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星

現代の真理/三天使の使命

キリストは人々を導かれる

​第一、第二、第三天使の使命

​まず、「教会」の定義と「残りの民とその使命」の定義を述べておきます。

​この違いを理解し、その歴史や使命を知ることは三天使の使命を知ることの前提条件として重要です。

✳️ 「教会」の定義 (信条12)

教会はイエス・キリストを主として、また救い主として信じ、告白する者たちの共同体である。旧約時代の神の民と同じように、われわれは世から召し出されている。

われわれはともに礼拝し、交わり、神の言葉を教え、主の晩餐を記念し、人類に仕え、世界的な福音宣教に参与する。教会の権威の源は、聖書に啓示されている受肉された神の言葉、キリストにある。教会は神によって神の子どもとされ、新しい契約に基づいて生きる者たちで構成される神の家族である。

教会はキリストのからだであって、キリストご自身をかしらとする信仰の共同体である。

教会はキリストの花嫁である。

キリストは教会を清めるため、教会の身代わりとなっていのちをささげられた。

勝利のうちに再臨されるとき、キリストは教会を、栄光の教会、各時代にわたる忠実な信徒、キリストの血によって買い取られた者、しみもしわもない者、責められるべきところのない聖なる者とされる。

✳️ 残りの民とその使命」定義 (信条13)

普遍的な教会、キリストを真に信じるすべての者から成る。
しかし、背教がはびこる終わりの時代には、神の戒めを守り、イエスの信仰を持ち続ける残りの民が召し出される。
この残りの民は、裁きの時が来たことを告げ、キリストによる救いを宣べ伝え、キリストの再臨が切迫していることを知らせる。
この働きは、ヨハネの黙示録14章に記されている3天使によって象徴されている。
そしてそれは、天における裁きのわざと並行してなされ、地上に悔い改めと改革の働きをもたらす。
すべて信じる者は、この世界的なあかしの働きに個人的に加わるように召されている。

 

  (*上記の違いを理解しなければ、終わりの時の教会の意味が曖昧になってしまいます。教会にいる民と、終わりの時に召し出される民は別物です。神の印を受ける人々はこのグループです。)

 

残りの教会 (「アドベンチストの信仰」より。機械翻訳ー本書に基づく)

 1260年間の背教と患難にもかかわらず、ある者たちは使徒教会の純粋さを反映し続けました。1798 年1260 年にわたる迫害が終わったとき、は神の忠実な民を完全に根絶することに失敗しました。 サタンはこれらの人々に対して破壊的努力を傾注し続けました。ヨハネは、「龍は、女に対して怒りを発し、女の残りの子ら、すなわち、神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者たちに対して、戦いをいどむために、出て行った。」(黙示録12:17)と言いました。

 

残りの教会とは何かー

 ヨハネは、竜と女およびその子孫との戦いを説明する中で、「彼女の子孫の残り」という表現を使いました(黙示録 12:17英文)。 その表現は「残っている者たち」または「残り」を意味します(黙示録 12:17、口語訳聖書)。 聖書は残りの者たちを、災害、戦争、背教を通しても神への忠誠を保つ神の民の小さなグループとして描いています。 この忠実な残りの者たちは、神が地上に目に見える教会を広めるために用いられた根株でした(歴代下30:6; エズラ9:14,15; イザヤ10:20-22; エレミヤ42:2; エゼ6:8; 14:22)。

 

 神は残りの者たちに、ご自身の栄光を宣言し、世界中に散った民をご自身の「聖なる山エルサレム」、「シオンの山」に導くよう命じられました(イザヤ書37:31、32;66:20;黙示録14:1参照)。 このようにして集められた人々について、聖書は「小羊の行くところへは、どこにでもついていく」(黙示録14:4)と述べています。

 

 黙示録 12:17 には、神が選ばれた忠実な信徒である神の選民のうちの最後の教会、すなわちキリストの再臨前の終わりの時代の忠実な証人についての描写を含んでいます。

残りの教会の特徴ー

 

イエスの信仰ー神の残りの民は、イエスが持たれたのに似た信仰によって特徴づけられています。・・・神の残りの民は、キリストへの信仰による救いという永遠の福音を宣べ伝えます。キリストの再臨に備えさせます。世界的な伝道に携わります。(黙示録14:6-7、10:11、マタイ24:14)。

  1. 神の戒めーイエスにある真の信仰は残りの教会に彼の模範に従うようおに求めます。「『彼におる」と言う者は、彼が歩かれたようにその人自身も歩くべきである」(1ヨハネ2:6)とヨハネは言いました。イエスがみ父の戒めを守られたので、我らもまた神の戒めに服従するのです(ヨハネ15:10)。・・・・キリストがお与えになる力によって、神の不変の道徳律、十戒の全ての戒めを含めた神の要求に従うのです(出エジプト20:1-17, マタイ5:17-19,19:17, ピリピ4:13)。

  2. イエスの証ーヨハネは「イエスの証」を「預言の霊」と定義しています(黙示録19:10)。残りの教会は、預言の賜物を通して与えられたイエスの証によって導かれます。       この御霊の賜物は、「わたしたちすべての者が、神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し、全き人となり、ついに、キリストの満ちみちた徳の高さにまで至る」(エペソ4:13)ように、教会の歴史を通じ、継続的に働くのでした。したがって、それはこれは残りの教会の主要な特徴の一つです。 このような預言的な指導により、残りの教会を、預言的なメッセージを宣べ伝える預言の人々にします。 彼らは預言を理解し、それを教えます。 残りの教会に臨む真理の啓示は、キリストの再臨に世を備えさせる彼らの使命の完結を助けます。(「アドベンチストの信仰」の第17章を参照)。

​最後の残りの教会の出現ー

 聖書は、残りの教会は大迫害後の世の舞台に現れる、と示しています(黙示録12:14-17)。

 1260 年時代の終わり (1798 AD) に教皇が捕囚へと発展したフランス革命という大事件、また天体の三大前兆の成就(地球、太陽、月、星という 3 つの大きな宇宙の兆候の成就 キリストの再臨が近いことを証言した。本書の第 24 章を参照)は、預言研究の大規模な覚醒につながりました。 イエスの来臨が差し迫っているという期待が広く広まりました。 世界中で多くのクリスチャンが「終わりの時」が到来したことを認識しました(ダニエル 12:4)27。

 

 18 世紀後半から 19 世紀前半にかけての聖書預言の成就は、再臨の希望を中心とした強力な超教派的運動を引き起こしました。 どの教会でもキリストの差し迫った再臨を信じる人々が見られ、祈り、働き、時代の最高潮を待ち望んでいた。

 

 再臨の希望は、その信奉者の間に深い団結の精神をもたらし、多くの人が団結して、キリストが間もなく再臨されることを世界に警告しました。 再臨運動は、神の言葉と再臨の希望を中心とした真に聖書的な覚醒運動でした。

 

彼らは聖書を学べば学ぶほど、停滞しているキリスト教会の宗教改革を継続するために神が残りの者を召しておられるという確信を深めました。 彼らは、それぞれの教会で改革の真の精神が欠如しており、再臨研究とその準備に対する関心が欠如していることを自ら経験していました。 彼らの聖書研究は、神が彼らを導かれた試練と失望が、彼らを神の残りの者として団結させる、非常に霊的なきよめの体験を構成していたことを明らかにしました。 神は彼らに、教会に多大な喜びと力をもたらす改革を継続するよう命じられました。 神の使命が彼らに与えられたのは、彼らが本来的に優秀だからではないこと、キリストの憐れみと力によってのみそれは成功しうるものであることを認めつつ、感謝と謙遜を持って彼らはその使命を受け入れました。

残りの教会の使命ー

黙示録の預言は、残りの教会の使命を明確にその輪郭を描いています。 黙示録 14:6-12 の 3 人の天使のメッセージは、福音の真理の完全かつ最終的な回復をもたらす残りの教会の宣言を明らかにしています。これら 3 つのメッセージは、キリストの直前に世界を席巻した圧倒的な悪魔の欺きに対する神の答えを構成しています(黙示録 13:3、8、14-16)。 世界に対する神の最後の呼びかけの直後、キリストは収穫を刈り取るために戻って来られます(黙示録14:14-20)。

三天使のメッセージ

第一の天使の使命

​★黙示録14:6-7

「わたしは、もうひとりの御使が中空を飛ぶのを見た。彼は地に住む者、すなわち、あらゆる国民、部族、国語、民族に宣べ伝えるために、永遠の福音をたずさえてきて、
大声で言った、「神をおそれ、神に栄光を帰せよ。神のさばきの時がきたからである。天と地と海と水の源とを造られたかたを、伏し拝め」。

  • 第一天使の使命は、永遠の福音を世界に伝える神の残りの民を象徴しています。

この福音は、古代の預言者や使徒たちが宣言したのと同じ神の無限の愛の良きおとずれです(ヘブル4:2)。 残りの教会は、別の福音を提示するのではなく、裁きの点において、罪人は信仰によって義とされ、キリストの義を受けることができるというあの永遠の福音を再確認します。

  • 世界に悔い改めを求めています。

このメッセージは、全ての者に、「神を恐れ」、すなわち敬い、また神に「栄光」、すなわち誉れを帰することを命じています。

あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになるであろう。」(ヨハネ15:8)​。

ヨハネは、キリストの再臨に向けて世界を準備させる運動によって、神の栄光を讃えるという聖書の関心が新たに強調されることになるだろうと予測している。

それはかつてないほどに、私たちの生活を清く保つようにとの新約聖書のアピールを示しています。

「あなた方のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮である」。 私たちは自分の肉体的、道徳的、精神的な力に対する独占的な権利を持っているわけではありません。 キリストはカルバリでこれらをご自分の血で買い取られました。 「それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい。」(1コリント6:19、20)。 「だから、

食べるにも、飲むにも、また何事をするにも、自分のからだをもって神の栄光のためにすべきである」(1コリント10:31)。

  • 「神の裁きの時」が来たという事実は、悔い改めの招きに緊急さを加えます。

神はこのキリストの救いの最後の働きの福音が、キリストが戻られる前に全世界に行き渡るようにと意図しておられます。この使命の中心は永遠の福音であって、急いで宣べ伝えられねばなりません。「神の裁きの時」が来たからです。この叫びは、神の裁きが現在行われていることを世界に告げ知らせています(本書23章)。

黙示録 14:7 では、裁きという言葉はギリシャ語のクリシス、つまり裁きの行為を訳しており、裁きの文(クリマ)を訳しているのではありません。 これは、神の裁きの法廷での人々の罪状認否、生活記録の調査、無罪か有罪かの評決、永遠の命の授与か死刑判決を含む、裁きの全過程を指します(マタイ 16 章参照)。 27;ローマ 6:23;黙示録 22:12)。 裁きの時のメッセージは、すべての背教に対する神の裁きも宣言しています(ダニエル 7:9-11、26、黙示録 17、18)。

  • 裁きの時のメッセージは、特に、天の聖書におけるキリストの大祭司職の最終段階として、キリストが審判の働きに入られた時を指し示しています。(本書23章)

  • ​このメッセージは全ての人が創造主を礼拝するように招いています。

神の崇拝への呼びかけは、獣とその像への崇拝への呼びかけと対照的に見られなければなりません(黙示録13:3、8、15)。 間もなく、誰もが真の崇拝と偽りの崇拝の間で、神の条件(信仰による義)に基づいて神を崇拝するか、私たちの条件(行いによる義)に基づいて神を崇拝するかの選択を迫られることになります。 私たちに「天と地と海と水の源を造られた方を伏し拝め」(黙示録14:7、出エ20:11)との私たちへの命令によって、このメッセージは十戒の第四条に注意を促します。 それは人々を創造主への真の崇拝へと導きます。その体験には、創造主の記念碑である主の七日目の安息日を尊重することが含まれます。この安息日は創造主が創造の際に制定し、十戒で確認されました(本書の第19章を参照)。 したがって、最初の天使のメッセージは、創造者であり聖書の安息日の主であるキリストを世界の前に提示することによって、真の崇拝を回復することを求めています。 これは神の創造のしるしであり、神の被造物の大多数が無視しているしるしでもあります。

  • 摂理的に、創造主なる神に注意を促すこのメッセージの宣言は、進化論がチャールズ・ダーウィンの『種の起源』(1859年)の出版によって大きな後押しを受けた歴史の段階で始まりました。

  • 第一天使のメッセージの説教は、進化論普及の波に対する最大の防波堤を構築します。

三天使のメッセージ

第二天使の使命

​★黙示録14:8

倒れた、大いなるバビロンは倒れた。その不品行に対する激しい怒りのぶどう酒を、あらゆる国民に飲ませた者」。

 歴史の初めから、バビロンの都市は神への反抗を象徴していました。 その塔は背教の記念碑であり、反逆の中心地でした(創世記 11:1-9)。 ルシファー(サタン)はその目に見えない王であり(イザヤ 14:4、12-14)、バビロンを人類支配の基本計画の機関にしたいと考えていたようです。 聖書全体を通して、神の都市エルサレムとサタンの都市バビロンの間の争いは善と悪の対立を描いています。

ローマ人がユダヤ人とキリスト教徒の両方を抑圧していた初期キリスト教数世紀の間、ユダヤ人とキリスト教の文献ではローマの都市をバビロンと呼んでいました。多くの人は、ペテロがローマの別名としてバビロンを使用したと信じています(1ペテロ5:13)。 宗教改革とそれ以後の時代のほとんどのプロテスタントは、背教と迫害のために、ローマの教会を霊的バビロン、神の民の敵であると呼んでいました(黙示録 17 章)。

 ヨハネの黙示録では、バビロンは不道徳な女、淫婦たちの母、およびその不品行な娘たちを指します(黙示録 17:5)。 これはすべての背教した宗教組織とその指導者を象徴していますが、特に黙示録 13:15-17 に記述されている最後の重大局面をもたらす獣とその像との間の宗教連合、大背教の宗教同盟を指します。

第二の天使のメッセージは、バビロニアの背教の普遍的な性質とその強制力を浮き彫りにし、彼女はすべての国々にその淫行の怒りのぶどう酒を飲ませたと述べています。バビロンのぶどう酒彼女の異端的な教えを表しています。 バビロンは国家権力に圧力をかけて、彼女の偽りの宗教的教えと布告を普遍的に強制するでしょう。

ここに述べられている「淫行」は、バビロンと諸国民の間、つまり背教した教会と市民権力との間の違法な関係を表しています。 教会は主と結婚することになっています。 代わりに国家の支援を求めて、彼女は配偶者と別れ、霊的淫行を犯します(エゼ16:15、ヤコブ4:4参照)。

この不法な関係は悲劇をもたらします。 ヨハネは、地上の住民が偽りの教えに「酔って」いるのを見ました。バビロン自身も「聖徒の血とイエスの証人の血に酔いしれている」のを見ます。彼らがバビロンの非聖書的な教義を受け入れず、バビロンの権威に服従することを拒否しているのを見ました(黙示録15:3)。 17:2、6)。

バビロンが崩壊するのは、第一天使のメッセージ、つまり創造主への信仰による義の福音を彼女が拒否したためです。 最初の数世紀にローマ教会が背教したように、今日の多くのプロテスタントは宗教改革に関する聖書の偉大な真理から離れています。 バビロンの崩壊に関するこの預言は、特に、かつて宗教改革を強力に推進した信仰による義の永遠の福音の純粋さと単純さからプロテスタント全体が離れることで成就します。

  • ​第二天使の使命は、終わりが近づくにつれて適切さが増す。

それは、第一天使のメッセージを拒否したさまざまな宗教組織の同盟によって完全に成就を見ます。 バビロン崩壊に関するメッセージは黙示録 18 章 2-4 節で繰り返されており、そこではバビロンの完全な崩壊が告げられ、バビロンを構成するさまざまな宗教団体にまだ所属している神の民に、そこから離れるように呼びかけられています。 天使はこう言います、「『わたしの民よ、彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ』」(黙示録 18:4)。

三天使のメッセージ

第三天使の使命

​★黙示録14:9-12

「ほかの第三の御使が彼らに続いてきて、大声で言った、「おおよそ、獣とその像とを拝み、額や手に刻印を受ける者は、神の怒りの杯に混ぜものなしに盛られた、神の激しい怒りのぶどう酒を飲み、聖なる御使たちと小羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる。その苦しみの煙は世々限りなく立ちのぼり、そして、獣とその像とを拝む者、また、だれでもその名の刻印を受けている者は、昼も夜も休みが得られない。ここに、神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒の忍耐がある」。

  • 第一天使のメッセージは永遠の福音を宣言し審判の時が来たので創造主としての神への真の崇拝を回復することを求めています。 第二天使は、人間が起源とするあらゆる形態の崇拝に対して警告しています。 最後に、第三天使は信仰による義の福音を拒む者全てが、遂には行なってしまう獣とその像の礼拝に対する神の最も厳粛な警告を宣言します。

黙示録 13:1-10 に描かれている獣は、何世紀にもわたってキリスト教世界を支配してきた教会と国家の連合であり、パウロは「不法の者」(Ⅱテサロニケ 2:2-4)、ダニエルは次のように描写しています。 「小さな角」(ダニエル 7:8、20-25; 8:9-12、)。 獣の像は、宗教改革の真の精神を失った教会が国家と団結して自らの教えを他者に強制するときに発展する背教的な宗教の形態を表している。 教会と国家を統合することで、彼らは獣、つまり1260年間迫害してきた背教者の教会にとって完璧な像となるのでした。 したがって、獣の像という名前があるのです。

  • 第三天使の使命は、聖書中で最も厳粛な恐ろしい警告を宣言します。

それは、地球の最後の危機において人間の権威に服従する人々は、神ではなく獣とその像を崇拝することを明らかにしています。 この最後の紛争中に、2 つの異なる階級が発達します。 ある階級は人間の計略による福音を主張し、獣とその像を崇拝し、最も悲惨な裁きを自分たちにもたらすでしょう。 もう一方の階級は、著しく対照的に、真の福音に従って生き、「神の戒めとイエスの信仰を持ちつづけ」(黙示録14:9、12)ます。 最後の争点は、真の礼拝と偽りの礼拝真の福音と偽りの福音に関係します。

 

この問題が明確に世界の前に持ち出されるとき、神の創造者としての記念である聖書の安息日を拒否し、日曜日が神が定めた礼拝の日ではないことを十分に承知した上で日曜日を礼拝し尊重することを選択する人々は、「獣の刻印」を受けることになります。 このしるしは反逆のしるしです。 獣は、礼拝日の変更は神の律法に対してさえまさる権威を自ら有しているものであることを示していると主張します。

  • 第三天使の使命は、真の礼拝を回復する永遠の福音と神のメッセージを受け入れることを拒むその結果に、世の注目を向けさせます。

それは、崇拝に関する人々の選択の最終的な結果を生き生きと描写しています。 選択は容易なものではありません。なぜなら、何を選択するにしても苦しみが伴うからです。 神に従う者は龍の怒りを経験し(黙示録12:17)、最終的には死の脅威にさらされる(黙示録13:15)一方、獣とその像を崇拝することを選択した者は最後の七つの災いに見舞われ、 最後に「火の池」(黙示録15、16;20:14、15)に遭います。

しかし、どちらの選択にも苦しみが伴いますが、その結果は異なります。 創造主の崇拝者たちは、龍の致命的な怒りから逃れ、小羊とともにシオンの山に立つでしょう(黙示録14:1、7:2、4)。 一方、獣とその像を崇拝する者は、神の完全な怒りを受けて、聖なる天使と小羊の前で死んでいきます(黙示録 14:9、10; 20:14)。

各人は誰を崇拝するかを選ばなければなりません。 人が神の是認された礼拝に参加して、信仰による義を選択したことを示すか、または、神が禁止し、獣とその像が命令する人の作った礼拝に参加して、行いによる義を選択したことを示すかのいずれかです。 神は、後者をお受け入れになることはできません。なぜなら、それは、神の命令にではなく人間の命令に優先権を与えるからです。それは、人間のわざによる義を追求し、創造主、贖い主、再創造主としての神への全的依存からくるに信仰による義を求めません。したがって、この意味で、第三の天使のメッセージは信仰による義のメッセージなのです。

神はすべての教会に神の子供たちを持っています。 しかし、特に神は残りの教会を通して、神の民を背教から呼び起こし、キリストの再臨に備えることによって真の崇拝を回復するというメッセージを宣言しておられます。 残りの教会は、神の民の多くがまだ彼らに加わっていないことを認識しており、この厳粛な使命を果たそうとするときに自分たちの不十分さと弱さを感じます。 彼らは、神の恵みによってのみ自分たちの重大な任務を達成できることを理解しています。

 

間もなくキリストが来られることと、キリストに会う準備をする必要性を考えると、神の差し迫った、しかも慈悲深い呼びかけが私たち一人ひとりの心に痛切に響きます。「私の民よ。彼女から離れ去って、その罪にあずからないようにし、その災害に巻き込まれないようにせよ。彼女の罪は積もり積もって天に達しており、神はその不義の行いを覚えておられる」(黙示録18:4、5)。

 

三天使の使命は理解されていない

黙示録14:6-12のコメンタリーその他

ヨハネの黙示録14:6-12

   6 わたしは、もうひとりの御使が中空を飛ぶのを見た。彼は地に住む者、すなわち、あらゆる国民、部族、国語、民族に宣べ伝えるために、永遠の福音をたずさえてきて、
7 大声で言った、「神をおそれ、神に栄光を帰せよ。神のさばきの時がきたからである。天と地と海と水の源とを造られたかたを、伏し拝め」。
8 また、ほかの第二の御使が、続いてきて言った、「倒れた、大いなるバビロンは倒れた。その不品行に対する激しい怒りのぶどう酒を、あらゆる国民に飲ませた者」。
ほかの第三の御使が彼らに続いてきて、大声で言った、「おおよそ、獣とその像とを拝み、額や手に刻印を受ける者は、
10 神の怒りの杯に混ぜものなしに盛られた、神の激しい怒りのぶどう酒を飲み、聖なる御使たちと小羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる。

11 その苦しみの煙は世々限りなく立ちのぼり、そして、獣とその像とを拝む者、また、だれでもその名の刻印を受けている者は、昼も夜も休みが得られない。
12 ここに、神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける聖徒の忍耐がある
」。

〜バイブルコメンタリーから〜 

 

14:6-12(10:1-11、第一ヨハネ2:18についてはEGWを参照)。まもなく理解できることー黙示録の第14章は、最も深い関心を引く章である。この聖句は間もなく、そのすべての内容において理解され、黙示録の記者ヨハネに与えられた使命は、明瞭な音声で繰り返されるであろう」(『レビュー・アンド・ヘラルド』1904年10月13日号)。

 

 「三人の天使の識別ーキリストは救いに至る力をもって再臨しようとしておられる。この出来事に対して人類を備えさせるために、キリストは第一、第二、第三の天使の使命を送られた。これらの天使は、真理を受け入れ、力をもって福音を世界に伝える人々を表している」(1900年書簡79)。

 第1と第2のメッセージは1843年と1844年に与えられ、私たちは今、第3のメッセージの宣布を受けている。真理を求める人々に繰り返し伝えることは、以前と同様、現在も不可欠である。私たちは、ペンと声によって、その順序を示し、第三の天使のメッセージに至る預言の適用を示しながら、宣言を告げるのである。第一と第二なくして第三はありえない。これらのメッセージを、私たちは出版物や講話で世に伝え、預言の歴史の流れに沿って、これまでのこととこれからのことを示すのである。」2SM104

 18:1-5)​. 忠実な一団ー諸教会は黙示録18章に記されているようになった。なぜ黙示録14章のメッセージが与えられているのか。諸教会の原則が堕落してしまったからである・・・[黙示録14:6-10引用]。

 見たところ、全世界が獣の刻印を受け、罪を犯すように思われる。しかし預言者は、獣を拝まず、額にも手にも獣の刻印を受けていない一団を見ている。「ここに聖徒の忍耐がある。」「ここに神の戒めとイエスの信仰を守る者たちがいる」と彼は宣言している(手稿92、1904年)。

3人の天使の使命というのは、獣のしるしを受けていない人々のことです。つまり神の刻印を受けていなければ、この使命には与れないということです。当然と言えば当然ですが、完全が要求されているという意味でもあります。

 「生ける神の印を受け、悩みの時に保護される人々は、イエスのかたちを完全に反映していなければならない。」(初代文集p149)

​「次に私は、第三天使を見た。私と一緒にいた天使は言った。『彼の任務は恐るべき任務である。彼は、麦を毒麦からよりわけて、印をおし、たばねる。われわれは、こうしたことに全身全霊を傾け、すべての注意を向けなければならない。』」。(次第文集p221)

​第三天使の使命は本当に驚くべき働きです。今目覚めて、ここに書かれていることに注意を向けなければ、神の印に与れないかもしれません。しかし心配はありません。ある意味、これは、真のクリスチャンにとっては福音なのです。

私たちの生きている、「今」というのは、将来の命と死を分けるかもしれない厳粛な時でもあります。1人でも多くの魂がそのことに気づかれますように。

★黙示録14:4-5

「彼らは、女にふれたことのない者である。彼らは、純潔な者である。そして、小羊の行く所へは、どこへでもついて行く。彼らは、神と小羊とにささげられる初穂として、人間の中からあがなわれた者である。彼らの口には偽りがなく、彼らは傷のない者であった。」

これは、ヨハネが見た神と子羊に捧げられる、人間の中から贖われた人々を描いていますが、純潔で、罪のない完全な品性の人々のことです。このような人々のグループが神の刻印を押されます。

「現代の真理」の本には、次のような重要な事が書かれていましたので、抜粋します。

  「この印する使命は、100年以上も叫ばれ続けてきたが、神は未だに印を受け、仲保者なく悩みの時を通過し、堕落した人間がどんな場合でも神の律法に従えるのだということを全宇宙に証明し、ついには人間としてキリストの大いなる栄光の前に立つことのできるところの人々がその品性を完成するのを待っておられるのであり、この恵みの働きが神の民の心の中に完成されるまでは福音は完結しないのである。神の四人の力あるみ使いが四方の風を引き留めて、神の僕たちがその額に印されるのを待っている。主の僕は100年以上も前に、四人のみ使いが四方の風を緩め始めるのを見た。その時、イエスは憐れみを持ってその印されていない民をご覧になり、彼らが印を受ける備えをするために、もっと時が与えられるようご命令なさった。・・・・・

 

 確かに神は、いつまでも神の民をただ待っておられるはずはない。それにあらゆる印から見て、現時代こそ最終場面に当面する時代であることがわかるのである。それゆえに、われわれは天に移されるために要求されている特別の備えをいかになすべきか、どうしても理解しなくてはならない。」(現代の真理、4-5p)

 

 「しかし、人々は、まだ主に会う準備ができていなかった。まだ、彼らのためになされねばならぬ準備の働きがあった。彼らは、まず光を受けて、天にある神の宮に心を向けねばならなかった。そして彼らが、そこで奉仕しておられる彼らの大祭司に、信仰によって従っていく時に、新しい義務が示されるのであった。もう1つの警告と教えの使命が、教会に与えられるのであった。

 

預言者は語っている。『その来る日には、だれが耐え得よう。そのあらわれる時には、だれが立ち得よう。彼は金をふきわける者の火のようであり、布さらしの灰汁のようである。彼は銀をふきわけて清める者のように座して、レビの子孫を清め、金銀のように彼らを清める。そして彼らは義をもって、ささげ物を主にささげる』(マラキ3:2、3)。天の聖所におけるキリストのとりなしがやむ時、地上に住んでいる人々は、聖なる神の前で、仲保者なしに立たなければならない。彼らの着物は汚れがなく、彼らの品性は、血をそそがれて罪から清まっていなければならない。キリストの恵みと、彼ら自身の熱心な努力とによって、彼らは悪との戦いの勝利者とならなければならない。天で調査審判が行われ、悔い改めた罪人の罪が聖所から除かれているその間に、地上の神の民の間では、清めの特別な働き、すなわち罪の除去が行われなければならない。この働きは、黙示録14章の使命の中にさらに明瞭に示されている。 

この働きが成し遂げられると、キリストの弟子たちは、主の再臨を迎える準備ができるのである。『その時ユダとエルサレムとのささげ物は、昔の日のように、また先の年のように主に喜ばれる』(マラキ3:4)。その時、主が再臨されてご自分のもとに受け入れられる教会は、『しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、……栄光の姿の教会』である(エペソ5:27)。また、その教会は、『しののめのように見え、月のように美しく、太陽のように輝き、恐るべき事、旗を立てた軍勢のような者』である(雅歌6:10) 」(大争闘24章「主を迎える準備」、希望1801p)。

​アーメン🙏

*資料:「アドベンチストの信仰」(英文、日本語)、SDAバイブルコメンタリー(英文)、EGW著書等。

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