top of page
執筆者の写真hosanaministry

(改訂)水と聖霊のバプテスマ(1)

更新日:2024年12月22日




水と聖霊のバプテスマについて私なりに詳しく調べてみました。

本棚の奥にしまっておいた「聖霊」の本があるのも思い出し、EGWの証しやあれこれ、

楽しい学びでしたが、さてさて、どのようにまとめて良いやら・・・

ダグ牧師の後半も読みましたが、ちょっと物足りなさを感じました。それで、改訂版として

(1)から書いてみたいと思います。


水のバプテスマの大変重要な心構えのようなものを、EGWの証しの中に見つけましたので、そこから始めます。それから聖霊のバプテスマについても少し定義づけやその目的も必要かと思いますので。これらのことを知らなければ、後の雨はいただけないかな・・・と思います。命がかかっているので、私も真剣です。一生懸命調べています!!! 主に、聖書と証しのふみからです。


◾️水のバプテスマ

洗礼は、この世を最も厳粛に放棄することです。

父、子、聖霊の三重の名において洗礼を受けた人々は、キリスト教徒としての人生のまさに入り口で、悪魔への奉仕を捨て王族の一員、天の王の子供になったことを公に宣言します。彼らは「彼らの中から出て行き、彼らと分かち合いなさい。…汚れたものに触れてはならない」という命令に従いました。そして彼らには、「わたしはあなたがたを受け入れ、あなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる」という約束が成就します。全能の主はこう言われる。(コリント第二 6:17, 18)。』教会への勧告295.3


「バプテスマにおいて私たちが自らに課す誓願には、多くのことが含まれています。父、子、聖霊の名において、私たちはキリストの死に似せて埋葬され、キリストの復活に似せて蘇り、新しい人生を生きるのです。私たちの人生はキリストの人生と結びついています。これからは、信者は自分が神、キリスト、聖霊に捧げられていることを心に留めなければなりません。

 この新しい関係において、世俗的な事柄はすべて二の次としなければなりません。公に、彼はもう傲慢と放縦に生きることはないと宣言したのです。もう無頓着で無関心な人生を送ることはありません。彼は神と契約を交わしたのです。彼は世に対して死んだのです。彼は主のために生き託された能力をすべて主のために使い自分が神の署名を帯びていることキリストの王国の臣民であり、神の性質にあずかっているという認識を決して失ってはなりません彼は自分のすべて、自分の持つものすべてを神に捧げ、自分の賜物すべてを神の名の栄光のために使わなければなりません」(同上295.4


バプテスマ志願者には、もっと徹底した準備が必要です。彼らには、通常与えられているよりももっと忠実な指導が必要です。キリスト教生活の原則は、真理に新しく至った人々に明らかにされるべきです。誰も、信仰告白をキリストとの救いのつながりの証拠として頼りにすることはできません。私たちは「私は信じます」と言うだけでなく真理を実践しなければなりません。言葉、態度、性格において神の意志に従うことによって、私たちは神とのつながりを証明するのです。人が律法違反である罪を放棄するたびに、その人の生活は律法に従い完全な従順になります。これは聖霊の働きです。注意深く研究された言葉の光良心の声精神的な努力は、キリストに対する真の愛を心に生み出しますキリストは、人体、魂、精神のすべてを贖うために、自らを犠牲にされました。そして、愛は従順において表されます神を愛して戒めを守る者と、神を愛さず戒めを無視する者との境界線は、はっきりしているでしょう。』同上295.5


悔い改めについては、ここには出ていませんが、徹底的な悔い改めは必要です。

それも、聖霊によりますので、主に祈って求めなければなりません。私は罪を犯したと思った時は、「悔い改めの聖霊を送ってください」と祈ります。心が聖霊に反応するまで祈り続けます。数日かかることもあります。何かの折に突然やってくることもあります。涙を流して悔い改めたいので、そのような霊の働きになるまで祈ります。涙を流すことは、体の悪いものを出すのでスッキリします。感謝です!!


 ①徹底したバプテスマの準備が必要。より忠実な指導者が必要。準備には、み言葉の学び、み言葉を実践し、言葉、態度、性格において神の意思に従っていることを証明する。つまりみ言葉によって信じるというだけでなく、行いにより神との関係を証しする。


 ②自分を放棄することを決意する。悪魔への奉仕とは、自分や世の事柄に生きることなので、それをやめて、罪から離れることを決意する。


 ③神との新しい関係において、自分の立場を認識する。それは、自分が生きるのは、主のため、自分の賜物は主のために用い、自分を主に捧げる覚悟を決める。自分は神の臣民であること、神との契約を交わしたことを覚える。


 ④聖霊を求め、キリストへの真の愛を心に持つ。


他にももっとあると思いますが、大体、このようなことであろうかと思います。私はこのようなことを牧師から教えてもらったことがありません。SDAの信仰の大要も自分で学びましたが、最初読んだ時感動したことを覚えています。


聖霊をいただくには聖書の基本の学びは必須ですが、主人の仕事の都合で移動が多かったし、牧師たちは忙しいから・・・という印象しかなく、新人のバプテスマの研究以外は聖書研究はやってくれませんでした。だから、自分で学ぶしかありませんでしたが、飢え乾きが強かったので、それには感謝でした。


▪️さて、次は聖霊のバプテスマです。

まず、聖霊のバプテスマは2種類あるということ。


  • 日毎に新しい聖霊のバプテスマ。

  • 後の雨の時の収穫の聖霊のバプテスマ。これは人類史上二度目の聖霊のバプテスマですが、この度は前の雨(秋の雨)よりもさらに全地球規模にわたり、神の民に降り注がれる特別のものです。これに預かることによって、神の印が押されることになります。


聖霊についての基本を少し。

聖霊は、第三位の「聖霊なる神」であられます。

聖霊には、いくつかの特質があります。(以下の聖書の節は省略しています。知りたい方は、「聖書研究」のページにアクセスして、「聖霊」の項目にPDFを掲載します。まだ準備中😅これは、ある研究熱心な牧師が作成された聖書研究の本から抜粋して噛み砕いてわかりやすくしています。)


  1. いくつかの呼び名があります。

    「助け主」、「真理の御霊」、「栄光の霊」、「神の霊」、「神の御霊」、「キリストの霊」、「忍耐と慰めの神」・・・

  2. 個性をお持ちです。

    「御霊は思いのままに、それらを各自に分けられる。」、「聖霊の交わり」、「聖霊を悲しませてはいけない」

  3. 性格があります。

    「御霊の愛」「力と愛と慎みとの霊」「聖なる霊」

  4. 活動されるお方です。

    「それ(聖霊)が来たら、罪と義と裁きとについて、世の人の目を開く・・」

    「真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれる・・・」

  5. 象徴的な描写があります。

  「神の御霊がハトのように・・・」「突然激しい風が吹いて・・・舌のようなものが」


ということです。興味深いです❗️(ここに挙げているいのは、基本だけですが。)


ここで、使徒行伝19章からパウロとエペソの熱心な兄弟たちの体験をご紹介します。



▪️使徒19:1-6

1 アポロがコリントにいた時、パウロは奥地をとおってエペソにきた。そして、ある弟子たちに出会って、 
2 彼らに「あなたがたは、信仰にはいった時に、聖霊を受けたのか」と尋ねたところ、「いいえ、聖霊なるものがあることさえ、聞いたことがありません」と答えた。 
3 「では、だれの名によってバプテスマを受けたのか」と彼がきくと、彼らは「ヨハネの名によるバプテスマを受けました」と答えた。 
4 そこで、パウロが言った、「ヨハネは悔改めのバプテスマを授けたが、それによって、自分のあとに来るかた、すなわち、イエスを信じるように、人々に勧めたのである」。 
5 人々はこれを聞いて、主イエスの名によるバプテスマを受けた。 
6 そして、パウロが彼らの上に手をおくと、聖霊が彼らにくだり、それから彼らは異言を語ったり、預言をしたりし出した。


彼らはバプテスマのヨハネから悔い改めのバプテスマを受けました。パウロからイエスの名による水のバプテスマを再度受けることにしましたが、パウロが彼らの上に手を置くと聖霊がくだり、異言を語り、預言をするようになりました。異言というのは外国語のことです。強力な聖霊のバプテスマです。


『兄弟たちは深い関心と感謝と驚きの喜びをもってパウロの言葉に耳を傾けました。信仰によって彼らはキリストの贖いの犠牲のすばらしい真理を理解し、キリストを贖い主として受け入れました。そして彼らはイエスの名によってバプテスマを受け、パウロが「彼らの上に手を置いた」とき、彼らは聖霊のバプテスマも受けました。それによって彼らは他の国の言語を話し、預言することができました。こうして彼らはエペソとその周辺で宣教師として働く資格を得ただけでなく、小アジアに福音を宣べ伝えるために出て行く資格も得ました。』(患難から栄光へ)


この話から、聖霊のバプテスマの目的がわかります。伝道です。命の福音を伝えるからです。終わりの時、これと同じような後の雨の聖霊のバプテスマを大勢の人が受けます。

ペテロやパウロのような癒しの力や聖霊の力も与えられることでしょう。



本題は、私たちがどのようにすれば、聖霊のバプテスマを受けることができるかです。日々の聖霊のバプテスマはキリストのように、日々の熱心な祈りよって求め、受けることができると思いますが、問題は、後の雨の時です。

聖霊のバプテスマは、時期はなく、ペンテコステの時以来、いつでも与えられてきました。でもやはり水のバプテスマの四つの基本項目は聖霊のバプテスマでも共通だと考えています。クリスチャンとしての愛の奉仕、熱意や努力を惜しまない、利他的精神な人に与えられるのです。上記の水のバプテスマの条件と同じです。聖霊により新生(エペソ2:1)します。




後の雨にはその時期があります。後の雨は、人類歴史終末の前に与えられる最後の聖霊の大降下なのです。そしてこれは人類最後の大リバイバルに続くものです。黙示録18:1の4番目の天使はこのリバイバルに関係しています。終末の出来事とともに、聖霊が働き、終わりの時のクライマックス、後の雨と神の印、三天使のメッセージによる大いなるリバイバル、と続きます。


次回は、「聖霊」の本から抜粋。今日は基本の学びでした。私自身、発展途上にあります。もっと学びたいです。不足の部分も多々あることと思いますが、皆さんとともに、残りの民として、144,000人に加わりたいです。何か間違いや訂正箇所がありましたら、ご遠慮なくお知らせください。


アーメン🙏

アクセス、ありがとうございます。




























Comments


bottom of page