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ホサナミニストリー
なぜ現代の真理が重要?
聖書が書かれた目的は、キリストの愛による人類の救い、すなわち罪のために死にゆく命を救うという大目的があります。しかし、福音というのは、回復という意味があります。罪で汚された大宇宙の回復のために、キリストは、天の至聖所でゆるし、すなわち罪の除去(大争闘、希望1797p)を行なわれます。(ヘブル10章)
現代に生きる私たちに最も必要な真理は、過去の真理から学び、至聖所での罪の除去の預言です。しかもキリストが天の至聖所におられる間に私たちは救われるための学びと準備をしなければなりません。
キリストが再臨される時、私たちは、エペソ5:27に書かれてある通りならば、神の印が押されるでしょう。つまり「しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである」。教会というのは、建物ではありません。教会というのは私たち自身の意味もあります。さらに、救いは個人的なものなので、教会に通っていれば清くて傷のない栄光の姿になれるということでは決してありません。(イザヤ41:10)
EGホワイトは最後の預言者として、数多くの神からのメッセージを書きました。しかしながら、聖書が基本です。しかしもっと聖書の真理が輝くように、神は人間が陥りやすい問題や傾向を彼女のペンを通して、ご親切にも私たちに知らせてくださっています。
ですから、それを聖書と証のふみをしっかり学びその通りに行うならば、神の刻印が押される可能性が高くなります。
しかしその前にキリストは信仰の模範を私たちに示されています。
神であられたのに、人性をとられたのは、私たちの命のためでありました。しかも罪なき人として、勝利されたのです。それは人類に同様の勝利の可能性をもたらされたのです。現代の真理は全くこのことに集中しています。
現代は、キリストとサタンの大争闘の終わりの部分にあたり、まもなく預言の成就を徐々に目撃していくことになります。悪の根源を滅ぼされることは神のスケジュールの最大のイベントとなります。その中にあって神の民がいつ、どのように救われるのかを学ばなければなりません。
そのことは、キリストの完全な品性が鍵です。それは、聖所、至聖所に示され、三天使のメッセージに示されています。
サタンは、神の律法に対して神に意義を申し立て、反抗しましたが、人間キリストによって彼の言い分が間違っていることを証されました。しかし、地上に生きる神の民もキリストに連らなければ、神の印は押されません。キリストにあって、キリストに似る者となり、キリストが勝利されたように、勝利しなければなりません。それは可能です!! キリスト・イエスのご品性を眺めて似る者となり、キリストの信仰の従順に見倣うことによってです!! いよいよ、聖書預言の最終段階に近づきつつあるのです。
十分注意していただきたいのは、世のニュースです。今後偽りの預言者や偽キリスト、偽のリバイバルが起こることになっていますが、すでに奇跡を起こす大勢の人々がビデオを使って、キリストのみ名を用い、多くのクリスチャンを惑わし始めているようです。真の預言者かどうかは、前に述べた四つのテストに合格しなければなりません。どこからの霊の働きなのか見極めなければ危険です。
準備するのは今!
「かつてなかったほどの悩みの時」が、まもなくわれわれの前に展開する。それだからわれわれには、1つの経験——今われわれが持っておらず、また多くの者が怠けて持とうとしない経験——が必要なのである。現実の困難というものは、予想したほどではないということがしばしばある。しかし、われわれの前にある危機の場合は、そうではない。どんなに生々しく描写しても、この試練の激しさには、とうてい及ばない。この試練の時に、人間は、みな、自分で神の前に立たなければならない。「主なる神は言われる、わたしは生きている、たといノア、ダニエル、ヨブがそこにいても、彼らはそのむすこ娘を救うことができない。ただその義によって自分の命を救いうるのみである」(エゼキエル14:20)。
今、われわれの大祭司がわれわれのために贖いをしておられる間に、われわれは、キリストにあって完全になることを求めなければならない。救い主は、その思いにおいてさえ、誘惑の力に屈服されなかった。サタンは、人々の心の中に、なんらかの足場を見つける。心の中に罪の欲望があると、サタンはそれを用いて誘惑の力を現す。しかし、キリストはご自身について、「この世の君が来る……。だが、彼はわたしに対して、なんの力もない」と宣言された(ヨハネ14:30)。サタンは、神の子の中に、彼に勝利を得させるなんのすきも見つけることができなかった。神のみ子は、天父の戒めを守られた。そして、サタンが自分に有利に活用することのできる罪が、彼の中にはなかった。これが、悩みの時を耐えぬく人々のうちになければならない状態なのである。
われわれが、キリストの贖罪の血を信じることによって、罪を捨て去らなければならないのは、現世においてである。われわれの尊い救い主は、われわれが彼と結合して、われわれの弱さを彼の力に、われわれの無知を彼の知恵に、われわれの無価値さを彼の功績に結びつけるよう招いておられる。
神の摂理は、われわれがイエスの柔和と謙遜を学ぶ学校である。主はわれわれの前に、われわれが選ぶ安易で楽しく 思われる道ではなくて、人生の真の目的を、常に置かれる。われわれの品性を天の型に形造るために神が用いられる手段に、われわれは協力しなければならない。このことを怠ったり、遅らせたりする者は、必ず魂を最も恐ろしい危険にさらすことになるのである。
(各時代の大争闘、下395ー397、希望への光1902)
簡単な要約: 人類歴史の終わりに向かっている現代は、もっとも厳粛な時代とも言えます。
*上記エゼキエル14:20のみ言葉は、どういう意味かというと、キリストの仲介者なしに、固く信仰に立たなければならない時が来て、猛烈な試練の中で、例えば、教会では牧師も誰も助けてくれないということ。家族では、夫は家族を助けられないということ。子供達においても、全ての人が個人で信仰に固く立たなければならないということです。それぞれの義によって立つしかないのです。
*恩恵期間が終わると、すぐに7つの災い(悩みの時)が始まります。キリストは至聖所での取りなしを終えて出てこられますが、7つの災いが終わらなければ、再臨されません。
完全にされるのは、恩恵期間が終わる前までになされなければなりません。つまり、神の刻印を押されなければ、獣の印が与えられ、災いは彼らだけに臨みます。
*ふるいの時がまもなく始まり、日曜休業令が発令されますが、多くの人々が離れるでしょう。やがて後の雨(春の雨、収穫)と大いなる叫び(全世界へ最後の警告)があります。先の前の雨(秋の雨、種まき)と同様に聖霊が降下し、ペンテコステの時のような体験をします。こうして、多くの人々が彼らの三天使のメッセージによって神の側につきます。この聖霊を受けなければ品性は完成しません。
これは恩恵期間の終わりまで続きます。