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執筆者の写真hosanaministry

黙示録11章「二人の証人」について。




二人の証人とは誰のことを言っているのでしょうか。そして、この節には、1260日の間預言することを許す、と書かれています。どういう意味でしょうか。少し調べたら、興味深かったので、改めて、数回にわたり、この章を考察したいと思います。


神学者たちは、だいたい旧約聖書と新約聖書を証人と見立てています。


興味深いことに、二人の証人が殺されたり復活したりします。

その意味は何でしょうか。今日においてはどんな使命があるのでしょうか。


聖書と歴史に関して、フランス革命の間、フランスの通りには血が流れました。パリの広場にギロチンが設置され、数千人が虐殺された。無神論が国教となりました。それでも、神の御言葉のあかしを黙らせることはできなかったのです。


このふたりの証人の話というのは、7つのラッパの話の途中に挿入されています。

9章の第五と第六のラッパの話、10章では、「小さな巻物を持つ天使」の話が加えられています。そして11章の1〜2節は聖所を測ることが書かれて、3節から14節が「二人の証人の話」、そのあとは、15節から19節まで第七のラッパの話に戻っています。話が飛んでいるので、わかりにくい箇所でもあります。


◾️二人の証人の特徴。ー11:3-6には、二人の証人の特徴が書かれています。

*黙示録11:3ー6

3 そしてわたしは、わたしのふたりの証人に、荒布を着て、千二百六十日のあいだ預言することを許そう」。

4 彼らは、全地の主のみまえに立っている二本のオリブの木、また、二つの燭台である。

5 もし彼らに害を加えようとする者があれば、彼らの口から火が出て、その敵を滅ぼすであろう。もし彼らに害を加えようとする者があれば、その者はこのように殺されねばならない。

6 預言をしている期間、彼らは、天を閉じて雨を降らせないようにする力を持っている。さらにまた、水を血に変え、何度でも思うままに、あらゆる災害で地を打つ力を持っている。


この4つの聖句から次のように二人の証人の特徴を知ることができます。

  1. 1260日の間預言することが許されている。----神の証人たちは人の目に付かなかったが、法王権によって、偽りの証人が建てられた。

  2. 2本のオリブの木、二つの燭台。ーーー何を意味するのでしょうか。

  3. 害を加える者は、口から火が出て敵は滅ぼされることになっている。

  4. 天を支配する力がある。

  5. 災害で地をうつ力を持っている。


● 他にこの二人の証人に関して、ゼカリヤ4:14に次のように書かれています。 

ーすると彼は言った、「これらはふたりの油そそがれた者で、全地の主のかたわらに立つ者です」。ー

● 2 本のオリーブの木と 2 つの燭台についての言及 (黙示録 11:4) は、ゼカリヤ書 4 章の幻につながります。その中で、オリーブの木は 7 つの枝に分かれた燭台に油を供給する油を産出します。 (ゼカリヤ書 4:1-) 3、12)。オリーブの木は「油そそがれた二本」であり、燭台とともに「主の言葉(ゼカリヤ 4:6、14)、つまり旧約聖書と新約聖書を表します。


●ふたりの証人は預言することを許されていますがどんな出来事を考えられるでしょうか。

  • この二人の証人は預言することができて、彼らが預言する限り、雨が降らない。

  • 彼らは水を血に変え、災いで地を打つことができる。神の言葉によって、エリヤはイスラエルに雨が降らないと言い、その祈りに答えて3年半雨が降らなかった(ヤコブ5:17参照)。その後、彼は神に祈り、バアルの偽預言者たちが干ばつを終わらせることができなかった後に雨が降った(列王記上17、18章)。モーセは、水を血に変えました。エジプトには十の災がありました。


●ゼカリヤ書4章1~6節をみてみます。2 人の証人とオリーブの木について、預言者ゼカリヤから、得られる貴重な情報があります。


*ゼカリヤ4:1-6

1 わたしと語った天の使がまた来て、わたしを呼びさました。わたしは眠りから呼びさまされた人のようであった。

2 彼がわたしに向かって「何を見るか」と言ったので、わたしは言った、「わたしが見ていると、すべて金で造られた燭台が一つあって、その上に油を入れる器があり、また燭台の上に七つのともしび皿があり、そのともしび皿は燭台の上にあって、これにおのおの七本ずつの管があります

3 また燭台のかたわらに、オリブの木が二本あって、一本はをいれる器の右にあり、一本はその左にあります」。

4 わたしはまたわたしと語る天の使に言った、「わが主よ、これらはなんですか」。

5 わたしと語る天の使は答えて、「あなたはそれがなんであるか知らないのですか」と言ったので、わたしは「わが主よ、知りません」と言った。

6 すると彼はわたしに言った、「ゼルバベルに、主がお告げになる言葉はこれです。万軍の主は仰せられる、これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである。


  • 6節にあるように、これは、神の霊によるものであります。

  • 伝道のことを考えるならば、私たちは伝道や働きのために常にオリーブの油を必要とします。光が灯し続けられなければならないのです。信仰と行動によります。



●ふたりの証人とは、新約聖書と旧約聖書と言われていますが、なぜ旧約聖書も目撃証人なのでしょうか。


*ヨハネ5:39

39 あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。


*ルカ24:25-27

25 そこでイエスが言われた、「ああ、愚かで心のにぶいため、預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ。

26 キリストは必ず、これらの苦難を受けて、その栄光に入るはずではなかったのか」。

27 こう言って、モーセやすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた。


*ルカ24:44-45

44 それから彼らに対して言われた、「わたしが以前あなたがたと一緒にいた時分に話して聞かせた言葉は、こうであった。すなわち、モーセの律法と預言書と詩篇とに、わたしについて書いてあることは、必ずことごとく成就する」。

45 そこでイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて(言われた)。


聖書のテーマは、キリストを証することです。旧約聖書は初めから、キリストの初臨と再臨を預言している。この地球は罪が入ったために、闇の王、サタンの支配下になったが、キリストのこの希望により、神の民は歴史を通じて宣べ伝え、生き延びてきた。旧約聖書と新約聖書は二つなければ真の光は理解できない。

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以下は、バイブルコメンタリーより。


ゼカリヤ4:11-14(マタイ25:1-13)。魂を清める油-私たちは皆、十人のおとめのたとえをかつてないほど学ぶ必要がある。そのうちの5人は賢く、5人は愚かであった。賢い者たちは、ランプと一緒に器に油を入れた。これはゼカリヤ書[ゼカリヤ4:11-14引用]に表されている聖なる油である。この表現は、真理を知っていると主張する者にとって、最も重要な意味を持つ。しかし、もし私たちが真理を実践していないなら、聖なる油を受け取っていないことになる。油は、油のために用意された器に注がれる。それは心の中の聖霊であり、愛によって働き、魂を清めるところの聖霊である。


 サタンは、魂の中で明るく燃え、善い行いに輝くべきその光を消そうと、地獄の力を尽くして働いている。ゼカリヤへの神の言葉は、聖なる黄金の油がどこから来るのかを示している。主が魂の部屋に灯されるその明るい光は、善い行いを通して世に光を与える。サタンは、天の光の一筋一筋を遮るために、自分の影を道に投げかけて、神がすべての魂のために持っておられる光を消そうとする。彼は自分の時が短いことを知っている。神の民は神に忠誠を誓わなければならない。キリストの弟子であることを公言しながら、キリストを誤解させるような先天的後天的な品性の欠陥を大切にしているとしたら、それは、婚礼の衣を着ないで福音の宴に来た男や、ランプを灯した器に油を入れなかった愚かなおとめたちのようなものである。私たちは、たとえ全世界がそれに敵対していようとも、神が真理であると宣言されたものを堅く守らなければならない(Manuscript 140, 1901)。


メッセージを通して運ばれる油-[ゼカリヤ4:1-3, 11-14引用] ー主は、御座を取り囲む聖なる存在によって、地上の住民と絶え間ない交信を保っておられる。黄金の油は、神が信者の灯火に供給し続ける恵みを表している。この聖なる油が神の霊のメッセージによって天から注がれていなければ、悪の機関が人を完全に支配していただろう。神が送ってくださる伝達を私たちが受け取らないとき、神は名誉を汚される。こうして私たちは、神が私たちの魂に注いでくださる黄金の油を、暗闇の中にいる人々に伝えることを拒むのである(『レビュー・アンド・ヘラルド』1903年2月3日号)。


*ゼカリヤ4:11-14引用] 使命者の心に流れ込む言葉ー主の御言葉を人々に伝え、警告し、懇願する神の生ける使者たちの心を表している。みことばそのものは、全地の主のそばに立つ二本のオリーブの木から注がれた黄金の油に表されているに違いない。これは火による聖霊のバプテスマである。これによって、未信者の魂は確信へと開かれる。魂の欲求は、神の聖霊の働きによってのみ満たされる。人間は、心の切望を満たし、願望を満たすために、自分自身では何もできない(Manuscript 109, 1897)。


4:12 (イザヤ58:8)。絶え間なく受け取るためには、絶え間なく与えなければならないー空っぽになった2本のオリーブの木から聖油を受け取る能力は、他の魂の必要を満たすために、受け取り手がその聖油を言葉や行動で自分から空っぽにすることである。仕事、貴重で満足のいく仕事、それは絶えず受け取り、絶えず与えることである!受け取る能力は、与えることによってのみ維持される(NL No.12, pp.)






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