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ホサナミニストリー
神のタイムライン(1)
終末の出来事の年表
終わりの時
主の日
恩恵期間の終了
第三天使のメッセージ
ふるいの時
再臨前調査審判
ヤコブの悩みの時
大いなる悩みの時
義なる者は仲保者なしで立たねばならない。
千年期
義なる者は天へ
7つの災い
再臨
日曜休業令〜恩恵期間の終了まで:小さな悩みの時
町や市から離れるサイン。
バビロンの滅び。
獣のイメージの型を見る。
サタンの偽キリストの再臨、
獣のしるしが押される。
神の刻印が押される。
大いなる叫び
後の雨(春の雨ー収穫)
*恩恵期間の終了時、神の霊が退く(キリストの至聖所での務めの終了、神の民はキリストの仲保なしでたたねばならない。)
*神の刻印を押された者、神の婚礼の準備が整う。
*恩恵期間が終了すると7つの災いが始まる。
キリストの再臨:
神の民の救出と特別復活。
第一の復活ーキリストにあって死んだ人々の復活。
悪人はキリストの栄光(息)によって殺される。
神の民は天へ挙げられる。アーメン!!
1844年:第一、第二、第三天使のメッセージ、真夜中の叫び、
大失望。調査審判の開始、残りの教会の現れ。
ふるいの時:現在。偽りの教会で偽のリバイバル。まもなく日曜休業令が発布される。
7つの災い
第一の災いー獣を崇拝する者に悪性の腫物がある。
第二ー血の海
*死の宣告。
*山に逃げる。
第三ー川と水が血に。
第四ー太陽は人々を焼く。
第五ー獣の国の闇
第六ーユーフラテス川枯れる。
*ハルマゲドンに王たちを召集。
第七ー激しい地震。
千年期:悪は裁かれる。地上は誰もいなくなり荒れ果てる。サタンは地上に閉じ込められる。天に行った聖なる者たちが悪人を裁く。
1798年 黙示録11:2-11の
法王制が傷を受ける。知識が増す。ダニエルの封印が解かれる。
以上が大まかな流れです。
聖書からの裏付けともう少し詳細な説明をします。
千年期終:悪人の第二の復活。悪人の永遠の死。
地は清められ、再創造される。天から新エルサレムが降りてくる。人々は、地上で永遠に生きる。
終末の出来事の説明
1798年は終わりの時の始まり。新エルサレムが降りてくるまでの期間。つまり、悪の完全な滅びまでです。ダニエル12:4-10。
4 ダニエルよ、あなたは終りの時までこの言葉を秘し、この書を封じておきなさい。多くの者は、あちこちと探り調べ、そして知識が増すでしょう」。
5 そこで、われダニエルが見ていると、ほかにまたふたりの者があって、ひとりは川のこなたの岸に、ひとりは川のかなたの岸に立っていた。
6 わたしは、かの亜麻布を着て川の水の上にいる人にむかって言った、「この異常なできごとは、いつになって終るでしょうか」と。
7 かの亜麻布を着て、川の水の上にいた人が、天に向かって、その右の手と左の手をあげ、永遠に生ける者をさして誓い、それは、ひと時とふた時と半時である。聖なる民を打ち砕く力が消え去る時に、これらの事はみな成就するだろうと言うのを、わたしは聞いた。
8 わたしはこれを聞いたけれども悟れなかった。わたしは言った、「わが主よ、これらの事の結末はどんなでしょうか」。
9 彼は言った、「ダニエルよ、あなたの道を行きなさい。この言葉は終りの時まで秘し、かつ封じておかれます。
10 多くの者は、自分を清め、自分を白くし、かつ練られるでしょう。しかし、悪い者は悪い事をおこない、ひとりも悟ることはないが、賢い者は悟るでしょう。
1798年 黙示録11:2-11の
法王制が傷を受ける。知識が増す。ダニエルの封印が解かれる。
✅ 538年の法王至上権確立から1260年間は1798年に終わりました(ダニエル7:25.)ーナポレオンの将軍ベルチエがローマに入って法王ピウス6世を捕虜にしたが、彼は牢獄にて死去。
✅ 1798年は黙示録13:11の米国の起こりにつながる。
「わたしはまた、ほかの獣が地から上って来るのを見た。それには小羊のような角が二つあって、龍のように物を言った。」
黙示録11:2-11の成就
ここに、「42か月」と「1260日」という2つの期間があげられているが、これは同じもので、キリストの教会がローマの圧迫を受ける期間を表している。1260年の法王至上権時代は、紀元538年に始まったから、1798年に終わることになる。この時、フランスの軍隊がローマに侵入し、法王を捕虜にした。そして彼は場所で死んだ。その後、すぐ新法王が選ばれたけれども、法王制度は、もはや以前のような権力を振うことはできなかった。
『世界的な大運動 (EGホワイト著、各時代の大争闘第20章、希望への光1766p)
この運動がいつ起こるものであるかについては、メッセージ自体が明らかにしている。それは、「永遠の福音」(黙示録14:6)の一部であると宣言されている。そして、審判の開始を告知している。救いのメッセージは、各時代において宣べ伝えられてきた。しかし、このメッセージは、終末時代においてのみ宣布される福音の一部分である。というのは、その時において初めて、さばきの時が来たということができるからである。預言は、審判が始まるまでに相次いで起こる種々の事件を示している。特にダニエル書がそうである、しかし、ダニエルは、最後の時代に関する預言を、「終りの時まで」秘し、封じておくように命じられた。この時が来るまで、これらの預言の成就に基づいて審判に関するメッセージを宣布することはできなかった。しかし、終わりの時に、「多くの者は、あちこちと探り調べ、そして知識が増すでしょう」と預言者は言っている(ダニエル12:4)。
使徒パウロは、彼の時代にキリストが来られると期待しないようにと、教会に警告した。「まず背教のことが起り、不法の者……が現れるにちがいない」と彼は言っている(Ⅱテサロニケ2:3)。大背教が起こり、「不法の者」の長い支配期間の終わったあとで、初めてわれわれは、主の再臨を期待することができる。「不法の秘密の力」「滅びの子」とも言われている「不法の者」とは、1260年の間、至上権をふるうと預言された法王権のことである。この期間は、1798年に終結した。キリストの再臨は、この時より前には起こり得ないのであった。パウロは、1798年までに及ぶキリスト教時代全体を、彼の警告の中に含ませている。キリスト再臨のメッセージが宣布されるのは、その時以後になるのである。
過去において、このようなメッセージは伝えられたことがない。すでに触れたように、パウロもそのことを宣布しなかった。彼は主の来臨を、その当時よりはるかに先のこととして同信の人々に示した。マルチン・ルターは、審判を、彼の時代から約300年後の ことであるとした。しかし、1798年以来、ダニエル書は封を開かれ、預言の知識は増加し、審判の切迫という厳粛なメッセージを多くの者が宣言したのである。
16世紀の大宗教改革と同様に、再臨運動は、キリスト教世界の各国で同時に起きた。ヨーロッパとアメリカの両方で、信仰と祈りの人々が、預言を学び、聖書を研究して、万物の終末が近いという確かな証拠を認めた。各地において、孤立したキリスト者の諸団体が、聖書の研究だけによって、救い主の再臨が近いと信じるに至った。 』
1844年:第一、第二、第三天使のメッセージ、真夜中の叫び、
大失望。調査審判の開始、残りの教会の現れ。
⚫️真夜中の叫び マタイ25:1-13
「5 しかし、思慮深い者たちは、自分たちのあかりと一緒に、入れものの中に油を用意していた。
5 花婿の来るのがおくれたので、彼らはみな居眠りをして、寝てしまった。
6 夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。
7 そのとき、おとめたちはみな起きて、それぞれあかりを整えた。」
この事件については、大争闘の22章、「夜中の叫び」というタイトルで、書かれています。リンクしています。
⚫️大失望 1844年10月22日に主は再臨されなかった・・・。
ー大争闘 22章、1790p
「しかし、彼らは、再び失望を味わわなければならなかった。期待した時は過ぎ、救い主はおいでにならなかった。彼らは、ゆるぐことのない確信をもって、主の来られるのを待望したのであったが、しかし今は、マリヤが救い主の墓に来て、それがからになっているのを見つけ、「だれかが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです」と泣いて叫んだのと同じように彼らは感じた(ヨハネ20:13)。
使命が真実かもしれないという恐怖心が、しばらくの問、不信の世を抑制していた。時が過ぎ去っても、これは、すぐには消え去らなかった。最初、彼らは、失望した人々に勝ち誇ることはなかった。しかし、神の怒りのしるしが現れないので、彼らは恐怖心から立ち直り、ふたたび非難と嘲笑を始めた。主の再臨が間近いことを信じると公言していた多くの者が、信仰を捨てた。非常な確信を持っていた人々の中には、自尊心を深く傷つけられて、世から逃れたいと思う者もあった。彼らは、ヨナのように神につぶやき、生きるよりは死ぬことを願った。神の言葉でなくて、他人の意見に信仰の基礎をおいていた人々は、今や、再び自分たちの見解を変えようとしていた。嘲笑者たちは、弱くおくびょうな者たちを自分たちの側に引き入れた。そしてこのような人々はみな、もはや恐怖も期待もあり得ないのだと、口をそろえて宣言した。時は過ぎ、主は来られなかった。そして、世界は幾千年もこのまま続くように思われた。
熱心で誠実な信徒たちは、キリストのためにすべてをささげ、これまでになく彼の臨在を感じていたのであった。彼らは、自分たちの信じたとおり、最後の警告を世界に伝えた。そして、まもなく彼らの主と天使たちとの交わりに入れられるものと期待していたので、使命を受け入れない人々との交わりはほとんどしていなかった。彼らは、切なる願望をもって、「主イエスよ、来たりませ。すぐ来たりませ」と祈っていた。しかし、彼は来られなかった。そして、今再び人生の心労と労苦の重荷を負い、あざ笑う世のののしりと冷笑に耐えることは、信仰と忍耐の恐ろしい試練であった。 」
⚫️調査審判の開始 生きている人々の審判。黙示録3:3、1テモテ5:24
ーマラナタ8月30日、「生きている人々の審判」
「これまでにキリストのみ名を身に帯びたものは、すべて厳重で綿密な審査を受けなければならない。生きている者も死んだ者も共に「その仕業に応じ、この書物に書かれていることに従って」裁かれる(黙示録20:12).
裁き主は「すべての者は、彼らの信仰によって義とせられ、また彼らの行為によって裁かれる」と仰せになった。
悔い改めず、捨て去っていない罪は赦されず、記録の書から拭い去られず、神の大いなる日に、罪人に対して不利な証言をする。・・・・
支配権を得ようとする悪癖に打ち勝ちたいすべての者の前には真剣な戦いがある。準備の働きは個人的な働きである。私たちは、団体として救われるのではない。一人の者の純潔と献身は、これらの資格を欠く他の人の埋め合わせにはならない。すべての国民が神の前で審判を受けるのであるが、しかしこのお方は、あたかもこの地上にその人一人しかいないかのように、綿密に厳重に一人一人を審査されるのである。すべての者が調べられなければならない。そしてしみもしわもそのたぐいのものがいっさいあってはならないのである。
審判は今、天の聖所において進行中である。長年に渡って、この働きは続けられてきた。まもなく、その時がいつかは誰も知らないが、生きている人々の番になる。神の恐るべきみ前で、私たちの生涯が審査に上らなければならない。今は他のどの時にもまさって、すべての者が救い主の忠告に注意を払うべきである。「気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつであるか、あなた方にはわからないからである」(マルコ13:33)。「目を覚ましていないなら、わたしは盗人のように来るであろう。どんな時にあなたのところに来るか、あなたは決してわからない(黙示録3:3) 。」(信仰によって私は生きる、213)
ーマラナタ8月31日、「調査審判」
「調査審判と罪をぬぐいさる働きは、主の再臨の前に完了しなければならない。死者は書物に書かれたことによって裁かれるのであるから、彼らが調査されるその審判が終わるまでは、彼らの罪は拭い去られることはない。調査審判が終わると、キリストが来られる。そしてたずさえてきた報いを、それぞれの人の行いに従って裁かれ、各自の行為に従って報いを受ける。この審判は人が死ぬ時になされるのではない。
型としての奉仕において、大祭司はイスラエルのために贖罪を成し終えると、外に出てきて会衆を祝福した。 そのようにキリストも仲保者としての働きを終えられると、「罪を負うためではなしに、・・・救いを与える」ために、すなわちご自分を待っている民に永遠の命を与えるために来られる。大祭司が聖所から罪を除去したときに、アザゼルの山羊の上にそれを告白したように、キリストは、罪の創始者であり扇動者であるサタンの上に、これらすべての罪を置かれるのである。アザゼルの山羊は、イスラエルの罪を負って「人里離れた地」に送られた。そのようにサタンは、自分が神の民に犯させたすべての罪を背負って、千年の間地上に監禁される。地球はその時、荒れ果てて、住む者もいない。そして彼はついにすべての悪人を滅ぼす火の中で、罪の刑罰を余すところなく受ける。
地上に住むおびただしい数の人々のうち、わずかな人、本当にこくわずかな人だけが永遠の命へと救われる。その間、真理に従うことよって魂を完全にしていなかった大多数の者は第二の死へと定められる。
天で調査審判が行われ、悔い改めた罪人の罪が至聖所から除かれているその間に地上の神の民の間では、清めの特別な働き、すなわち罪の除去が行われなければならない。」(信仰によって私は生きる、213)
⚫️残りの教会については、こちらをご覧ください。
1888年:「信仰による義」の宣言
ふるいの時:現在。偽りの教会で偽のリバイバル。まもなく日曜休業令が発布される。
⚫️1888年、「信仰による義」の宣言 (第三天使の使命)
「(信仰による義)を自分で理解している者は100人中一人もいない。」(RH1889年、9月3日。
「信仰による義認とは何か、それは人が己のために自分の力ではできないことを人の代わりに行うことによって、人間の誇りを地に落とす神の働きである」(シリーズA No.9 ,1897年)
「第三天使の使命を説いている牧師の全部がそのメッセージが何であるかを理解しているわけではない。」(ST p715、1889年)
⚫️ふるいの時ー(現在から未来)
ー初代文集 270p「わたしは、わたしが見たふるいの意味をたずねた。するとそれは、ラオデキヤのまことの証人であられるキリストの勧告による率直なあかしがひき起こしたものであることを示された。これは、それを受ける人々の心に感動を与え、彼に標準を高く揚げて率直な真理を宣布させるのである。ある者はこの率直なあかしに耐えられない。彼らはそれに反抗して立ち上がる。これが神の民の間にふるいが起こる理由である。
わたしはまことの証人のあかしが、その半分も注意されないのを見た。教会の運命がかかっている厳粛な使命は、全く無視されないまでも、軽視されていた。このあかしは、深刻な悔い改めを起こさせなければならない。それを真に受け入れるものは、それに従って清められる。」
⚫️日曜休業令
ーマラナタ 164p 6月13日
「これまで、第三の天使のメッセージの真実を伝えた者は、単に人さわがせな者としか思われないことがよくあった。米国において宗教的不寛容が勢いを増し、教会と国家が団結して神の戒めを守る人々を迫害するという彼らの予告は、何の根拠もない馬鹿げたことであると評されてきた。...しかし、日曜日の遵守を強制するという問題が広く論じられている時、 長い間疑我信じられなかった事件が近づいていることがわかり、第三天使のメッセージは、今までになかったような結果をもたらすことであろう。...
信仰と祈りを持つ人々は、神が与えてくださった言葉を宣言しながら、聖なる熱意を持って宣言せざるを得なくなる。 バビロンの罪は暴露される。 教会の法令を政権によって強制することの恐るべき結果、心霊術の侵入、法王権の密かだが急速な発展などが、すべてが暴露される。 これらの厳粛な警告によって、人々は動揺する・・・。人々が熱心な質問を持って元教師のところに行き、「これらのことは本当ですか?」と尋ねる。 牧師たちは作り話を披露し、耳障りの良いことを預言して、彼らの恐怖を和らげ、目覚めた良心を静めようとする。 しかし、多くの人々は、単なる人間の権威に満足せずに、はっきりした「主はこう仰せられる」という明白な言葉を要求するため、一般教会の牧師たちは、昔のパリサイ人のように、自分たちの権威が疑問視されて怒りに満たされ、そのメッセージはサタンから出たものであると非難し、罪を愛する群衆を扇動して、その宣布者たちを嘲り、迫害するのである。
闘争が新たな分野に広がり、ふみにじられた神の律法に人々の心が向けられる時、サタンは騒ぎ出す。 メッセージに伴う力は、それに反対する人々を怒らせるだけである。 牧師たちは、その光が彼らの群れの上に輝かないようにと、ほとんど超人的な力で、それをさえぎろうとする。 彼らはあらゆる手段を講じて、これらの重要な問題に関する討論を圧迫しようとするだろう。 教会は政権の強大な権力に訴える。そしてこの働きにおいて、カトリックとプロテスタントが提携する。」大争闘、375-377。