に行ったのではなく、2階の間にいました。おそらく安息日は少なくとも1回来たと思われます。

*使徒1:12-13

それから彼らは、オリブという山を下ってエルサレムに帰った。この山はエルサレムに近く、安息日に許されている距離のところにある。

彼らは、市内に行って、その泊まっていた屋上の間にあがった。その人たちは、ペテロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党のシモンとヤコブの子ユダとであった。

*使徒1:14

彼らはみな、婦人たち、特にイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちと共に、心を合わせてひたすら祈をしていた。


これらの聖句から、教会で何が強調されるべきでしょうか。他に何がありますか。罪にしがみつきながら、一致があるでしょうか。14節から以前は一致していなかった。一致しなければ聖霊を受けることができなかったからです。では神は夫と妻に何を言っていますか?

兄弟姉妹に何と言っているのでしょうか? 彼らが一致して祈りをしなければ、聖霊を受けることができません。そうしなければならないということです‼️


それは獣の刻印の危機の前に来なければなりません。なぜならそれは最後の収穫であり、獣の刻印は黒い馬の近くにあるからです。

では、白い馬はどこでしょうか? 私たちはこの経験をしているのでしょうか。16節へ進みます。

*使徒1:16

兄弟たちよ、イエスを捕えた者たちの手びきになったユダについては、聖霊がダビデの口をとおして預言したその言葉は、成就しなければならなかった


つまり2階の間で使徒たちは何を学んでいたのでしょうか? そうです。預言でした。

ユダについての預言が現在の出来事の預言として成就しました。しかも彼らが研究する前にです。自分が行く場所がペンテコステの準備であるとどうやってわかるのでしょうか。?


説教者の多くは古代の預言の成就の適用を説きますが、それだけで終わってしまします。福音とは何か、社会とは何か、これは社会への福音です。よく考えてみてください。16節で預言が成就しているかどうか、現在の出来事、それが真の経験を得ているかどうかを知る方法です。これらはその一部であるに違いありません。

次は使徒行伝2章です。何がおこったのでしょうか。

*使徒2:2

突然、激しい風が吹いてきたような音天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。

*使徒2:1-4

1 五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、

2 突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。

3 また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。

4 すると、一同は聖霊に満たされ御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。


さて、天では何が起こったのでしょうか。天で何がおこったので、弟子たちは聖霊を受けることができたのでしょうか。戴冠式‼️⁉️

どうしてそれがわかりますか?


*ヨハネ7:37-39 (天でイエスの戴冠式、油注ぎ、叙任)

37 祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。

38 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。

39 これは、イエスを信じる人々が受けようとしている御霊をさして言われたのである。すなわち、イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊がまだ下っていなかったのである。


天で起こったことは、地上で起こったことで知られていました。弟子たちは天を見上げて天を見ることができませんでした。現代の私たちと同じように、彼らにもそれはできませんでした。しかし、使徒行伝2章4節で彼らが地上で経験したことは、天で起こったことのしるしでした。

イエスはヨハネ7:39で、栄光を受けておられなかったと書かれていますが、使徒たちが聖霊を受けたということは、イエスが栄光を受けた、すなわち大祭司として叙任されたことを意味します。


*ヘブル5:1、4

1 大祭司なるものはすべて、人間の中から選ばれて、罪のために供え物といけにえとをささげるように、人々のために神に仕える役に任じられた者である。

つまり叙任式を意味します。

4 かつ、だれもこの栄誉ある務を自分で得るのではなく、アロンの場合のように神の召しによって受けるのである。

5 同様に、キリストもまた、大祭司の栄誉を自分で得たのではなく、「あなたこそは、わたしの子。きょう、わたしはあなたを生んだ」と言われたかたから、お受けになったのである。

6 また、ほかの箇所でこう言われている、「あなたこそは、永遠に、メルキゼデクに等しい祭司である」。


誰が栄光を与え、誰がイエスを大祭司として油を注ぎましたか?

5節でイエスに語られたのは天のみ父です。神がイエスに栄光を与え、油注がれたのです。

ヨハネ7章では人間には見ることはできませんが、弟子たちが聖霊を受けたことがイエスの叙任の証となります。ペンテコステの聖霊はイエスの叙任のあった後でした。


イエスはアロンのように祭司として叙任されただけでなく、油を注がれたということで、

メルキデゼクの位にちなんで名付けられています。メルキデゼクは創世記では祭司であり王です。ですからキリストも祭司となり王となるために冠をうけなければなりませんでした。


*詩篇133:1-3

1 見よ、兄弟が和合して共におるのはいかに麗しく楽しいことであろう。

2 それはこうべに注がれた尊い油がひげに流れ、アロンのひげに流れ、その衣のえりにまで流れくだるようだ。

3 またヘルモンの露がシオンの山に下るようだ。これは主がかしこに祝福を命じ、とこしえに命を与えられたからである。

聖書には、アロンが油注ぎを受けるとその油注ぎがシオンの山に降りたと書かれています。

シオンの山は教会を表します。アロンが油注がれるとその油が教会に降りました。

キリストはアロンの型として来られました。メルキデゼクでさえもでした。彼が油を注がれると教会、待つ教会はペンテコステの聖霊のシャワーを受け取ります。

この叙任式は、どこで見られますか?キリストが叙任されたのはどこですか?

天でのキリストの就任を示す聖句はどこですか? (白い馬に近づいています。)


*黙示録5:4ー13

4 巻物を開いてそれを見るのにふさわしい者が見当らないので、わたしは激しく泣いていた。 

5 すると、長老のひとりがわたしに言った、「泣くな。見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる」。

6 わたしはまた、御座と四つの生き物との間、長老たちの間に、ほふられたとみえる小羊が立っているのを見た。それに七つの角と七つの目とがあった。これらの目は、全世界につかわされた、神の七つの霊である。(「ほふられたみえる小羊」と書かれているのでこの場面は十字架の後。イエスは昇天したあと、聖所に行き、父から封印された保巻物を受け取り、戴冠式が始まります。就任式が始まり、栄光の賛美が始まります。)

7 小羊は進み出て、御座にいますかたの右の手から、巻物を受けとった。

8 巻物を受けとった時、四つの生き物と二十四人の長老とは、おのおの、立琴と、香の満ちている金の鉢祈りの詰まった金の鉢。イエスが天で就任式を受けている時、何人かのグループが祈っていました。ーこれは誰ですか。2階の間で祈っていた使徒たちです。とを手に持って、小羊の前にひれ伏したこの香は聖徒の祈である。

9 彼らは新しい歌を歌って言った、「あなたこそは、その巻物を受けとり、封印を解くにふさわしいかたであります。あなたはほふられ、その血によって、神のために、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から人々をあがない、

10 わたしたちの神のために、彼らを御国の民とし、祭司となさいました。彼らは地上を支配するに至るでしょう」。

11 さらに見ていると、御座と生き物と長老たちとのまわりに、多くの御使たちの声が上がるのを聞いた。その数は万の幾万倍、千の幾千倍もあって、

12 大声で叫んでいた、「ほふられた小羊こそは、力と、富と、知恵と、勢いと、ほまれと、栄光と、さんびとを受けるにふさわしい」。(オバマやトランプの就任式に行った人の数など比べ物にならない。数十億の天使たちがそこにはいる。キリストにとってはそれは取るに足らないこと)。

13 またわたしは、天と地、地の下と海の中にあるすべての造られたもの、そして、それらの中にあるすべてのものの言う声を聞いた、「御座にいますかたと小羊とに、さんびと、ほまれと、栄光と、権力とが、世々限りなくあるように」。


就任式は、就任式と栄光式の両方が示されています。キリストが栄光を受けた箇所です。歴代の大統領は就任式の時、演説を行いました。では、キリストの演説はどこですか? 黙示録6:1へ行きましょう。


*黙示録6:1

小羊がその七つの封印の一つを解いた時、わたしが見ていると、四つの生き物の一つが、雷のような声で「きたれ」と呼ぶのを聞いた。


どうして、この節が、黙示録5章と関係あるとわかりますか?

5章には、7つの封印された巻物について書かれており6:1では小羊が第一の封印を解いています。四つの生き物の一つが「雷のような声」を聞いています。これは何を意味しているでしょうか。雷の音がしたら何がおこりますか。が降るのではないでしょうか。雨は誰ですか。聖霊ですね。

では、キリストが就任式の時、何と言うかみてみましょう。

雷、雨、聖霊、そして黙示録5章で誰かが祈りを捧げている聖句はどれでしょうか。8節です。そして、「雷のような声」が聞かれました。雷がキリストの声であることを確認しましょう。


*ヨブ37:2-4

2 聞け、神の声のとどろきを、またその口から出るささやきを。

3 彼はこれを天が下に放ち、その光を地のすみずみまで至らせられる。

4 その後、声とどろき彼はそのいかめしい声をもって鳴り渡られる。その声の聞える時、彼はいなずまを引きとめられない。


注意深く、彼の声の音と彼の口から出る音を聞きます。彼はそれを全天の下に導き、彼の稲妻を地の果てに導きます。その後彼は、その高貴な声で雷鳴を轟かせます。ところで、キリストの初臨のどこかで、み父が話されたことを覚えておられると思います。それは雷鳴のようであったのではないでしょうか?それはヨハネ12章です。キリストはそれを聞いて理解しました。弟子たちも理解しましたが、邪悪な者たちは、ただの雑音しか聞き取れませんでした。28節で、「父よ、み名があがめられますように」(英文では「み名の栄光を表してください」)


ここで皆さんのトピックは何でしょう。聖霊はまだ与えられていませんでした。なぜなら、イエスはまだ栄光を受けておられなかったからです。

*ヨハネ12:28

28 父よ、み名があがめられますように」(英文では「み名の栄光を表してください」)すると天から声があった、「わたしはすでに栄光をあらわした。そして、更にそれをあらわすであろう」。

29 すると、そこに立っていた群衆がこれを聞いて、「雷がなったのだ」と言い、ほかの人たちは、「御使が彼に話しかけたのだ」と言った


ヨブ記を続けます。

*ヨブ37:5-6

5 神はその驚くべき声をもって鳴り渡り、われわれの悟りえない大いなる事を行われる。

6 彼は雪に向かって『地に降れ』と命じ夕立および雨に向かって『強く降れ』と命じられる。(英文では夕立および雨は、小雨、大雨となっています)


今神は、理解できない大いなることを行われます。神の声で雷鳴を轟かせる時、神は何をおっしゃるのでしょうか。6節で、小雨、大雨が降ります。

神が地上に雷を鳴らす時、小雨、大雨が降るのです。これは、何を表しますか。雨は聖霊です。小雨は、先の雨大雨は、後の雨となります。小雨は使徒1章のペンテコステです。キリストが雷を鳴らした時、「小雨と大雨が降れ」と言われ小雨のみが成就しました。次の時は、大雨が降ります 後の雨です。



「さて、黒い馬、白い馬、どの馬が最初の封印でしたか? 白い馬がペンテコステなのでしょうか。これが私たちが経験する必要があることです。


今、私たちが見ている馬は、黒い馬、すなわち日曜休業令です。

それから青白い馬が来ます。


ですから私たちは白い馬を経験しなければなりません。ヨブの6節に戻りましょう。


6 彼は雪に向かって『地に降れ』と命じ夕立および雨に向かって『強く降れ』と命じられる。(英文では夕立および雨は、小雨、大雨となっています)

ご参考まで、英文の直訳を書いておきます。


"6 For he saith to the snow, Be thou on the earth; likewise to the small rain, and to the great rain of his strength."


主は雪に言われる、『地の上にあれ』と。同じように、小さな雨にも、御子の力大いなる雨にも。

[@私自身、英文を読み、驚きました。日本語では「御子の力」が抜けていました。このような大事な言葉が抜けています。聖書で「雨」という言葉は非常に重要な言葉ですし、神の民の命を左右するものです。しかし、このように気づかせていただき感謝です。またこれをシェアできることも大変感謝します。ただ、なぜ「his」のhが大文字でないのかわかりません。


では、研究にもどります。

この終わりの日に大雨が降るとき、それは全世界への最後の警告大いなる叫びの時しょうか? そうです、なぜなら弟子たちが小さな雨を受けた後、全世界に出て行ったからです。私たちは全世界に出るには大いなる統治が必要です。驚くべきことではありませんか? そうではありません。 

現在、コンスタンチヌスのことが叫ばれています。アメリカを偉大にするには、日曜令がなければなりません。黒い馬です。私たちには何が必要でしょうか。大きな雨が必要です。白い馬が必要です‼️ 通常、時事問題を解く人は黒や闇ばかりに目を向け光や純潔、経験を見ていません。ヨブの7節にすすみます。


*ヨブ37:7

7彼はすべての人の手を封じられる。これはすべての人にみわざを知らせるためである。


これは封印のメッセージです。封印のメッセージは小雨と大雨です。


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アーメン!!

アクセスありがとうございます。

祝福と憐れみがありますように。













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