黒い馬対白い馬:日曜礼拝対安息日礼拝。私たちは第1と第7の封印を経験しなければならない‼️ (Part3)
- hosanaministry
- 4月12日
- 読了時間: 11分

今日は、ブログを二つ掲載しています。Part2からお読みください。Part1から、Part3まで、大変重要な内容と思います。翻訳に1週間を費やしてしまいました。なかなか難しかったですが、やっと全部何とか書き終えました。

黙示録6章にもどりましょう。そろそろ目的地に着きました。
*黙示録6:2
2 そして見ていると、見よ、白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、弓を手に持っており、また冠を与えられて、勝利の上にもなお勝利を得ようとして出かけた。
白い馬とは、聖書では何の象徴ですか? 馬は教会を象徴しています。どうやってわかりますか?
*雅歌1:9
9 わが愛する者よ、わたしはあなたをパロの車の雌馬になぞらえる。
*イザヤ63:11-12
11 その時、民はいにしえのモーセの日を思い出して言った、「その群れの牧者を、海から携えあげた者はどこにいるか。彼らの中に聖なる霊をおいた者はどこにいるか。
12 栄光のかいなをモーセの右に行かせ、彼らの前に水を二つに分けて、みずから、とこしえの名をつくり、
(?イザヤ63章の聖句との関連がよくわかりません?)
白は何の象徴ですか? 純潔とは?
*イザヤ1:18
主は言われる、さあ、われわれは互に論じよう。たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ。
*黙示録3:18
18 そこで、あなたに勧める。富む者となるために、わたしから火で精錬された金を買い、また、あなたの裸の恥をさらさないため身に着けるように、白い衣を買いなさい。また、見えるようになるため、目にぬる目薬を買いなさい。
*ダニエル12:10
10 多くの者は、自分を清め、自分を白くし、かつ練られるでしょう。
さて、黙示録6:2で、馬の乗り手を表す三つの言葉は何でしょうか。
弓、冠、勝利。教会に必要なものとは、何でしょうか。
弓とは…契約の弓とは言葉の弓のことであり、若者たちの弓のことであり
子供たちは主の嗣業(相続物)であり、胎の実は主の報酬です。勇士の手にある矢のように、若者の子らも報いを受けます。
弓と矢の契約の言葉、その冠をカットするとは、冠とは何でしょうか。答えは忠実さです。
「死に至るまで忠実であれ、そうすれば命の冠を与えよう」(黙2:10)。
次は勝利に関して。征服するするために、8章を読みます。なぜなら、2025年以降、黒い馬がもたらすものは、白い馬の経験が必要になるからです。
*ローマ8:34-37
34 だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。
35 だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。
36 「わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、ほふられる羊のように見られている」と書いてあるとおりである。
37 しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。
馬は教会の象徴でした。白い馬は教会とともにあるでしょう。
キリストが最初の封印を解いた時、人々の集団は何という名前をつけますか。「使徒たち」でした。他には、「初期キリスト教会」でした。
白い馬は、何の封印でしたか。第一の封印でした。
では、第七の封印へいきましょう。第一の封印にはまた戻ります。
では黙示録8章です。
*黙示録8:1(裁き、再臨)、3-5(金の香炉=祈り、火=聖霊=使徒2:1-4)
1 小羊が第七の封印を解いた時、半時間ばかり天に静けさがあった。
3 また、別の御使が出てきて、金の香炉を手に持って祭壇の前に立った。たくさんの香が彼に与えられていたが、これは、すべての聖徒の祈に加えて、御座の前の金の祭壇の上にささげるためのものであった。
4 香の煙は、御使の手から、聖徒たちの祈と共に神のみまえに立ちのぼった。
5 御使はその香炉をとり、これに祭壇の火を満たして、地に投げつけた。すると、多くの雷鳴と、もろもろの声と、いなずまと、地震とが起った。
祈りが天に昇ると、キリストは彼らの祈りを受け取り、私たちの祈りに多くの香を添え、父に捧げます。すると父は何をされましたか? ヨブ記で、小さな雨、大きな雨を降らせられました。雷は、第七の封印。最初の封印として、ペンテコステが黒い馬がここにいる、と言っている時に、再び現れます。白い馬はどこですか。
雷、地震、稲妻や地震、それからもろもろの声があります。聖書のほかのどの箇所にこれら四つの事柄が書かれていますか? 十戒はどこでしょう。
出エジプト記19章です。
出エジプト19章を見れば、誰が雨を受けるかわかります。神が小さな雨、大きな雨、つまり神が再び火を注ぐ時、雷鳴、いなずま、地震、そして声が聞こえるからです。すなわち神の民は十戒の体現者であったということなのです。
十戒は彼らの中に完全に再現されています。
*出エジプト19:16
16 三日目の朝となって、かみなりと、いなずまと厚い雲とが、山の上にあり、ラッパの音が、はなはだ高く響いたので、宿営におる民はみな震えた。
雲が見えたら、雷といなずまです。これから何が起こりますか。雨が降り始めます。
17 モーセが民を神に会わせるために、宿営から導き出したので、彼らは山のふもとに立った。
18 シナイ山は全山煙った。主が火のなかにあって、その上に下られたからである。その煙は、かまどの煙のように立ち上り、全山はげしく震えた。
地震がおこり、ラッパ、稲妻、雷鳴、それは私たちの中におられる神のご品性を表します。だからこそ、私たちは火の聖霊を受けることができるのです。
火は終わりも意味します。
第七の封印はどの時代にありますか? 白い馬がのぼってきます。
では、ヨハネ17章をご覧ください。弟子たちがなぜ白い馬の体験を受けたのか、白い馬を得るためには何を経験しなければなりませんか。
*ヨハネ17:10
10 わたしのものは皆あなたのもの、あなたのものはわたしのものです。そして、わたしは彼らによって栄光を受けました。
使徒たちは、心と生活にどんな変化が起こったのでしょうか。
キリストは天で栄光を受けられた時、弟子たちは聖霊を受けることができました。なぜなら、キリストが彼らのうちに栄光を受けられたからです。では、後の雨の時は、どうなるのでしょうか。ローマ8章をみてみます。
*ローマ8:30
30 そして、あらかじめ定めた者たちを更に召し、召した者たちを更に義とし、義とした者たちには、更に栄光を与えて下さったのである。
わたし(キリスト)は彼らの中で栄光を受けています。キリストが栄光を受け、油注がれたように、彼らは今や聖霊を受ける者となりました。誰が彼らを召し、義とし、栄光を与えられたのでしょうか。この30節の経験は何でしょうか。
答えは、義認と栄化です。義と認められるということは、罪が許されるということ。
栄化を受ける唯一の方法は、義認が続くということ。その人は罪に戻らなかったということです。あなたは栄化を受けることができます。キリストが栄光を受けた時、教会は聖霊を受けました。彼らの中でキリストが栄光を受けられたからです。そして何がキリストのご品性を示していますか。私たちの律法は完全に回復されました‼️
さて、聖霊を受ける者と受けない者がいます。私たちの中でキリストが栄光を受けられるとはどういうことでしょうか。
私たちは、終わりの日の教会も、聖霊を受けなければならないと信じていることは理解しています。キリストは再び栄光を受けるのでしょうか。キリストはどのようにして私たちの中で再び栄光を受けるのでしょう。キリストの実物教訓ではキリストのご品性が私たちの中で完全に再現される時に、キリストは私たちを自分のものとするために来られます‼️ 十戒がポイントです。キリストはすでに大祭司ですが、それはどんな聖句ですか。
*コロサイ1:27-28
27 神は彼らに、異邦人の受くべきこの奥義が、いかに栄光に富んだものであるかを、知らせようとされたのである。この奥義は、あなたがたのうちにいますキリストであり、栄光の望みである。
28 わたしたちはこのキリストを宣べ伝え、知恵をつくしてすべての人を訓戒し、また、すべての人を教えている。それは、彼らがキリストにあって全き者として立つようになるためである。
27節の通り、私たちのうちにいるキリストが栄光を受けられる、それが栄光の希望なのです。このようにしてキリストは再び栄光を受けられます。もう一つの方法があります。
キリストがどのように大祭司になったのか、メルキデゼクの功績があります。メルキデゼクの功績は誰のものだったのでしょうか。彼には二つの称号がありました。それは、大祭司と王です。キリストは、昇天され、今は大祭司であり王となられました。彼は王の王として戻ってこられます。再び栄光を受けられなければならないのです。
では、どの出来事が大祭司の服を脱ぎ捨て、王の衣を着ることを示していますか?
それは、獣の刻印です。どの出来事がそれを示していますか。キリストが天での執りなしの仕事を終え、王になる出来事です。その時、二度目、または、三度目の栄光がおこります。私たちは、神のご品性を自分の中にもっていることを確認した方がよいでしょう。
今、黙示録8章にもどります。この章は終わりの日の章です。
この5節には天使が香炉をとり、祭壇の火で満たし、地面に投げ込みました。彼は祈りを込めて香炉を取り、火を投げ込んだのです。地に火を投げ込むことには二つの意味があります。一つは聖霊です。火は恩恵期間の終了も表します。キリストの取りなしも終わります。 第七の封印も。 「初代文集」には次の通りに書かれています。
*黙示録8:5-6
5 御使はその香炉をとり、これに祭壇の火を満たして、地に投げつけた。すると、多くの雷鳴と、もろもろの声と、いなずまと、地震とが起った。
6 そこで、七つのラッパを持っている七人の御使が、それを吹く用意をした。
『私は天使たちが天をあちこちと飛び回っているのを見た。墨入れをもった天使が地上から戻り、自分の働きの終わったことを報告した。そこで聖徒の数がかぞえられて封印された。するとそれまで十戒の納められている箱の前で奉仕しておられたイエスが、香炉を投げ捨てられるのを見た。彼は両手をあげて、大きな声で「事はすでに成った」と言われた。』(初代文集240、「第三天使の使命の終了」)
*黙示録16:17-18
17 第七の者が、その鉢を空中に傾けた。すると、大きな声が聖所の中から、御座から出て、「事はすでに成った」と言った。
18 すると、いなずまと、もろもろの声と、雷鳴とが起り、また激しい地震があった。それは人間が地上にあらわれて以来、かつてなかったようなもので、それほどに激しい地震であった。
第七の封印の場面は、黙示録8:1から始まっていますが、5節で御使は鉢を傾けました。
黙示録16:17以降も同様です。17節では、第七の御使が鉢を傾けたと書かれているので、第七の封印を開けたのは小羊でしたから、と第七の者は同じ小羊です。つまりキリスト。
第七の封印が獣の刻印の危機まで私たちを導き、キリストが「事は成った」と言い、7つの場所が崩れはじめるとわかります。続く19-21です。
*黙示録16:19-21
19 大いなる都は三つに裂かれ、諸国民の町々は倒れた。神は大いなるバビロンを思い起し、これに神の激しい怒りのぶどう酒の杯を与えられた。
20 島々はみな逃げ去り、山々は見えなくなった。
21 また一タラントの重さほどの大きな音が、天から人々の上に降ってきた。人々は、この音の災害のゆえに神をのろった。その災害が、非常に大きかったからである。
最後の災いはおわった!
聖霊を受けるためには、キリストが私たちの中で栄光を受けなければなりません。あなたの中にキリストがおられますか?栄光の希望は何ですか?
どうすればキリストを私たちの中に入れますか? キリストが私たちの内におられるなら、誰が支配していますか。誰がコントロールしていますか。誰の決定に賛同しますか?
どうすればキリストに「はい」といい、誰が「いいえ」と言いますか。
7つの鍵
1 祈りと断食。
2 徹夜の祈祷会。
3 聖句を暗記し、利己的欲望に対処する。
4 週に一度断食する。
5 1日3回祈る。
6 真の安息日を守る。
7 キリストが来る。完成。 アーメン‼️
今、世界に黒い馬がいます。私たちは何を経験すべきでしょうか。
これが現代の真理の経験です。実体を受け取るところ。私たちは1週間これを持ち歩くことができるのです。
黙示録5章ではキリストに焦点を当てるべきと言われています。キリストが受けたものをみてください。彼が受けたものはすべてわたしたちに与えるためです。就任式栄光です。
*黙示録5:12
12 大声で叫んでいた、「ほふられた小羊こそは、力と、富と、知恵と、勢いと、ほまれと、栄光と、さんびとを受けるにふさわしい」。
いくつありますか。7つです‼️ 終わりの時に田舎に移住するために必要とされている富や知恵を必要としている人はいますか? さらに正しい決断をするためにも知恵を必要としている人はいますか? 栄光とは何ですか? 品性です‼️
ヨルダン川の水嵩が増した時、どのように生き残りますか?
歴史的に4頭の馬はすべて起こりました。決して同時にではありませんが、歴史の繰り返しにおいては同時に起こります。黙示録の7つの教会では、異なる時代ですが、ラオデキヤにおいては、このままでは救われません。だから私たちは最初の愛、エフェソス、フィラデルフィアに戻らなければなりません。生ぬるいままでは救われないのです。今黒い馬を体験しているので、白い馬の体験が必要とされます。なぜなら、黒い馬の後には、青白い馬、つまり迫害が来るから、白い馬の体験が唯一です。
アーメン!!
アクセスありがとうございます。
祝福と憐れみがありますように。
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