前回の続きです。
答えはやはり、聖書とEGホワイトに単純明快に書かれていました。「聖霊」の本にも私の探している答えは得られませんでした。
↓「患難から栄光へ」第5章 聖霊の賜物 お時間のある方は、日本語でオンラインで読むことができます。
結論は、イエス・キリストの模範に従うことではないでしょうか。また、私たちが生かされている理由も理解していなければ、感謝の気持ち、献身の心、心からの愛の奉仕に対する動機も失われるかもしれません。
⚫️毎朝、備えとして力を受けるため献身の誓いを新たにする。
『キリストの模範に従う働き人はみな、地上の収穫物を実らせるために神が教会に約束された力を受け、これを用いるために備えをする。朝ごとに福音の使者が主の前にひざまずいて、献身の誓いを新たにする時、神は信仰を覚醒させ、きよめる力をもった聖霊の臨在をお与えになる。日々の勤めに出かける時、彼らは見えない聖霊の力によって「神と共に働く者たち」となることができるという保証を受けるのである。』
キリストが夜明け前の暗いうちから、地球がまだ静かな時間、山や森に入られて、神との時間を楽しまれました。キリストでさえそのようにされたのですから、私たちはなおのこと、朝の大切な時間を主との交わりの時間とするべきです。
今は、惰眠を貪る時ではありません。預言を学ぶならば、じっとしていられなくなるはずです。生きるか死ぬかです。しかも永遠の命か永遠の死しかないわけですから。私は現代の真理を学んでから、本当に日々の生活が変わりました。より学ぶようになり、より祈るようになり、霊の飢え乾きを覚えます。書けば書くほど、画面の文字に私に与えられた聖霊の力が吸い上げられていくような感覚です。言葉を通して、読者の皆さんに聖霊が与えられるならば本望です。そして与えられたみなさんが更に学び、他の人の救いのために行動を起こされるなら、これこそ聖霊のお働きの成果と言えないでしょうか。
それを繰り返すことで、私たちは、上記に書かれていることを体験します。これをずっと続けます。献身の誓いを新たにする時、神が信仰を覚醒させ、きよめる力を持つ聖霊をお与えになる。それは見えない聖霊の力によって「神と共に働く者たち」となる保証を受けることです!!🙏
⚫️祈りを通して神との信頼、絆を深め、奉仕の力をいただく。
キリストは神の子であったにも関わらず、なぜそのようにされたのでしょうか。
『神とのこの交わりから、イエスは力を受けて、人々を力づけ、祝福するために出て行かれた。神のみ子が父の前にこうべをたれて祈っておられる姿を見よ。イエスは、神のみ子であったが、祈りを通してご自分の信仰を強め、天との交わりによって、悪に抵抗し、人類の必要に奉仕する力をお受けになった。』
祈りを通して天との交わりによって、悪に抵抗、人類の奉仕への力を受けられました。
伝道をするには人に出会わねばなりませんが、一歩外へ出るとサタンの誘惑、目から耳から誘惑は途絶えることなく入り心を揺さぶります。それに抵抗するには、このキリストの模範である絶えず祈ることしかありません。サタンの嫌いなものの一つに、この神との関係、神との絆を強める祈りがあります。祈りを通して聖霊が与えられ、私たちは戦うパワーを与えられるわけですから、嫌うはずです。
⚫️保証された神の約束に信頼をおく。献身する信仰はありますか。
『人類の長兄としてキリストは、弱さに取りまかれ、罪と誘惑の世に住みながらなお、主に仕えたいと望む者たちの必要をごぞんじである。また、主がつかわすにふさわしいと思っておられる使者たちが、弱く過ちをおかしやすい人間であることもごぞんじである。しかし主の働きに全く献身するすべての人に、主は神からの援助を約束しておられる。神に頼りきって、みわざに惜しみなく献身する信仰、この信仰をもって神に熱心に、忍耐強く懇願すれば、罪との戦いにおいて聖霊の助けを必ず受けることができる。このことを主ご自身の模範は保証している。』
どこを読んでも素晴らしいですが、神は約束を守ることを保証しておられます。信じきっていないのは、私たちの方であり、神が手を差し控えておられるのではないのです。問題は私たちにあります。
*ローマ10:21 そして、イスラエルについては、「わたしは服従せずに反抗する民に、終日わたしの手をさし伸べていた」と言っている。
⚫️日毎に神に従う決意。恵みを絶えず新たに受ける。ー神の御用に相応しい器としていただくために。
『しかし、今日、神の教会の信徒たちは、すべての霊的成長の源であられる神との強いつながりを持っていなければ、刈り入れの時に備えていることにならないであろう。彼らは絶えずランプの芯を切りそろえて、燃やしていなければ、いざという時に特別の恵みにあずかることができない。
恵みを絶えず新たに受けている者たちだけが、日常の必要に応じて、また力を用いる彼らの能力に応じて、力を受けるであろう。霊的な力が特別に賦与されて、やがて救霊のために驚異的な装備を受ける時が来るのを待ち望むのではなく、彼らは、神のご用にふさわしい器としていただくために、日ごとに神に従っている。彼らは手の届く範囲にある奉仕の機会を毎日利用している。家庭の地味な仕事をしていても、あるいは、有用な社会の職場にいても、どこででも彼らは主のためにあかしを立てている。』
今後世界はもっともっと驚くようなことが起こることが考えられます。
本当に5人の賢い乙女のようにランプの油を準備していなければ、特別の恵みに預かることは難しいでしょう。ただ教会へ行って、口を開けて待つ子供のように牧師の話を聞き、ポトラックを食べて、おしゃべりして、楽しかったね!!の安息日を過ごすクリスチャンに聖霊が臨むのでしょうか。私はそうは思いません。残念ながら教会はすでに背教しています。
ごく少数の目覚めた人が、真理を求めて、このウェブサイトを探してきているように感じます。
み言葉を読み、証しのふみを読み、絶え間ない祈りをする、あらゆる機会をとらえて、救いの音信を伝える。これを心がけましょう。家族でも友人でも、ご近所、同僚などに伝える機会が必ずきます。勇気がないかもしれません。聖霊が助けられます。しかしその意思を祈りと共に持ち続けることが大切と思います。必ず聖霊の助けがあるはずです。
世界の人々がこのホサナミニストリーにアクセスされていますが、これも聖霊のお働きによるものと思います。聖霊の神に感謝です。
⚫️まことの教会を見出す。
『地上における神のみわざが閉ざされる終末の時には、聖霊の導きにより、献身した信徒たちのささげる熱心な努力に、神の恵みの特別なしるしが伴うのは事実である。種まき時と、収穫のころに東方の国々に降る前の雨、後の雨という比喩を用いて、ヘブルの預言者たちは、神の教会に異常なほど豊かに霊的恵みがさずけられることを預言した。使徒の時代の聖霊の降下は前の雨、または先の雨の始まりであった。そして、その結果はすばらしかった。終わりの時まで聖霊はまことの教会に臨在するのである。
地上の収穫が終わりに近くなると、教会を人の子イエスの来臨に備えるために、霊的な恵みが特別に与えられると約束されている。この聖霊の降下は後の雨にたとえられている。クリスチャンは「春の雨の時」にこの特別の力を収穫の主に求めなければならない。これに応えて「主はいなずまを造り、大雨を人々に賜い」、「豊かに雨を降らせ、……秋の雨と春の雨とを降らせられる」(ゼカリヤ10:1、ヨエル2:23)。
ところが教会はすでにEGWの生きている時から背教が始まっていました。EGWのサイトに行くと1800年代の牧師たちの説教の記録がたくさんあるのを見ますが、それを読むと、牧師たちの嘆きが伝わってきます。しかし現代の牧師は、教会員の忖度みたいは説教と教団の言いなりで、そのような魂を揺さぶるような説教は講壇から聞かれなくなっています。
そのような教会に特別な力の収穫の聖霊が降ると思われますか?
私は思いません。サタンが教会堂にトグロをまいて毒を吐き、居座っているのでしょうか?
以前も書きましたように、スモールグループ、小さなグループにしか特別な聖霊は降らないのではないでしょうか。EGWのいうような小さなグループ教会は米国にはあります。
日本にも教団に所属しないグループが存在しています。沖縄、天草、熊本、そして私の小さなミニストリー。友人たちも大阪を離れ、天草に移住しました。熊本の伝道者は若者と共に小さな群れで活動しています。このような群れを神は祝福されると思います。
現代の真理を学ぶことによって、また終わりの時の出来事を経験することにより、聖霊のバプテスマの重要性を知るようになると思います。
⚫️聖霊の努力
『聖霊はあがない主の死によって可能となった救いを与えるために、霊的な生まれかわりの力として賜るものである。み霊は、カルバリーの十字架上でささげられた大きな犠牲に人々の注意を向けさせ、この世に神の愛を示し、改心した人々に聖書の大切な事柄を提示しようと絶えず努めている。 』
聖霊の神は救いを人々に与えるために、霊的生まれ変わり、すなわち新生の力を与えます。
それはイエスの十字架の犠牲に人々の注意を向けさせ、この腐敗した世に神の愛を知らせ、回心した人々に聖書の真理を示そうとずっと努力されているということです。
つまり聖霊の神は絶えず働いておられるということなのです。しかもそれは私たちの救いのため、新生する力を与えられるというものです。
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ここに書いた事柄だけでは十分ではないと思いますが、大体このようなことだと私自身は、理解しました。
神の基準は高く、クリスチャンとしての言動、服装、生き方を含め見せ物(1コリ4:9)のようですが、そのようなことで世と離れていることによって神に栄光を帰すことは神のよみせられるところです。
後の雨が降るまでもう少しの忍耐があります。
日曜休業令はもう、獣の像が米国で作られているので、すぐにやって来るでしょう。
今、霊的準備をしておかなければ、迫害や困った事態に対処することが難しくなり、すぐに
妥協してしまう可能性もあります。
そうなれば、獣のしるししか与えられません。二つに一つ。
日本の教会では米国のニュースは全く聞かれません。米国の大勢の兄弟たちは、YoutubeやWebサイトでどんどん暴露しています。
それほど日本のクリスチャンの頭はお花畑で、何も考えていません。
ホサナミニストリーは、危機感を覚え、時の緊急性を憂い、霊に促されて
日々、研究とブログ書きに専念しています。
一人でも多くの魂が救われますように。
アーメン!!
アクセス感謝します。祝福を心よりお祈りしています。
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